第十八章 |
部屋を借りたまま殆んど泊まる事のなかったホテルの一室でドサリとベッドに腰掛けるとヒューズは苦く笑う。ロイに殴られて切れた唇の端から滲む血を手の甲で乱暴に拭うとそのまま背後に倒れこんだ。ぼんやりと天井を見上げれば心に浮かぶのはつい先ほどの光景。 涙を零しながらヒューズの熱を受け入れるハボックの白い顔。信じていた友の裏切りに驚愕し、大切な人を傷つけられた怒りに歪むロイの顔。 そして、ぶつけられた「どうして」の言葉。 「こっちが聞きてぇよ…」 ヒューズは額に手の甲をあててそう呟く。どうしてこうなってしまったのか、それはヒューズ自身にすら判らないことだった。 士官学校でロイと出会って、その強い瞳とまっすぐな志に惹かれた。互いに一癖も二癖もある二人は何度もぶつかり合いながら親交を深め、いつしか親友と呼ぶ存在へとなっていったのだ。ヒューズにとってロイは特別であり彼を高みに上げる為にならどんなことでもしてやりたいと思える存在であった。自分と似ていて、だが何をやっても自分より一つ上を行くロイはヒューズにとって誇りであり羨望の対象だった。その後二人は共にイシュヴァールの地へと赴き、血と硝煙と人々の怒号と悲鳴に彩られた乾いた大地に二人して大切な何かを置いてきてしまったのだ。 (ロイも俺もその“何か”を取り戻す事なんて永久に出来ないと思ってたのによ…) ヒューズはそう考えてため息をつく。だがロイは出逢ってしまった、その“何か”を持つ存在に。 ロイがハボックを自分に引き合わせた時の衝撃を思い出してヒューズはゾクリと震える。 『ヒューズ、今度私の護衛官を務めてくれる事になったジャン・ハボック少尉だ』 『ジャン・ハボックっス。よろしくお願いします』 そう言って敬礼した空色の瞳の輝きに、ヒューズは息を飲むと同時に遠からずロイがハボックに惹かれる事を確信した。そしてイーストシティを訪れる度、二人の距離が急速に近づいていくのを見ていたヒューズの胸の内に湧き起こったのは怒りと嫉みだった。同じように乾いた大地に大切なものを置き去りにしてきたのに、ロイだけが再びそれを手に入れようとしていたことへの怒りと嫉み。ずっとヒューズと同じ側の人間だったロイを、ハボックがそこから連れ出そうとする事への怒りと嫉み。ロイをハボックに渡したくないと同時にハボックをロイに渡すのも嫌だった。自分が失ったものを手に入れようとする二人が赦せなかった。 『どうして…っ、どうしてこんなこと、するんスか…ッ?!』 混乱して泣き叫ぶハボックを押さえつけて自分の熱で刺し貫いた時、ヒューズの胸を満たしたのは自分のいる場所からロイを奪われずに済んだことへの安堵と、そしてハボックを手に入れたという喜びだった。 『嫌だッ、もう…っ、いやぁッ』 嫌がる体を押さえつけ、何度もその中に熱を注ぎ込んだ。最奥を汚し、ロイへの想いを汚してやった。ハボックをロイにも誰にも渡したくなかった。それがロイと同じように自分もハボックに惹かれているからなのだと気付いたのはいつだったろうか。 「もう、今となってはどうでもいいことだがな…」 クククと低く笑ってヒューズは呟く。二人を引き裂く為にずっとハボックを抱き続けてきたが、こうなってしまえばロイとハボックが結ばれるのも時間の問題だろう。 ヒューズは深いため息をつくと起き上がり部屋を出て行く。ホテルをチェックアウトすると通りへと出た。 「最終の列車に、間に合うか……」 そう呟くと駅への道を歩き始める。もう二度と親友だった男にも心惹かれた相手にも会うことは出来ないだろうと、そう思いながら駅へと辿り着いたヒューズはそこに佇む姿に目を瞠った。 「少尉……」 殆んど声にならなかった呟きが聞こえたかのようにハボックはヒューズを見る。相変わらず綺麗な空色にヒューズは息を飲んで、それから尋ねた。 「なんでお前さんがここにいる?今頃はロイの腕の中だと思ってたんだがな」 そう言えばハボックが苦く笑う。肩を竦めて答えた。 「そうできないようにアンタが仕向けたんでしょう?今更そんなこと言うなんて」 酷い、と呟いてハボックは駅舎の壁に寄りかかる。ヒューズはハボックに少し近づくと言った。 「ロイは?よくロイが黙って出したな」 たとえハボックがヒューズと関係があったと知っても、簡単に離すとは思えない。そう思って聞けばハボックが俯いたまま答えた。 「黙って出てきたっスから」 「それじゃ今頃探してんじゃねぇのか?」 「そうかもしれません」 ハボックは「好きだ」と告げるロイの顔を思い出して唇を噛み締める。ロイの想いを受け入れる気持ちがない以上、これ以上ロイの傍にいることは出来なかった。 俯いたまま動こうとしないハボックをヒューズはじっと見つめる。 「これからどうするつもりだ?戻らないならどこへ行く?」 「どこにも……オレの居場所は大佐の傍だけっス。どこにも行くところなんてないっス」 「だったら戻ればいいだ──」 「戻れません」 言いかけた言葉を遮るように吐き出されたハボックの言葉にヒューズは息を飲んだ。ヒューズが言葉をなくしたままじっと見つめればハボックが笑う。 「戻れません。でも、どこにも行くとこなんてない。もう、どこにも」 そう呟いたハボックをじっと見つめたヒューズの耳に最終の列車の出発を告げる駅員の声が届いた。 「行くとこがねぇなら一緒に来るか、少尉」 ヒューズの言葉にハボックが目を瞠る。 「強要はしねぇがな」 そうとだけ言ってヒューズは足早に駅の中へと入っていった。その背をじっと見ていたハボックは、少しして一歩を踏み出す。そうしてそのままヒューズを追って駅の中へと入っていったのだった。 2009/09/19 |
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