見毛相犬2  第三十四章


「────ッ」
 歯でピンを引き抜いたラズナーにハボックは物もいわずに飛びかかる。無言のまま手榴弾を握るラズナーの手をレバーを押さえるように握り締めた。
「ッ、離せっ、ハボック……ッ」
「離しませんッ!!」
 レバーを離せば数秒で手榴弾は爆発する。間近から睨んでくるラズナーを見つめ返してハボックは言った。
「頼むからもうやめてください、お願いっスから……」
「なら手を離せ。そうすれば終わりになる」
「だからッ!そんなこと望んじゃいないんだったらッ!!」
 ハボックは大声を張り上げて手榴弾を握ったラズナーの手を捻る。力任せに捻れば苦痛に顔を歪めたラズナーの手が弛み、ハボックは手榴弾を奪い取った。
「大佐っ、早くッ」
 ハボックの手に手榴弾があるのを見たロイが声を張り上げる。奪い取った手榴弾をハボックが崖の向こうに投げ捨てようとした時、伸びてきたラズナーの手がハボックの腕をグイと引いた。
「ッ?!」
 引かれた拍子に弛んだハボックの手から手榴弾がポロリと落ちる。コロリと転がった手榴弾から飛び退るように後方へと地面を蹴ったハボックとすれ違うように、ラズナーが前に飛び出した。
「ッ!少佐ッ!!」
 ハボックは咄嗟に目の前を(よぎ)る青い軍服に手を伸ばす。掴んだ布地を思い切り引っ張った時、地面に転がる手榴弾がカッと目映い光を放った。


 ドオンッ!と大きな音が空気を震わせる寸前、発火布を填めたロイの指が擦り合わされる。いつの間にか弱くなっていた雨をくぐり抜けるように放たれた焔の龍が、ハボックとラズナーに襲いかかる手榴弾の火炎を遮るように立ちはだかったが、衝撃を全て押さえ込む事は出来ず、二人の体は爆風に吹き飛んだ。
「うわあッ!!」
「大佐ッ!!」
 ゴロゴロと数回転して地面を転がったハボックは崖ぎりぎりのところで止まる。同じように転がったラズナーの体がガードレールの切れた箇所から飛び出そうとするのに向かって、ハボックは腕を伸ばした。
「ッッ!!」
 ギュッと掴んだ軍服の端がラズナーの重さでビリビリと破けていく。ハボックは這うようにして崖から身を乗り出して必死に布地を手繰った。
「ラズナー少佐ッ!!」
 崖から半身を乗り出すようにして見下ろす先に、ラズナーが見える。ハボックの呼びかけに顔を上げたラズナーの手を掴もうと、ハボックはもう一方の腕を伸ばした。だが。
「これで終わりだ、ハボック」
 ニッと笑ったラズナーが伸ばされたハボックの腕を振り払う。その拍子にラズナーの体を支えていた布地がビリビリと裂けた。そして────。
 ハボックの手に軍服の切れ端を残してラズナーの体が崖底へと落ちていく。慌てて伸ばしたハボックの手は宙を掴み、鮮やかに笑うラズナーの顔が遠ざかって。
「ラズナー少佐……ァッ!!」
 ハボックの悲鳴が山間(やまあい)の谷に木霊した。


『雨、やんできたっスね』
 窓際の席、向かい合わせでコーヒーを飲んでいればハボックがそう言って窓の外へ目を向ける。それにつられるように視線を向ければ雲の隙間から綺麗な空色が覗いているのが見えた。
『あっ、少佐、虹!』
 子供のような声を上げてハボックが指さす。その先の空に掛かるうっすらとした虹を見たラズナーの耳にハボックの声が聞こえた。
『雨宿りしてよかったっスねぇ。色々話せて虹も見られてコーヒーも旨かったし。また来ましょうね、少佐』
 そう言って笑う空色を目を細めて見つめたラズナーは、答えようと口を開いた。


 己の名を呼んで腕を伸ばす彼の顔が遠ざかっていく。見開く空色に記憶を呼び覚まされたラズナーの瞳に、雲の隙間から覗く空色とうっすらと浮かび上がる虹が映し出されて。
「────」
 その空を掴もうと手を伸ばしたラズナーの体が深い緑の中に吸い込まれていった。


