| 嫉妬は昏い河のごとく 前編 |
| 「え?護衛っスか?」 ロイの言葉にハボックは嫌そうな顔をした。 「そうだ。セントラルの司法局裁判長のお嬢さんがイーストシティ滞在中のな」 「つか、なんでその護衛がオレと大佐なんです?」 他に適任者がいるんじゃないんですか、と言うハボックにロイは肩をすくめた。 「さあな、向こうからのご指名だと。軍としても裁判長からの直々の要請じゃ断るわけにいかなかったんだろう」 「そりゃ、大佐はわかりますよ、焔の錬金術師で若くして大佐になった人で、若い女の子が『護衛して欲しいっ』って思うのも。でも、オレは必要ないでしょ。大佐一人で十分っスよ」 ハボックが言うのを黙って聞いていたロイだったが、暫くすると言った。 「ご指名はな、お前もなんだ」 「…は?」 「私とお前を名指しで指名してきたんだ」 「…なんで?」 「さあな」 ロイは気のない返事をすると、手元の書類に目を戻した。 「とにかくいらん仕事を回してくれたおかげで、中尉に溜まった書類をせっつかれてるんだ」 だから余計なことを私に聞くな、と書類に向かってしまったロイに、ハボックは内心それはもともと仕事を溜めたアンタが悪いんでしょ、と思ったが、口には出さずに執務室を出たのだった。 セントラルの司法局に所属する最高裁判所長官の一人娘がここ、イーストシティに観光に来る事になった。長官の娘ということで、今までも裁判の結果などに逆恨みする輩の標的になったこともあり、普段からボディガードを同行している彼女が、せっかくイーストシティに来るのだから噂の焔の錬金術師に護衛について欲しいと父親に強請り、可愛い一人娘のお願いにはめっきり甘い長官が、軍へと要請してきたのだった。期間は明日からの1週間。彼女はロイと、そうしてなぜかハボックを護衛にと指名してきていた。 (大佐はともかく、なんでオレ?) ハボックは机の上に肘をついて煙草をふかしながらぼうっと考えていた。するとその時、執務室の扉が開いてロイが顔を出す。 「ハボック」 「なんスか?」 立ち上がりもせず、視線だけをロイに向けて聞き返すハボックの姿にロイは僅かに眉を顰めたが、口に出しては他のことを言った。 「明日からの護衛だが、軍服でなくてスーツだからな」 「…はあっ?」 ぽとりと煙草を落としてハボックは素っ頓狂な声をあげた。落ちた煙草が書類に焦げ痕をつけたのを見て慌てて取り上げる。 「なんで軍服じゃいけないんスか?」 「軍服なんて堅苦しいのは嫌なんだとさ」 「だったら軍人に護衛なんて頼まないで下さいよ」 「私に言うな、私に」 そう言って執務室に引っ込んでしまおうとするロイをハボックは慌てて引き止めた。 「大佐、オレ、スーツなんて持ってません」 軍人であるだけに正式の席では礼装を着用するし、普段はそれこそジーパンにジャンパーだ。せいぜいジャケット位しか持っておらず、ネクタイなんていったいいつ使っただろうと言うほどだった。 ハボックに言われてロイは暫し考えたがハボックに向かって言った。 「1時間待て。買いに行こう。見繕ってやる」 何だか嬉しそうな顔をするロイに、ハボックはむしろ不安になるのだった。 ロイの隣でもぞもぞと落ち着かなげにスーツの裾を引っ張るハボックにロイはくすりと笑った。ハボックは情けない顔をするとロイに言う。 「どっかおかしくないっスか?」 「よく似合ってる」 ロイはそう言うと目を細めてハボックを見つめる。結局昨日仕事が終わった後、ロイが懇意にしている仕立屋に無理を言って、ハボックにあわせたスーツを新調したのだ。採寸の段階から落ち着かない様子だったハボックは、仮縫いの頃にはもうすっかり心ここにあらずといった状態で、朝になって出来上がったスーツを手にしたときは真っ青になっていた。 