個人授業  第一章


「まったくしょうもないヤツだな、お前は」
 先生はそう言うといつもそうしているようにオレの頭を撫でる。その優しい感触にうっとりしながらオレは先生を見上げて唇を尖らせた。
「だってアイツら先生のこと侮辱したから」
 オレがそう言えば先生は肩を竦める。オレの頭から手を離して窓の方へ歩いていくと窓枠に手をついて寄りかかるようにしながら言った。
「くだらんな、言いたいヤツには言わせておけばいい。実際のところ根も葉もないただの戯言なんだから」
 そう言って綺麗な笑みを浮かべる先生の顔をオレはうっとりとして見つめる。先生はオレの大好きな笑顔を引っ込めると厳しい顔をして言った。
「そんな事よりくだらないヤツらを殴ったせいで処分を受けたらどうするつもりなんだ。今回はアイツらが止めに入った私の顔を見て、自分達の非を認めたからいい様なものの、下手したらお前だけが処分を受けてたかも知れないんだぞ」
 そう言われてオレは思わず首を竦める。そんなオレに先生は苦笑すると言った。
「とにかく反省文だけで済んだ事に感謝するんだな。ほら、さっさと書いてしまえ。30分したら取りにくるから大人しく書いているんだぞ」
「はあい」
 不満そうにそれでも一応返事を返したオレにくすりと笑って先生は教室を出て行く。オレは用紙を前に机に突っ伏すとため息をついた。

 オレの名はジャン・ハボック。イーストシティでもそこそこ名の通った男子校、フィン・マクヴァル高校の2年生だ。そしてさっきまでここにいたのがオレの憧れの科学教師、ロイ・マスタング先生だ。オレは今、オレの大好きなマスタング先生を侮辱した3年生をちょいと撫でてやった罰として、反省文を書かされていると言うわけだ。本当なら上級生3人をぶちのめしてしまったのだから停学処分くらい食らってもおかしくはなかったのだが、たまたま止めに入ったマスタング先生の顔を見た連中がその黒い瞳に睨まれてオレがヤツらを殴ったのは自分達にも非があると認めたのと先生が口添えしてくれたのでこの程度の罰で済んでいる。
 オレは先生が撫でてくれた頭にそっと触れるとため息をついた。せっかく反省文だけで済んだのだからさっさと書いてしまえばいいのだが、はっきり言ってさっぱり書く気にならなかった。
 オレが初めて先生と出逢ったのは去年の4月。先生がこのフィン・マクヴァル高校に赴任してきた時のことだった。あの時、赴任の挨拶の為に全校生徒の前で壇上に上がった先生を初めて見たときの衝撃は今でも忘れられない。スラリと伸びた背筋、艶やかな黒髪、綺麗な、だが女性のそれとは違う白い面。でも、何より印象的だったのはあの黒曜石の瞳だった。
『ロイ・マスタングです、よろしく』
 そう言って微笑んだ黒い瞳にオレは一発で恋に落ちてしまった。それからは寝ても覚めても先生の事が頭から離れなくなった。先生の事が好きで好きで。先生の事を悪く言うヤツは絶対に赦せなかったし、逆にやたらと先生に取り入ろうとするヤツも赦せなかった。赦せないヤツらが先生の回りをうろつく度ガラのデカイオレが追い払ってたら、ひと月もすると流石にそういうヤツらは減ってきたけどそれでも今回みたいなのが時々いるから気を抜けない。でも、いつもなら言葉だけで追い払うところをつい手が出てしまったのはアイツらが先生の事を男を誘いこむ淫乱みたいなことを言ったからだ。思わずカッとなって考える間もなく殴っていたのはオレが先生を所謂そういう対象として見ていたからかもしれない。オレは先生の事が大好きでキスしたかったしそれ以上のこともしてみたかった。最近のオレのオカズはグラビアのボインのオネエチャンではなくマスタング先生だった。いつもお洒落に着こなしてる服を脱がして素っ裸にした先生を想像の中で好き勝手な格好をさせているのだ。

