第五話


『うわあっ』
 ハボックに引っ張られるままドッグランに着けば、ハボックが空色の瞳を輝かせる。そのまま駆け出そうとするハボックに引きずられそうになったヒューズが、慌てて足を突っ張ってリードを引いた。
「ハボック、待て!ルールを忘れたか?」
『あっ、そうだった』
 ヒューズの声にハボックはピタリと脚を止めると今までのはしゃぎようが嘘のように行儀よくヒューズの前に座る。「よし」と頷いたヒューズの瞳が私に向けられたのを見て、私は一つ欠伸をするとハボックの隣に腰を下ろした。
「お前らを足して二で割ると丁度いいんだがな」
 やれやれと苦笑してヒューズが言うのを聞いて、私は思い切り顔をしかめる。コイツと足されるのなんて真っ平だと思いながらハボックを見れば、空色の瞳がにっこりとわらって私を見返した。
『大佐と足すんですって』
『お前が落ち着きがないからだろう?私は一人で完結してるんだ』
 嬉しそうに言うハボックに冗談じゃないと返せば、ハボックがしょんぼりと項垂れる。それでもドッグランへの期待にすぐ立ち直って、ハボックはヒューズを見上げた。
「よし、行くぞ」
 ハボックが落ち着いたのを見てヒューズが歩き出す。ゲートの係員が私達を連れたヒューズを見て笑みを浮かべた。
「こんにちは、ヒューズさん」
「よう、コイツら、遊ばせて貰うぜ」
 ヒューズは言って登録証を見せる。ゲートを抜けると私達は一番大きな広場へと向かった。
「ハボック、まだだからな」
 中に入ってもリードはすぐには外されない。飼い主の言うことを聞けない犬はリードを外して貰えないからハボックはワフンと答えてヒューズの側で止まった。それでもフサフサの尻尾が大きく揺れているのを見れば、ハボックが走り出したくてウズウズしているのが判る。そんなハボックの様子にヒューズはクスクスと笑った。
「少し歩くぞ」
 そう言って歩き出すヒューズについて私達はゆっくりと広場の中を歩いていく。もうリードを外されて自由に走っている他の犬を羨ましそうにチラチラと見ながらハボックが言った。
『ねぇ、大佐。最初になにやるっスか?シーソー?ハードル?』
『シーソーもハードルも嫌いだ。やりたければ一人でやれ』
『えーッ』
 素っ気なく答えればハボックが不満の声を上げる。それには知らん顔で広場を歩いていくと、ヒューズが足を止めた。
「ハボック、はしゃぎ過ぎるなよ」
 そう念押ししてヒューズはハボックのリードに手を伸ばす。ハボック、私と順番にリードを外してヒューズが笑った。
「よし、いいぞ」
『わあい!じゃあ行ってくるっスね、ヒューズさん!』
 ハボックはワンと一言吠えるとタタタと数歩歩く。どこへ行こうと迷うように辺りを見回すハボックを横目に、私は大きく息を吸い込んだ。
 春の暖かい空気の中に沢山の花の香りが混じっている。柔らかなその匂いを体の中に取り込んだ私はタンッと地面を蹴って走り出した。
『あっ、大佐っ?待って!』
 ハボックが驚きの声を上げたが構わずスピードを上げる。そうすれば周りの景色がぐんぐんと後ろへ流れていった。
 気持ちいい。花の香りを含んだ空気が私が走り抜けると微かに震えて渦になって後ろへと吹き抜ける。私は旋風のように辺りの空気を震わせて広場を駆け抜けた。
『ふう』
 広場の端までくると私はゆっくりと足を止める。改めて周りの景色に目をやると雪柳が白い花を重そうにいっぱいつけているのが見えた。
『大佐ぁ』
 その時、足音がしてハボックの声が聞こえる。振り向くとハボックがわふわふ言いながらこちらへと駆けてきた。
『酷いっスよ、待ってって言ったのに』
『お前はシーソーかハードルがしたいんだろう?やればいいじゃないか』
 むくれるハボックにそう返せば更にむくれる。
『一人で遊んでもつまんないっスもん』
 そう言って前足で地面を掘るハボックにフンと返して私は歩き出した。
『あ、大佐』
 そうすればハボックが慌ててついてくる。ハボックはまとわりつくように私の右につき左について言った。
『走るんスか?だったら駆けっこしましょうよ』
『嫌だ』
『えーっ、そんな事言わずに勝負、勝負!』
 そんな事を言うハボックを私は足を止めて見る。期待に満ちた瞳を向けるハボックに私は言った。
『勝負だと?懲りない奴だな。またコテンパンにやられたいか?』
 ハボックはドッグランに来る度勝負と称して駆けっこをしたがる。だが今まで一度たりと私に勝った事はなかった。
『グレイハウンドは最速のスプリンターだ。何度勝負しようと結果は見えている』
『でも、もしかしたら勝つかもしれないじゃないっスか』
『万に一つもないと思うがな』
 悪いが手を抜いてやるつもりもないからハボックが 私に勝てるとは思えない。それでもしつこく勝負勝負と繰り返すハボックに根負けして私はため息混じりに頷いた。
『一回だけだからな』
『わあい、ありがとう、大佐っ!』
 渋々ながらの返事にもハボックは嬉しそうに答える。空色の瞳を輝かせて、ハボックは私を見つめて言った。
『オレ、大佐と一緒に走るの大好き!すっげぇ気持ちいいんスもん』
『……一緒に走るんじゃなくて勝負だろう?』
 きらきらと空色の瞳を輝かせて言うのを見れば何だかどぎまぎして、私は目を逸らしてぶっきらぼうに言う。だがハボックは気にした風もなく私に並んで正面を見据えた。
『じゃあ行くっスよ』
 そう言うハボックのこれから始まる勝負への興奮に染まる瞳の美しさに一瞬目を奪われる。
『用意、ドン!』
 次の瞬間聞こえた声にハッとして、私は先に飛び出したハボックを追って走り出した。
『この……ッ』
 絶対負けるわけには行かないと前を走る金色の獣を追う。柔らかな毛並みを風に揺らして走るハボックに並んだ私はギリギリのところでハボックを追い抜いた。
『ああ!勝てると思ったのに!』
 半歩遅れてゴールしたハボックが悔しそうに言う。私はハッハッと息を弾ませて言った。
『フン、不意打ちすれば勝てるとでも思ったか』
『大佐、息あがってるっスよ』
 正直ちょっとヤバかった。だがそれは押し隠して、甘いなと余裕ぶってみせる私にハボックが言う。私はムッと鼻に皺を寄せてハボックを睨んだ。
『なんだと?負けて悔しいからっていい加減な事を言うな』
『別に悔しくないっスよ?言ったっしょ?オレ、大佐と一緒に走るのが大好きなんスもん。すっげぇ楽しい!』
 ハボックはそう言って楽しそうに笑った。
『ねぇ、大佐。もう一回走りましょう』
『……仕方ない、もう一回だけだぞ』
『やったぁ!』
 不承不承答えれば嬉しそうな声が返ってくる。
 その後私達はヒューズに呼ばれるまで、春の空気の中広場を思い切り駆け回った。


2013/04/06


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