「オレ、こんなの買う余裕、ありませんよ」 いくらなんでもこれ、経費じゃおちないでしょ、と焦るハボックにロイはゆったりと笑った。 「プレゼントだ」 「貰う理由がありません」 ロイの言葉に即答で返してくるハボックに、ロイは少しムッとすると答えた。 「恋人にプレゼントするのに理由がいるのか?」 「こ、恋人って…」 確かにロイとは同じ家に住み、何度も肌を合わせた間柄だ。だが、面と向かってそう言われるとなんだかエラく恥ずかしい気がする。目元を染めるハボックにロイは満足げに笑うと手を伸ばしてハボックのネクタイを整えてやった。 着慣れないスーツに落ち着かない様子のハボックを楽しげに見つめてロイは言った。 「もうすぐ列車が到着するぞ」 そう言って、列車が入ってくる筈のホームを見つめる。二人は今、駅のホームでスーツに身を包み、セントラルからの列車の到着を待っているところだった。ハボックはため息をつくとロイのことをちらりと窺う。上質のスーツに身を包んだロイは、どこからどう見ても上流階級の人間であり、道行く人々が皆ロイに見惚れているような気がしてならなかった。そんなロイの隣に立つ自分はまるで借り物のような、似合わないスーツを身にまとっていて、正直こうして並んで立っているのがハボックには苦痛でしょうがなかった。 「大佐。オレ、車で待ってますから」 「どうして」 「いや、だって、その…」 答えに詰まるハボックを見つめるロイの耳に列車の到着を告げるアナウンスが届く。 「着いたぞ」 そう言って長官令嬢を出迎えに歩き出すロイの後を、ハボックは仕方なしに追うのだった。 「ようこそ、イーストシティへ」 ロイはガードマンを連れて列車から降りてきた妙齢の女性ににこやかにそう告げた。そうして自分自身と半歩後ろに立つハボックを彼女に紹介する。自己紹介を受けた女性は僅かに目を見開いてハボックを見つめていたが、すぐににこりと微笑むと口を開いた。 「初めまして。シルビア・モートンです。噂のマスタング大佐に護衛を引き受けていただけてとても嬉しいわ」 そう言うとロイのことをしっとりと見上げる。 (あ、ヤダな…) ハボックはそんな彼女の視線に咄嗟に浮んだ考えに慌てて首を小さく振った。 (何考えてんだ、オレ…) シルビアを連れて歩き出すロイの後ろに従って、ハボックはため息をついた。用意してあった車の所まで来ると後部座席の扉をあけてシルビアとロイを乗せる。そうしてハボックは、運転席に座ると重い心を抱えたままアクセルを踏み込んだのだった。 まずはロイたちが普段働いている東方司令部が見てみたいというシルビアに、ハボックは司令部の前に車をつける。警備兵に車を預けると、既に建物の中に入りかけている二人の姿を慌てて追いかけた。美男美女でお似合いの2人に、ハボックは小さくため息をつく。将軍に挨拶をする2人を待つため、将軍の執務室の前で待つハボックの姿を見て、なにやら囁きながら通り過ぎていく女子職員たちの様子に、ハボックは恥ずかしくて居た堪れなかった。 (似合わないカッコしてるって思われてんだろうな…) ハボックはそう思うと顔を上げていられず、まるで悪戯をして立たされている子供のように俯き加減でロイたちが出て来るのを待っていた。 がちゃりと扉が開く音がして、執務室から出てきたシルビアと目が合う。ほんの一瞬ハボックを見つめたシルビアだったが、すぐロイの方をみると今度はロイの執務室が見たいと言い出した。 「ハボック、行くぞ」 「…はい」 肩越しに言って歩き出すロイの姿をハボックは慌てて追いかける。そんなハボックを見つめる幾つもの熱い視線がある事に、ハボック自身はまるで気がついていなかった。 