「はあ……」
 反省文も書かずにオレが先生の事ばかり考えているといきなり教室の扉が開いて、オレは慌てて体を起こした。
「おう、反省文書けたかよ」
 そう言いながら入ってきたのは同級生で幼馴染のブレダだった。
「なんだ、ブレダかよ」
 先生かと思った、とオレがぼやけばブレダが顔を顰める。ブレダはオレの先生への想いを知っていて肩を竦めると言った。
「なんだよ、全然書けてねぇじゃん」
 ブレダはオレの体の下から用紙を引っ張り出して言う。オレの頭をワシワシと掻き混ぜると言った。
「早く終わらせろよ。勉強しなきゃヤバイっつたの、お前だろ?」
「だって書くことねぇんだもん」
「“どんな理由があろうと手を出したのは間違ってました。もう、しません。ごめんなさい”って書きゃいいんだよ」
「また手を出さない自信がない」
 オレがそう言うとブレダが呆れた声を出す。
「んな先のことなんてどうでもいいんだよ。とりあえず出しゃいいんだから」
 一応先生達の間では優等生で通ってるはずの友人の口から出たとんでもない言葉にオレはブレダの顔を見た。「なんだよ」と言う顔でオレを見るブレダにオレは深いため息をつく。
「いいよなぁ、ブレダは。頭良くて。ちょっとデブだけど」
「デブとはなんだ。言っとくがな、俺のこの体は脂肪じゃないぞ、筋肉だっ」
「うん、知ってる」
 オレがそう答えるとブレダは意外そうにオレを見る。ブレダは実は結構運動神経がいい。その見かけに騙されて舐めてかかると痛い目見るのはよく知ってる。ブレダは一つ息を吐くと反省文の用紙をオレの前に置いた。
「とにかくさっさと書いちまえ。俺が文章考えてやるから」
「うん」
 ブレダの言葉にオレが体を起こして用紙に向かった時。
「そういう手助けは友達の為にならんだろう?」
 涼やかな声が聞こえてオレとブレダは教室の入口に目をやった。そこにはいつの間に帰ってきたのかマスタング先生が扉に寄りかかって立っていた。何気ない仕草なのに妙にカッコイイその姿にオレが思わずため息をつけばブレダがうんざりした顔をする。それには気付かないフリでオレは中に入ってくる先生を見つめた。
「…なんだ、一文字も書けてないじゃないか」
「すんません、オレ、こういうの苦手なんス」
 文章を考えたりするのは苦手だ。体を動かす事なら得意なんだけど。
 そんな事を考えていると先生はくすりと笑ってオレの髪を掻き混ぜる。
「お前は決して頭は悪くないんだが、文章を纏めたりするのは不得意だな」
 オレのことを頭が悪くないなんて言ってくれるのはブレダを除けば先生くらいだ。出来る事なら先生の期待に答えたいけどこればっかりはどうにもならないとオレがしょんぼりと肩を落とした時、先生が言った。
「ほら、せっかく文章を考えてくれる友達がいるんだ。さっさと書いてしまえ」
 さっきと違った事を言う先生にオレもブレダも目を丸くする。
「先生、さっきそういうのは友達の為にならないって言わなかったですか?」
 ブレダが不服そうに言えば先生はニヤリと笑った。
「こんな下らんものは誰が書いたって変わらんよ。こんなところで無駄な時間を過ごしているくらいならさっさと終わらせて帰ったほうがいい」
 先生は教師にあるまじき発言をするとオレの頭をポンポンと叩く。
「私は職員室にいるから書き終わったら持ってきてくれ」
 そう言って先生はオレ達を置いて出て行ってしまった。ブレダは呆れたような感心したようなため息を漏らして言う。
「ほら、姫もああ言ってるんだから書いちまおうぜ」
「姫言うな」
 マスタング先生のことを誰が言い出したのか生徒達は姫と呼んでいた。教師の中にも影で呼んでるやつがいるらしい。綺麗な先生の事をそう呼びたい気持ちは判らないでもないけど、オレはその呼び方が嫌いだった。
「お前、嫌いだな、この呼び方」
「だってなんだか先生に失礼だ」
 オレが唇を尖らせてそう言えばブレダは苦笑する。机の端に尻を引っ掛けると用紙をトントンと指で叩いて言った。
「んじゃ、マスタング先生の許可も出たんだからさっさと書いちまおう」
 律儀にも言い直すブレダにオレは思わず笑ってしまう。ブレダのこういうとこ、なんか好きだ。ブレダは笑ったオレの額を指で弾くと言った。
「笑ってる場合じゃねぇっつうの。ほら、言うから書けよ」
「おう」
 ペンを握るとオレはブレダが言うとおりを反省文を書いていった。

「失礼しまっす」
 おざなりなノックと共に職員室に入れば中にいた先生達が顔を顰める。それに構わずオレはマスタング先生のところまで行くと反省文を差し出した。
「書けました、先生」
 先生は書いていたペンを止めると反省文を受け取りざっと目を通す。ニッと笑いを浮かべると言った。
「相変わらずこういうのは得意だな」
「そっスね」
 とりあえずこの会話からは反省文を書いたのがブレダとは判らないだろう。先生は反省文を抽斗にしまうと言った。
「帰ってよし。もう、するなよ」
「はあい」
 間延びした返事に苦笑して先生はペンを取るとまた書類を書き始める。その綺麗な横顔に見惚れながらオレは先生に聞いた。
「先生はまだ帰らないんスか?」
「ん?そうだな、まだ少し書類が残ってるんでね、それを済ませたら帰るよ」
「そっスか。じゃあ失礼します」
 そう言えばひらひらと手を振る先生を残して、オレは職員室を後にした。


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