見毛相犬2  第一章


「大佐、マスタングです。失礼します」
「えっ?!や、ちょっと待っ───」
 中から慌てた声が返るのも構わず、ロイは書類を手に執務室の扉を開ける。そうすれば窓にはまった鉄格子の間をくぐって出ていこうとするハボックと目があった。
「大佐」
「あー、えっと……そうっ、窓を拭こうと思ってッ」
 窓にかけていた足をそろそろと床に下ろしたハボックは、ポケットから丸めたハンカチを取り出して格子の間が不自然に開いた箇所から手を突っ込み窓をこする。ロイはそんなハボックにスタスタと近づくと、窓を拭く手と反対の方のハボックの手に己のそれを差し出した。
「それを寄越してください」
「えっ」
「直しますから」
 早く、と急かされてハボックは背中の後ろに隠し持っていた物をロイに差し出す。おずおずと差し出されたものを、ロイは受け取って目を細めた。
「まったく性懲りもない」
 切り取られた鉄格子を見つめてロイはピシリと言う。言われて小さく身を縮めたハボックは、鉄格子を手に窓に近づくロイを見ながら言った。
「会議は一時間後だったっスよね?来るの早くないっスか?」
「一時間も放っておいて逃げ出される訳にはいかないですから」
 そう言われればまさしく逃げ出そうとしていた身としては返す言葉がない。せっかく外した格子を元通り錬成し直すロイにハボックは言った。
「それ、外しませんか?」
「は?」
「いや、せっかくの綺麗な空が格子越しじゃあ勿体無いじゃないっスか」
 だから、ね?と笑うハボックをロイは呆れたように見る。こんな格子をつけてさえ窓から抜け出そうとする男を前に外せる訳がない。
「窓を分厚い鉄板で覆ってもいいんですよ?」
「そ、それはちょっと……」
 冷たく言われてハボックは情けなく眉を下げる。
「いいです、格子越しで」
「結構です」
 ロイはそう言ってハボックに書類を差し出した。
「サインをお願いします」
「サインなら少佐がしても変わらないんじゃねぇっスか?つか、その方が」
「サインをお願いします」
 繰り返し言われてハボックは「うっ」と詰まる。すごすごと執務机の椅子に腰を下ろしロイが差し出す書類を受け取った。
「……はい」
 嫌々サインを認めてハボックは書類を返す。それを受け取ってロイはミミズの行列を確かめハボックを見た。
「では、会議までの間たまった書類の処理をお願いします」
 ロイはそう言うとソファーに腰掛け書類をめくり始める。そんなロイを見てハボックが眉を寄せた。
「ええと、別にそこにいて貰わなくてもちゃんとやるっスよ?」
「どうせ会議には一緒に出席しなくてはなりませんから。気にせず仕事をしてください」
「気にせずって……」
 こんなに存在感のある人間が如何にも見張っていますオーラをまき散らして座っているのを気にしないでいられるわけがない。だが。
「なにか問題でも?」
「……なにもありません」
 ジロリと黒曜石の瞳で睨まれれば、大人しくサインをするしかないハボックだった。


「やっと会議の時間っスね」
 咥え煙草でポケットに手を突っ込んでどこか楽しそうに歩くハボックを、並んで廊下を歩いていたロイが見上げる。
「なんだか嬉しそうですね」
 あまりに嬉しそうな様に意外に思って思わずそう言えばハボックが答えた。
「そりゃあサインするより会議の方がなんぼかマシっスもん」
「言っておきますが、会議の席で鼾なんてかいたらシメますからね」
「……全力で臨ませていただきます」
「なら結構」
 たかが会議に全力もなにもないものだと思いながらもロイは言う。その時、廊下の角から出てきた男とぶつかりそうになってロイは慌てて相手を見た。
「失礼」
 相手の肩章が己と同じ少佐だと見て取って、ロイはそれだけ言う。だが、ぶつかりそうになったのはお互い様の相手はロイには答えず並んで立つハボックを見た。
「これはハボック大佐。ご無沙汰しております」
「ラズナー少佐」
「そういえば東方司令部の司令官になられたのでしたね。ご栄転おめでとうございます。お祝いが遅くなり申し訳ありません」
 そう言って男は頭を下げる。ハボックは困ったように頭を掻きながら言った。
「いや、そんなお祝い言われるほどのことじゃねぇっスし」
「どうしてです?東方司令部の司令官といえば素晴らしいではありませんか。たかが南方の一介の少佐の私とは雲泥の差だ」
「そんなことはねぇと思うっスけど……あ、それよりラズナー少佐はどうしてこちらへ?」
 ハボックが話題を変えようとそう言えばラズナーはハボックをじっと見つめた。
「会議のためです。出席者名簿をご覧になってないようですな。やはり司令官ともなるとお忙しくてたかが会議の出席者など注意を払う暇もないのでしょうね」
「やっ、そう言う訳じゃっ」
「お忙しい司令官殿をこれ以上引き留めては申し訳ない。失礼します」
 ラズナーはそう言い捨てて軽く会釈するとプイと顔を背けて行ってしまう。その背をハボックと共に見送って、ロイは思い切り顔を顰めた。
「誰です?あの無礼な奴は」
 幾らハボックが相手とはいえ流石に腹を立ててロイが聞く。そうすればハボックが肩を竦めて答えた。
「パトリック・ラズナー少佐っス。南方司令部にいた頃のオレの上官で」
「え?」
 ハボックの言葉に驚いてロイは傍らの上官を見上げる。ハボックはその長身が勿体無いほどに背を丸めて言った。
「オレはこんなだからあの人とは反りがあわなくて。いつも糞味噌に言われてたんスけど、ほら、オレの方が先に昇進しちまったもんだから風当たり強くて」
 あはは、とハボックは笑って続ける。
「実際ラズナー少佐の方がオレより何倍も出来る人っスから。仕方ないんすけどね」
 そう言って頭を掻くハボックをロイは睨むように見つめた。
「ラズナー少佐の事は知りませんが、貴方にだって彼に劣らないだけの能力はある。少なくとも私は自分の上司があんな風に言われるのは我慢ならない」
「少佐」
「貴方も貴方だ。そうやっていつもヘラヘラしているから軽く見られるんです」
 ロイはキッとハボックを睨んで言うとスタスタと歩いて先に行ってしまう。
「ええと」
 ロイの言葉にどう答えていいか判らず頭を掻いていたハボックは。
「少佐ぁ、待ってくださぁい」
 情けなくロイを呼びながら後を追いかけたのだった。


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