空色のカノン  第十章


「お疲れさまでした。お送りします、大佐」
「ああ、ありがとう」
 会食を終えて出てきたレストランの店先で、ホークアイが言うのにロイが頷く。開けられた車のドアから体を中に滑り込ませシートに腰掛けて待っていると、程なくして車はゆっくりと走り出した。運転が上手なハボックに負けず劣らず巧い運転で車を操るホークアイのハンドル裁きに身を預けて、ロイは窓の外を流れる夜の街を見つめる。そうすればあの夜ハボックが弾いてくれた曲が次々と頭の中を流れてロイは静かに耳を傾けた。
(どんな曲だったかな)
 そうしてたった一つ、聞けなかった曲を思い浮かべようとしてどうしても思い出せず、ロイはキュッと唇を噛む。思い出せず頭の中に出来た空白になんだか押し潰されそうな気がして、ロイは思わずホークアイの背に向けて声をかけていた。
「中尉、ここで降ろしてくれ」
「えっ?ですがご自宅はもうすぐそこです」
「歩いて帰る」
 突然そんなことを言い出すロイを、ホークアイはミラー越しに見つめる。薄暗い車の中、瞳だけがきらきらと光って見えるロイの顔を見て、ホークアイはため息をついた。
「判りました。発火布は持ってらっしゃいますね?」
「持ってる」
 頷くロイを見てホークアイは車の速度を落とす。ゆっくりと車を路肩に寄せて停めれば、ロイが自分で扉を開いた。
「寄り道なさらないで、真っ直ぐお帰りください」
「判った。ありがとう、中尉」
 我儘をきいてくれた事に例を言って、ロイはおやすみと車の扉を閉める。そうすればゆっくりと走り出した車が夜の街に消えるのを見送って、ロイは家への道を歩きだした。
 コツコツとロイの靴音が人通りのない道に響く。そうすればバイオリンのケースを提げたハボックと二人夜道を家へと歩いたことが思い出された。
(どうしてこんなに好きなんだろう)
 ほんのちょっとした事でハボックの事を思い出す。ほんのちょっとした事でハボックの事を思い悩む。それは己がハボックの事を好きで好きで堪らないからだと気づいてロイはため息をついた。今までこんな風に誰かを好きになった事などなく、おそらくこれからもないだろう。これ以上好きになることなど出来ないと思えるほどハボックが好きな自分は、どこか哀れだと思いながら角を曲がったロイは、自宅の門の前に立つ人影に気づいてギクリとした。
「……ハボック?」
 発火布を取りだそうと懐に手を入れかけて、ロイはその人影がハボックだと気づく。思わず足を止めてその場に立ち止まれば、俯けていた顔を上げたハボックがロイに気づいた。
「大佐」
 呼ばれて一瞬迷ったもののロイは再び歩き出すとハボックの所まで来る。そうすればハボックがにっこりと笑って言った。
「お帰りなさい、会食お疲れさまっした」
「どうしたんだ?一体」
 そう尋ねてからロイはハボックがバイオリンのケースを持っている事に気づく。途端に胸がズキリと痛んだものの、ロイはそれを押し隠して言った。
「バイト帰りか?」
「今日は店が休みなんで。それにあと二回も店に出ればちゃんとした奏者が来ますからオレはお役ごめんっス」
「そうなのか」
 もう店には出ないのだと聞くとなんだか淋しくなる。ハボックのバイオリンを聞く機会はもうないのだろうなとロイが思っていると、ハボックが言った。
「大佐、ちょっとつきあってもらってもいいっスか?」
「え?」
「ね、大佐」
 ハボックは笑って言うと、返事を待たずにロイの手をバイオリンを持っていない方の手で握って歩き出す。断る間もなく引っ張られるように歩き出しながらロイはハボックを見上げた。
「ハボック、すまないが私は疲れて────」
「すぐ済みます。ちょっとだけつきあって下さい」
 ロイの言葉を遮って、ハボックは半ば強引にロイを連れていく。歩幅の広いハボックの歩みについていけず、転びそうになりながらロイがついていけば辿り着いたのは小さな公園だった。
「そこ、座って下さい」