「ハボック大佐」
 執務室の扉をノックして中に入ったロイは窓辺に佇むハボックに気づいて足を止める。じっと見つめていれば、ハボックが外へ向けていた視線をロイに向けた。
「まだ仕事っスか?もう定時だし今日は勘弁してくださいよ」
 苦笑して言うハボックにロイはゆっくりと近づく。窓の外へ目を向けて言った。
「ソトという現場監督ですが解任されて後任が後を引き継ぎました。業務内容の見直しが行われて労働環境もだいぶ改善されたようです」
「……そうっスか、ならよかった」
 労働環境が改善されたならあのような事故が起こることもなくなるだろう。ハボックはホッとした笑みを浮かべると窓の外へ視線を戻した。


 あの日、自力ではどうする事も出来ず急ぎ山を下りたハボックたちの要請で行われた捜索で、ラズナーは発見されなかった。ラズナー達が行っていた不正の証拠は車と一緒に燃えてしまい、結局その件でラズナーやソトを立件する事は出来なかった。そして。
 ハボック達が乗った車が崖下に転落し、ラズナーが谷底に落ちた件についてはハボックが頑として事故だと言い張ったため、結局ハボックの証言通り事故として処理された。


「……降ってきたっスね」
 窓の外を見ていたハボックが呟くように言う。そうすれば同じように外を見ていたロイが答えた。
「通り雨でしょう。朝のラジオでそう言っていましたから。少し待っていればやみますよ」
 そう言えばハボックの視線を感じてロイは窓の外へ向けていた目をハボックに向ける。尋ねるように見つめればハボックが言った。
「前にね、オレ、ラズナー少佐と一緒に茶店で雨宿りしたことがあるんスよ。やっぱり今みたいにすぐやむだろうってラズナー少佐が言って、誘ったんです、コーヒー飲みながら雨がやむの待とうって」
 ハボックはそう言って窓の外へ目を向ける。ロイが黙ったまま待っていればハボックが続けた。
「まだ少佐のとこに配属されたばっかの頃で……楽しかったなぁ。少佐はあんまり喋る人じゃなかったからオレが一方的に喋ってる感じだったけど、少佐は嫌な顔せず聞いてくれた。コーヒーは旨かったし、そのうち雨がやんで虹が見えて……。あんまり楽しかったからオレ、少佐に言ったんスよ、また一緒に来ましょうって」
「冗談じゃないって返されたんじゃないんですか?」
 あのラズナーならくだらん事を言うなと一蹴したのだろうか。そう思って聞いたロイにハボックは切なそうに笑っただけで、ラズナーがどう返したのかは答えなかった。
「結局その後一度もそういう機会はなかったっスけどね」
 と残念そうに空を見上げるハボックの横顔を見つめていたロイは、空に視線を移して言った。
「雨宿りしていきませんか。丁度コーヒーが飲みたいと思ってたんです」
 どうです?と尋ねるロイを無表情のまま見つめたハボックがニッコリと笑う。
「そうっスね。行きましょう」
 そう言って頷き合うと二人は執務室を出ていった。


『     』
ラズナーの答えを聞いて空色の瞳が笑う。雨がやんで雲の隙間から青空が覗く空に、大きな虹がかかっていた。


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◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

りんさまから「見毛相犬の続き」をリクエスト頂きました。今回は例によってオリキャラに出張って貰いました(苦笑)ラズナーはハボックに恋愛感情はないと思っています。ただ、ハボックの素直で純粋なところが彼にはとても眩しかったのではないかなぁと。いつの間にか望む方向とは違う方向へ自分が変わっていってしまったことで、ハボックとの溝が埋められなくなってしまったのだとラズナーが思い込んでいたんだと思います。ラズナーがハボックに何と答えたか、考えてあるのですが敢えてブランクにしました。その答えはハボックだけが知っていればいい事なので…。それにしても相変わらず長いばかりでどうも今一つハボック大佐が活躍しきれてない気がします(苦)取りあえずのんびりハボック大佐と女房役のマスタング少佐のやり取りを楽しんで頂けたらと思っております。「見毛相犬」は自分としても好きな設定なので、書く機会を下さったりんさま、ありがとうございましたv