第九章


「慌ただしい奴だな」
 バタンと乱暴に閉まった扉を見ながらロイが大袈裟にため息をつく。やれやれと椅子に戻るロイをヒューズは昏い瞳で食い入るように見つめた。
『ハボック、お前、もう少し落ち着いて書類を書け。字が踊ってるぞ』
『そんな事ないっスよ、普通の字っしょ?』
『踊ってるから言ってるんだ』
 先程の二人の楽しげなやり取り。軽口を叩き合う何でもないやり取りにも深い情愛が滲む気がする。ヒューズは書類に伸ばすロイの手をじっと見つめた。
『顔色が悪いぞ。一度ちゃんと見て貰った方がいいんじゃないか?』
 ハボックの髪を掻き分け額に触れたロイの手。何の躊躇いもなく触れる様が普段からそれが当然なのだと伝えているかのように思えて、ヒューズは爪が刺さるほど手を握り締めた。
(あの手でいつもハボックを)
(ハボックはあの手にいつも乱されているのか)
 焔を生み出す指先でハボックの躯にも焔を灯していっているのかと思えば、大声で叫び出しそうになるのをヒューズは必死の思いで押さえ込んだ。
「それで?ヒューズ。今度は何の用事でこっちに来てるんだ?つい先日来たばかりだろう」
 そんなにセントラルを空けていていいのかと尋ねるロイにヒューズは唇を歪めた。
(そんなに俺が)
「邪魔かよ」
「えっ?」
 飲み込みきれずに零れた低い声にロイがキョトンとする。
「なんだって?」
 それでもよく聞こえなかったようで聞き返す言葉にヒューズはいつもの笑みを浮かべた。
「何でもねぇよ、それより」
 と、ヒューズは言いながらロイの机に手をつく。見上げてくる黒曜石を覗き込んで囁いた。
「なぁ、ロイ。ハボックを俺にくれよ」
 そう告げれば目の前の黒曜石が大きく見開かれる。ロイは見開いた瞳でヒューズを見返したが、すぐに笑みを浮かべて答えた。
「何を突然言い出すかと思えば、この間の調査の話か?それならお前のところに幾らでもうってつけなのがいるだろう?」
 ロイはゆっくりと姿勢を正し、机の上に組んだ両手を載せてヒューズを見つめる。その黒曜石に浮かぶのが何か、見極めようとするように真正面から見つめ返してヒューズは言った。
「人手が足りないんだよ、人数はいてもお前んとこみたいに何でもこなせる優秀なのはなかなかいなくてな」
「人手が足りないならこんなところに来てないで早く戻ったらどうだ。そもそもうちよりセントラルの方が人材は豊富なはずだろう?」
「ロイ」
 言葉を重ねていくうち明らかに不快そうな色を強めるロイの瞳を見つめてヒューズは親友である筈の男を低く呼ぶ。
「頼むよ、ロイ。俺みたいなクセのあるやつと上手くやっていける人間ってのは少ないんだよ」
「ウソつけ。お前の方が私なんかより学生時代から余程人当たりも人付き合いも良かったろうが」
 今では笑みを消して明らかに不愉快だという表情を浮かべてロイが言った。
「用件がそれなら悪いが協力出来んな」
 はっきりと断りの言葉を口にするロイをヒューズはじっと見る。
「ロイ、お前忘れてねぇか?あの件はお前んとこにも関係のない話じゃないだろう?それにお前には幾つか貸しがあった筈だぜ?」
 痛いところを突かれてロイが眉を顰めて黙り込んだ。それでもロイは何とか気を取り直して口を開く。
「それならブレダ少尉かファルマン准尉を」
「ハボックがいいんだ」
 他の部下の名前を口にするロイを遮ってヒューズが言った。
「それともハボックだけは出せない理由があるのか?」
 そう言いながらじっと見つめれば黒曜石の瞳が大きく見開かれる。困惑と焦りとそして怒りとを滲ませたそれをフイと逸らして、ロイは吐き捨てるように言った。
「勝手にしろ」
「ああ。――――サンキューな、ロイ」
 とってつけたように礼を言うヒューズをロイが睨みつける。何か言おうとして一度唇を噛むと、恐らくは違う事を口にした。
「用が済んだらさっさと返せよ」
「どうするかな」
「おい」
「意外とハボックの方が帰りたがらないかもしれないぜ?」
 薄く笑みを浮かべて言えば目を見開いたロイがゆっくりと立ち上がる。
「ヒューズ」
 と、ロイが口を開きかけた時、コンコンと扉を叩く音がした。


2012/06/11


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