 ハボックに言われてロイは仕方なしにベンチに腰を下ろす。正直今はあまりハボックと一緒にいたくなくて、ギュッと唇を噛んで俯くロイのすぐ横でハボックはケースを開くと、中からバイオリンを取り出した。軽く音を合わせロイを見る。俯いたままのロイを見つめてハボックは弓を翻した。
 シンと静まり返った夜の公園にバイオリンから零れた音がゆっくりと広がっていく。その音が奏でるメロディが何か気づいて、ロイはハッと顔を上げた。
「その曲……」
 顔を上げれば月の光を浴びたハボックがバイオリンを奏でる姿が目に飛び込んでくる。時折その金髪に月の光を弾かせながらハボックが奏でるのは、あの夜聴くことが出来なかった「亡き王女のためのパヴァーヌ」だった。月の光に照らされたハボックをロイが息を飲んで見つめる中、ハボックは目を閉じて弓を操る。最後の一音が月が輝く空に吸い込まれても、ロイは暫く口をきくことが出来なかった。
「…………どうして?」
 それでもなんとか声を振り絞って言葉を吐き出す。見上げてくる黒曜石を見つめて、ハボックはロイに言った。
「これからはアンタのためだけにこの曲を弾きます」
「え?」
「これからはこの曲はアンタだけのもんです」
 ポカンとして見上げるロイの前に跪いて、ハボックはバイオリンをベンチに置いてロイの手を取る。まん丸に見開かれた黒曜石を真っ直ぐに見つめて、ハボックは言った。
「好きっス、大佐。この曲、受け取って貰えますか?」
「……いいのか?大事な曲なんだろう?」
「大事な曲だから一番好きな、誰よりも大事なアンタに受け取って欲しいんスよ、大佐。……嫌っスか?」
 ほんの少し心配そうに尋ねてくるハボックにロイは慌てて首を振る。
「そんなことないッ!私は────、ッ?!」
 言いかけた言葉を口づけに奪われてロイは目を見開いた。そのまま深く口づけられ舌を絡め取られ、ロイは見開いた目をゆっくりと閉じる。おずおずと腕をハボックの背に回せばきつく抱き締められた。
「……よかった、嫌って言われたらどうしようかと思った」
 長い口づけの後、ハボックが言う。ヘヘヘと照れたように笑うハボックにロイが言った。
「言う訳ないだろうッ、…………ありがとう、ハボック」
 消えそうな声で礼を言って、ロイは赤く染まった顔をハボックの胸に埋める。そうすればハボックがロイの顎を掬って、再びその唇を塞いだ。
「弾いて……もう一度弾いてくれないか?」
「いいっスよ。アンタの為なら何度でも」
 キスの合間に甘く強請ればハボックが笑って答える。ハボックの腕の中から出るとロイはベンチにきちんと座りなおした。
「いいっスか?大佐」
「ああ」
 頷くロイに頷き返してハボックがバイオリンを構える。ゆっくりと曲を弾き始めるハボックを見つめながら、ついさっきこれ以上好きになることなど出来ないと思っていたのに、今はもっともっとハボックを好きになっている事に気づいてロイは笑みを浮かべた。
 月の光の中二人だけの公園で、ロイはハボックが奏でるバイオリンの調べにいつまでもいつまでも耳を傾けていた。


2012/05/07


第九章 ←


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

貴和子さまからのリクエストで「バイオリンを弾くハボと惚れ直す大佐」でしたー。ハボの声優さんのうえだゆうじさんがバイオリンの名手と言うことでリク頂きました。バイオリンを弾くハボ……ちっともカッコよく書けなくてすみません〜〜ッ!一応バイオリンの弾き方サイトなんかも調べたんですが、ちっとも話に活かせなかった(苦)こんなで大佐が惚れ直すか、若干不安だったりします(苦笑)何に時間がかかったかって、ハボが弾く曲名だったり(笑)バイオリンというと葉○瀬太郎しか思い浮かばず、ひたすらネットでバイオリン曲聞きまくってました(笑)「亡き王女のパヴァーヌ」は死んだ王女様の為の曲と言うわけではないのですが、なんとなくタイトル的にいいかなと言うことで。現役の軍人がバイトしてていいのかというツッコミは無しでお願いします(苦笑)リクエストにお答え出来ているかかーなーりー心配ではありますが、少しでもお楽しみ頂けていましたら幸いです。