空色のカノン  第一章


「ここにいたッ!ハボック!!」
 バタバタと足音がしたと思うと休憩所に飛び込んできたマートンが、ソファーに座るハボックに指を突きつける。ブレダと束の間の休憩時間を過ごしていたハボックは、突きつけられた指を眉を顰めて見つめた。
「なんだよ、いきなり。失礼な奴だな」
 ハボックはそう言って突きつけられた指をギューッと捻る。痛い痛いとマートンが喚くのを暫く聞いて、ハボックは手を離した。
「イテテ……ひでぇぞ、ハボック」
「なに言ってんだよ、いきなり大声出して人の目の前に指突きつけるからだろ」
 お前が悪い、と士官学校の同期だった男にハボックは言う。フンと顔を背けるハボックに、クスリと笑ってブレダが言った。
「一体どうしたよ、マートン」
「ん?ああ、ハボックに頼みたいことがあってさ」
「頼みたいこと?」
 指をさすりながらマートンが答えればハボックが不思議そうな顔をする。マートンはハボックの隣にドサリと腰を下ろすと、ズイと顔を近づけて言った。
「ハボック、お前、バイトしないか?いや、やれ」
「はあ?バイトぉ?」
 突然の申し出にハボックは思わず素っ頓狂な声を上げる。バイトの内容もどうしてそんな話を突然持ってきたのかも聞きもせずに、ハボックは手を顔の前で振った。
「無理。オレ、忙しいもん」
 バイトを断る口実でもなんでもなく実際のところハボックは忙しい。ロイの護衛官を務めている上、小隊長としての仕事も忙しく朝から夜まで働きずくめだ。その上プライベートではロイと恋仲であるハボックとしては、多忙なロイとの貴重な時間を余計な事に使うのは極力避けたかった。
「ブレダに頼めば?コイツ今彼女いないし、暇だぜ」
「んあ?ハボ、俺がいつ彼女がいないって言ったッ?」
 ハボックの言いようにブレダが食ってかかるのに構わずマートンはハボックに言う。
「お前じゃなきゃダメなんだよ。それにお前に俺の頼みは断れないだろ」
 ニヤリと笑ってマートンは続けた。
「この間の一万センズ、まだ返して貰ってないぜ。それとメシ代二回分」
「うっ」
「バイト断るってんなら今すぐ耳をそろえて返して貰おうか」
「お前、俺以外にも借金してんのか」
 マートンに迫られて冷や汗を流すハボックを見てブレダがげんなりと言う。
「だってこの間大佐とメシ食いに言ったら金なくなっちゃって」
「あっちの方が高給取りなんだから払って貰えばいいだろう?」
「いや、男たるものいつも奢って貰ってばっかりじゃ!」
「大佐は気にしてないと思うけどな」
 この見栄っ張りとブレダに言われてハボックが言葉に詰まる。それでも気を取り直してマートンに向き直ると両手をあわせて頭を下げた。
「ごめん!一週間後に給料出たら返すから!」
「ダメ。断るってなら今すぐ返せ、11,720センズ!」
 ズイと手のひらを出されてハボックが仰け反る。暫くの間差し出された手のひらを見つめていたが、がっくりと肩を落としてその手を握った。
「バイト、やらせて貰います……」
「そう言ってくれると思ったよ」
 無理矢理頷かせておいてにっこりと笑うマートンをブレダは呆れたように見る。プカリと煙草の煙を吐き出して尋ねた。
「で?なんのバイトなんだ?」
「妙なバイトじゃないだろうな」
 引き受けたはいいが変なバイトだったらどうしようと、俄に不安に駆られてハボックも尋ねる。そうすればマートンが笑って答えた。
「ああ?大丈夫、全然妙なもんじゃないから」
 ヒラヒラと手を振ってマートンは続ける。
「あのな、バイトっていうのは────」
 そう言って身を乗り出してきたマートンが口にしたバイトの内容に、ハボックとブレダは目を見開いて顔を見合わせた。


「で?結局やるのか?」
「仕方ないじゃん、金返せないもん」
 マートンが立ち去った後、ブレダが尋ねればハボックがため息混じりに答える。そんなハボックにブレダは苦笑した。
「大丈夫なのか?最近弄ってないんじゃねぇ?」
「それなんだよねぇ……」
 聞かれてハボックが頭をボリボリと掻く。
「ここんとこ忙しかったから一ヶ月くらい触ってない」
「おい」
「まあ、別に趣味でやる分にはいいんだけど、人前でやるとなるとなぁ」
 ハボックは困ったように言ってプカリと煙を吐いた。
「なあ、今日から暫くお前んとこ通っていい?新しいアパート、防音きいてんだろ?」
 最近引っ越したブレダのアパートは、前の住人が音楽好きだった事が高じて一部屋だけきっちりと防音工事が施されている。いいだろう?と顔を近づけてくるハボックのオデコを押しやって、ブレダは言った。
「なに言ってんだよ、大佐んち、戸建てだろ?そこでやりゃいいだろうが」
「だって、大佐にはこの話したことねぇもん」
 押しやられた額を撫でながらハボックが唇を尖らせる。それを聞いてブレダはキョトンとして尋ねた。
「なんで?」
「だって……なんか照れくさいだろ?」
 オレなんかが、と顔を赤らめるハボックにブレダが首を傾げる。
「そりゃまあ、意外といえば意外だけど別に照れる事もないんじゃねぇ?いい機会だし話せばいいだろ?」
「ヤダ。なんか笑われそう」
「そうかぁ?」
 そんな事ないんじゃないか?と言うブレダにハボックがもう一度顔を近づけた。
「いいから部屋貸せ。でないと借金踏み倒すぞ」
「どういう脅しだよ」
 妙な脅しをかけるハボックに呆れながら、結局ブレダは部屋を貸す事を約束させられた。


「大佐、そろそろ着きますよ」
 車の後部座席でウトウトしていれば聞こえた声にロイはゆっくりと目を開ける。窓の外を見て自宅がすぐそこなのを確認してロイは言った。
「ハボック、いいワインがあるんだ。寄っていかないか?」
 先日出かけた先でちょっといいワインを見つけた。ハボックに飲ませたくて買ってきたのだが、なかなか時間がとれずにいた。ここのところ忙しくてゆっくり過ごす事が出来なかったから、ハボックもきっと今日を待ちわびていたに違いない。二人でゆっくりワインを飲んで、その後は泊まっていってくれたらいい。そんな事を考えながらハボックが二つ返事でイエスと返してくるのを待っていたロイは、聞こえてきた声に耳を疑った。
「すんません、今日はオレ、用事があるんで」
「えっ?そ、そうなのか?じゃあ、明日は?」
「えっと、明日も……。つか、暫く忙しいんでっ、あっ、ほら、着いたっスよ、大佐!」
 ハボックは早口にそう言って車を門の前につける。慌ただしく降りたと思うと、グルリと回って後部座席の扉を開けて手を差し出した。
「さ、大佐。疲れたっしょ?早く入って休んだ方がいいっスよ」
「あ、ああ」
 差し出された手に反射的に己の手を重ねればグイと車から引っ張り出される。そのままグイグイと押されるようにして玄関の中に入ったロイにハボックが言った。
「じゃあ、大佐。ゆっくり休んでくださいね。夜更かししちゃダメっスよ」
「えっ?あ……」
 ロイが何か答える前にハボックは『おやすみなさい』と扉を閉めてしまう。あっと言う間に遠ざかる車の音を聞きながら、ロイは呆然と閉められた扉を見つめていた。


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