ロイの執務室で笑いながら話し合う二人のところへ、ハボックはコーヒーを淹れると持って行った。甘いバニラの香りにシルビアが軽く目を瞠る。 「あら、バニラの香り…」 シルビアの前にカップを差し出しながら、ハボックはシルビアを見上げて言った。 「スミマセン、嫌いでしたか?」 余計なことをしてしまったろうかと気遣うハボックにシルビアは軽やかに笑うと答える。 「いいえ、大好きなの。嬉しいわ」 「ヨカッタです…」 ハボックは小さな声で答えると、そそくさとその場を後にしようとする。そんなハボックにシルビアが声をかけた。 「いつも女性にはこんな風にサービスするの?」 「は?いや、女性にコーヒーなんて淹れたことないっスから」 「あら、じゃあ特別ってことかしら」 「はあ、まあ…」 ハボックは居心地悪そうに答えると、失礼します、と執務室を出て行く。そんなハボックを見つめてシルビアは楽しそうに口を開いた。 「やっぱり、カワイイっ」 そういうシルビアにそれまで黙っていたロイは徐に口を開いた。 「一つお伺いしたかったのですが」 どうしてわざわざ2人を指名してきたのかと聞くロイにシルビアはにっこり微笑むと答える。 「そりゃあアメストリス軍の中でも有名なマスタング大佐に是非、お会いしたかったし、それに」 とシルビアはほんのり頬を染めると言葉を続けた。 「偶然軍の広報誌でハボック少尉がマスタング大佐と一緒に写ってるのを見たんです。ちょっと好みだったから会ってみたくて」 会ってみたらやっぱり好みだったわ、とはしゃぐシルビアに、ロイはムッと眉を顰めた。 (油断ならんな、全く) ロイが2人から目を離さないようにしなくては、と思っているところへ執務室の扉がノックされる。扉が開いてフュリーが顔を出すとロイに言った。 「お話中、申し訳ありません。大佐、将軍がお呼びです」 「今でないとだめなのか?」 「なんだか急ぎみたいなんですけど」 ロイはちっと舌打ちすると立ち上がってシルビアに言った。 「申し訳ありませんが、少しここでお待ち下さい」 そう言うとロイは足早に執務室を出る。そうして司令室の窓辺で手持ち無沙汰に立っているハボックを呼んだ。 「ちょっと将軍のところへ行って来る。悪いがここで待っててくれ」 「わかりました」 「ああ、それとハボック」 ロイは司令室を出る直前にハボックを振り向くと言う。 「絶対に彼女と二人きりになるなよ。わかったな」 「は?はあ…」 突然そんなことを言われて、ハボックはきょとんとしたが意味を尋ねる前にロイが出て行ってしまったので仕方なしに頷いた。執務室で一人きりになっているであろうシルビアの話し相手でもした方がいいのかとも思ったが、たった今二人きりになるなと言われたこともあり、ハボックが迷っている内にシルビアが執務室から出て来た。 「ハボック少尉」 「あ、すみません。大佐が戻ってくるまで少しお待ちいただけますか?」 ハボックが慌ててシルビアにそういうと、シルビアはにっこり微笑んで答える。 「この近くにアクセサリーのお店があるでしょう。そこに行きたいのだけれど」 「わかりました。じゃあ、大佐がもどったら…」 「あら、すぐそこですもの。大佐を待ってる間に覗いてくればいいわ」 「え、いや、でも…」 困った顔をするハボックをシルビアは内心可愛くて仕方ないと思いつつ、その腕をとると言った。 「いいじゃない、ちゃんと行き先を言っておけば、ね」 そして近くにいたファルマンに店の名前を告げるとハボックの腕をぐいぐいと引く。 「あの、でも、待ってないと…」 困り果てるハボックにシルビアは「いいからいいから」と楽しげに笑うと、2人はそのまま司令室を出て行ってしまった。 |
→ 後編 |