| 第十章 |
| 言いかけた言葉を飲み込んだロイがノックに答えると、書類を手にしたフュリーが入ってくる。差し出された書類を受け取ったものの険しい表情で立ち尽くすロイをフュリーが訝しげに見た。 「大佐?どうかされましたか?書類に不備があります?」 「――――いや」 どこか拙いところがあったろうかと手元を覗き込んでくるフュリーに、ロイがハッとして答える。乱暴な仕草で椅子に腰を下ろし書類の中身を確認してサインを認めるロイを見ながらヒューズが言った。 「フュリー曹長、わりぃけどハボック呼んできてくれるか?」 「あ、はい」 「ロイから話があるんだよ」 「判りました」 ヒューズの言葉に頷いたフュリーは、視線を向けた先のロイの表情が不機嫌に歪むのを見て慌てて執務室を飛び出す。どこに行ったんだとあちこち探して、トイレを覗いたフュリーはハボックが手を洗っているのを見つけてホッと息をついた。 「ハボック少尉、大佐が呼んでますよ」 そう声をかけたがゴシゴシと手を洗っているハボックは答えない。無言のまま手の皮が剥けてしまうのではと思えるほど力を入れて手をこするハボックの様子に、フュリーは眉を顰めた。 「あの……ハボック少尉?」 もう一度声をかけてもハボックは答えないどころか顔も上げない。ザアザアと水を流し力任せに手をこすり続ける姿がどこか異様で、フュリーはゴクリと唾を飲み込んだ。それでも気を取り直し息を吸い込む。さっきよりは大きな声でハボックに呼びかけた。 「ハボック少尉!」 漸く声が届いたのだろう、その声に今度はハボックの肩が声をかけた方がギョッとするほど大きく跳ね上がる。まん丸に見開いた瞳でハボックが振り向けば、フュリーは顔をひきつらせて笑みを浮かべた。 「あー、えと、驚かせてすみません。何度も呼んだんですけど」 「ご、ごめん……、ちょっと考え事してて……」 普段の陽気なハボックとはまるで違う酷く取り乱した様子にフュリーは首を傾げる。 「何か拙い事でもあったんですか?顔色悪いですよ?」 思わず心配してそう言いたくなる程様子がおかしいハボックにフュリーが眉を寄せれば、漸くハボックが笑みを浮かべた。 「別になんともないよ。大佐、なんだって?」 「さあ、話の内容まではちょっと」 いつもの調子で返事が返ってフュリーはホッとしつつ答える。 「そっか、まあ、行きゃ判るな。サンキュー、フュリー」 ハボックはそう言って濡れた手をパッパッと振って水気を払うとフュリーの脇をすり抜けてトイレを出る。足早に廊下を歩いて司令室に戻り、大部屋を抜けて執務室の扉を叩いた。 「ハボックっス、大佐、呼んでるってなんの用っスか?」 いつもの癖でおざなりなノックの後、ハボックは返事も待たずに扉を開く。ロイが座る執務机に歩み寄ろうとして、上官の顔がいつになく不愉快そうに歪められている事に気づいた。 「大佐?」 一体どうしたんだろうとハボックは大振りな机に手をついてロイの顔を覗き込む。返事がないのを訝しんでもう一度呼ぼうとした時、聞こえた声にギクリと身を強張らせた。 「ロイは言いたくないみたいだから俺から言ってやるよ」 「ヒューズ中佐っ?」 声がした方を振り向けば、窓に寄りかかるようにして立っていたヒューズがゆっくりと歩み寄ってくる。ハボックが目を見開いて見つめればヒューズが笑みを浮かべた。 「そんなにビックリすることねぇだろう?少尉」 「あ……いや、だって気配がしなかったから」 ロイが呼んでいると聞いて執務室に入る時からヒューズはいないものだと思い込んでいた。その上気配を消されていてはいくらハボックと言えど気づきようもない。ハボックがもごもごと言い訳めいた事を口にすれば、ヒューズは肩を竦めて言った。 「まあ、いい。でな、少尉。お前さん、セントラルに長期出張だから」 「……は?」 「俺んとこに期限未定で出張。直ぐに出る用意しろ」 ハボックはそう言うヒューズの顔をポカンとして見つめる。三回頭の中で繰り返してやっとヒューズの言葉の意味を理解したハボックは、振り返るとロイの机をバンッと叩いた。 「長期出張っていきなりなんスかっ?!そんな事突然言われたって困りますッ!」 「ハボック」 目を吊り上げて喚くハボックをロイが顔を歪めて見上げる。ハボックはそんなロイに顔をズイと近づけて言った。 「なんで?オレなんか大佐の気に障る事しました?護衛外されなきゃなんないような事なんか?それとも小隊任せらんないって事?」 「そうじゃない、ハボック」 「だったらなんでっ?」 ヒューズのところに行かされると聞いて、すっかりパニックに陥ったハボックは必死の思いで喚き続ける。その時、ゆらりと怒気が空気を震わせた。 「そんなに俺のところに来るのは気に入らねぇか?」 低い声が背後から聞こえて、ハボックはギクリと身を震わせる。肩越しにヒューズを見たハボックは眼鏡の奥の昏い常盤色に息を飲んだ。 「そういう訳じゃ……」 「ならどういう訳だ?」 そう尋ねられてハボックは言葉を失う。まさかヒューズへの気持ちを口にするわけにはいかず、ハボックは唇を噛んだ。 (だって……中佐の側にいたらオレ……) いつか表に出すべきでない想いを口にしてしまうかもしれない。ヒューズの熱を知って、いけない事だと嫌と言うほど判っていてなお抱いて欲しいと強請ってしまうかもしれない。 「ヒューズのところで例の調査の手が足りんと言うのでな。お前に行って貰おうと思う」 「大佐」 ロイが言えばハボックが縋るようにロイを見る。だがロイは乱暴な仕草で立ち上がると、それ以上なにも言わずに執務室を出て行ってしまった。 (そんな……) ついさっき己がしていたことを思えば、気持ちを隠し続ける自信などまるでない。 「ハボック」 途方に暮れて立ち尽くしていたハボックは、背後から聞こえた声に大きく身を震わせた。 2012/06/30 |
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