風の行く先   第一章


「失礼しまーす」
 コンコンとノックしてハボックは扉を開ける。執務室の中では例によってロイが書類に埋もれていた。
「大佐、これにサインお願いします」
「そこの箱に入れておいてくれ」
 書類を差し出せば顔も上げずにそう返されて、ハボックは眉を下げる。
「でもこれ、急ぎなんス。先にサインください」
 ハボックがそう言うのを聞いて、書類を書き込んでいたロイの手の動きが止まる。顔を上げたロイに睨まれて、ハボックは「すんません」と視線を落とした。
「仕方ないな、特別だぞ」
 ロイはため息混じりに言ってハボックの手から書類を引っ手繰る。ホッと息を吐いて顔を上げたハボックの視線の先、ロイはサッと書類に目を通してさらさらとサインを認めた。
「ほら、持っていけ」
「あ、ありがとうございますっ」
 見上げてくる黒曜石の瞳にドキリとしながら、ハボックは差し出された書類を受け取ろうと手を伸ばす。慌てて差し出した手がロイの手を掠めて、ハボックは思わず掴みかけた書類から手を離してしまった。
「あっ」
 タイミング悪く互いに手を離してしまった書類は必然的に支えをなくして床に落ちる。ハボックは慌ててしゃがみ込むと散らばった書類をかき集めた。
「すんませんっ」
「なにをやってるんだ、お前は」
 やれやれとため息をついてロイは言う。集めた書類をひぃふぅみぃと数えて、ハボックは眉を寄せた。
「あれっ?一枚足りない」
「なんでちゃんと留めておかないんだ」
 留めてあれば落としたところでバラバラにならないだろうと言われて、ハボックは書類を探しながら答えた。
「急ぎだったもんで、つい」
「ちょっとした手間を省くから余計な手間がかかるんだ」
「すんません」
 言われてハボックは首を竦める。机の下、ロイの足下の近くに書類が落ちているのを見つけて、ハボックは「あった」と呟きながら手を伸ばした。その時。
「ああ、ここにあるぞ」
 同時に書類が落ちていることに気づいたロイが体を屈めて書類を拾う。丁度手を伸ばしてきたハボックを間近から見つめる形で、ロイはハボックに書類を差し出した。
「ほら」
「ッッ!!────あ、りがとう、ございますッッ」
ヒ ュッと息を飲んだハボックは、ひっくり返った声で礼を言って書類を引っ手繰る。飛び退るようにして立ち上がって、ハボックは受け取った最後の一枚を他の書類と一緒に胸に抱え込んだ。
「失礼しますッ」
 ハボックは言って執務室から飛び出す。バンッと乱暴に閉めた扉に寄りかかって、ハボックは「ハア……」と大きく息を吐いた。ほんの数瞬、書類を抱き締めて扉に寄りかかっていたが、ゆっくりと身を起こして自席に向かう。ドサリと椅子に腰を下ろしてもう一度大きく息を吐いた。
「び、びっくりした……」
 ハボックは呟いて己の手を見つめる。指先に触れたロイの手の感触を思い出せば、それと同時に間近から見つめる黒曜石が頭に浮かんでハボックは慌ててふるふると頭を振った。大きく息を吸って吐き出して気持ちを落ち着けると、ハボックはバラバラになった書類を並べ直して端をクリップで留める。そうして席を立って書類を提出するために司令室を出た。


 上官であるロイのことを好きだと気づいたのはいつだったろう。もしかしたら出会った最初から好きだったのかもしれないし、彼の部下として任務をこなす内に少しずつ好きになっていったのかもしれない。そんなことすら判らないほどハボックは気がつけばロイのことが好きで堪らなくなっていた。
(なんで、かなぁ……)
 書類を出した帰り道、ハボックは廊下を歩きながら思う。誰もいないところに行きたくて、ハボックは丁度差し掛かった階段で屋上へと上がった。ギィと重い扉を押し開いて東方司令部の一番高い場所へ出る。なにもないスペースを横切って、ハボックは屋上の端までくると手摺りに寄りかかった。
「はあ……」
 ハボックは大きく息を吐いて己の手を見つめる。ロイの手が触れた指先をもう一方の手でそっと撫でた。
「なんでかなぁ……」
 今度は口に出してそう呟く。正直これまでハボックはガチガチのノンケだった。軍は女性の比率が少ないから同性同士でつき合うケースもあるのは知っていたし、実際告白されたこともある。忙しい職業だから一般女性との恋愛もなかなか続かないのも事実だったが、だからといって男とつき合うなど以ての外と思っていたのだ。それなのに。
「大佐……」
 気がつけばロイのことが好きで堪らない自分がいた。上官に対してこんな感情を抱くなどおかしいだろうと思ったし、そもそも自分はノンケなのだからこんな感情はあり得ないと思おうとしたものの、その感情を抑えようとすればするほどかえってロイを好きだと思う気持ちは膨れ上がっていった。ロイの一挙手一投足が気になって仕方なく、ロイの声が聞こえれば背筋が震える。なによりその黒曜石に見つめられれば息が止まりそうなほどドキドキした。側にいればいるほどロイの事が好きになり、気もそぞろになってしまう。訓練に身が入らない事もしばしばで、正直なところ気持ちを持て余してしまっているのが事実だった。
「どうしよう……こんなんじゃ仕事になんねぇ」
 自分はロイの護衛官だ。有事の際には命を賭してもロイを護らなければならない。だが、今の状態では本当にロイを護れるのか、自信がなかった。
「言っちゃおうか、好きだって……」
 そう呟いて、ハボックは慌てて首を振る。
「なに言ってんだ、オレ……。言えるわけないじゃん」
 どう考えてもロイに告白など出来るはずもない。それでも溢れてくる気持ちを抑える術もなくて。
「たいさ……好き……」
 ハボックは呟いて指先にそっと口づけた。


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