いつか帰る場所であるように  第一章


 燃え上がる紅蓮の焔に包まれる家。その家の中から聞こえる絶叫。凍り付いていたように立ち尽くしていた体が、その声に鞭打たれたように跳ね、弾かれたように家に向かって飛び出す。だがその体は力強い腕にガッシリと掴まれ引きずり戻された。
『父さんッ!!母さんッ!!』
 振り解こうともがきながら声を限りにジャンは叫んだ。その時、轟音と共に焔に包まれた家が崩れ始める。信じられないものを見るように目を見開くジャンの目の前でスローモーションのようにゆっくりと家は崩れ落ちていった。
『うそだ……父さん、母さん…』
 呆然と見つめるジャンの耳に誰かの声が響く。
『ジャンっ、そいつがお前の家に火をつけたんだっ』
 その声に弾かれたように視線を移せば、崩れ落ちる家をバックに吹き上がる風に青い軍服の裾を翻して立つ黒髪の男の姿が浮かび上がった。
『どうして…ッ』
 歯を食いしばりジャンは軍服に包まれた背を見つめて呻く。燃え盛る焔と家が崩れる音にかき消されて届くはずのない声に、だがその男はぴくりと肩を震わせた。焔の中で妙に白く見える手を翻し、男は半分だけ振り向くようにして口を開いた。

「―――ッ!!」
 ハボックはブランケットを跳ね上げてベッドの上に体を起こす。たった今まで自分の周りに広がっていた焔は消え失せ、あたりは薄闇に包まれていた。
「……夢」
 ハアハアと息を弾ませながらハボックは立てた膝に額を寄せる。幼い頃から繰り返し見た夢は、数年が過ぎた今でも焔の熱さを思い出せるほど鮮明で、ハボックを苦しませた。
「………」
 ハボックは緩く首を振るとベッドから下りる。キッチンへ行くと冷蔵庫の中からミネラルウォーターのボトルを取り出しゴクゴクと飲んだ。ボトルを冷蔵庫へ戻すとハボックはリビング兼ダイニングのソファーに腰を下ろす。まだ夜明けには時間があったが、とてももう一度眠る気にはなれなかった。
 14の時、終戦間際の混乱の中でハボックは両親を亡くした。偶然出かけていたハボックが戻った時、家は燃え盛る焔に包まれ、両親はその家と共に燃え尽きてしまった。家に火をつけたのはアメストリス国軍の軍人の男だった。家をあけていたハボックには何故軍人が家に火をつけたのか判らない。ハボックの父は科学者で、母は極普通の女性だった。家に火をつけられる理由も、ましてやその家の中で焼け死ぬ理由もありはしなかった。
(アイツが父さんと母さんを殺したんだ…)
 青い軍服に身を包んだ悪魔。
 涙と焔の熱で揺らぐ視界の中、男の顔ははっきりとは判らなかったがハボックはその男を捜し続けた。戦争が終わり、世の中が落ち着きを取り戻していく中、士官学校を卒業したハボックは軍人となった。両親を殺した男と同じ軍人になったのには理由があった。一つは二度とあのような悲惨な戦争が起きないよう平和を守る為、もう一つは軍にいればあの男に出会う機会があるかもしれないと考えたからだった。だが男を見つけられないまま軍に入って何年かが過ぎ、ハボックは南方司令部から東方司令部へと異動になった。あの事件のあった南方を離れることは男の手がかりからも遠ざかってしまうようで、正直気が進まなかったが上の命令であれば軍人である以上逆らう訳にもいかない。だが、その異動した先で自分の運命を大きく変える出会いがあるとは、その時のハボックには想像もつかなかった。

「た・い・さっ!アンタ、こんなとこで何やってるんスかっ」
 ハボックは探していた上司の姿を中庭の木の枝の上で見つけてそう声をかける。睨んでくる空色の瞳も意に介せず、ロイはうーんと伸びをして言った。
「何って、見て判らんか?昼寝だ、昼寝」
「オレが聞きたいのは仕事ほったらかして抜け出して、木の枝の上で昼寝してる理由っス」
 ハボックが垂れた目を吊り上げてそう言えば、ロイは首を傾げる。
「理由?特に理由はないな。あえて言うなら気持ちいいから、か?」
 馬鹿正直にか、それともハボックをからかってか、そんな事を言うロイにハボックはがっくりと肩を落とした。
「もういいっス。聞いたオレが馬鹿でした」
「失礼な奴だな、せっかく質問に答えてやったのに」
 あからさまにうんざりした態度をとる部下にロイはムゥと唇を突き出す。ハボックは両手を腰に当ててロイを見上げると言った。
「そんな事よりさっさと戻らないと、中尉がカンカンっスよ?」
「そう言うことは先に言え、先に」
 有能な副官がお冠だ告げられてロイは慌てて体を起こす。身軽な動作で枝から飛び降りるとハボックの胸を手の甲で叩いた。
「お前も副官ならもう少し気を利かせろ」
「生憎オレは護衛官の方が本職なんで」
「かわいげのない」
 自分のサボリは棚に上げてそんな事を言うロイにハボックがシレッとして答えれば、ロイは眉を顰める。それでもそれ以上は何も言わずに先に走って建物の中へと戻っていくロイの背を見つめながらハボックはため息をついた。
 東方司令部への異動は副司令官の護衛官兼副官としてだった。正直自分がそんな大抜擢を受けた事も驚きだったが、上司となったその相手はもっと驚きだった。
「あれが国家錬金術師で大佐だっていうんだから…」
 書類は溜めるは、仕事はサボるは、挙げ句の果てには現場までしゃしゃり出ていくその腰の軽さは今まで上司と仰いだ上官たちにはないものだった。
「まぁ、そういうとこ嫌いじゃねぇけど」
 困らないと言えば嘘になる。それでもロイのそうした悪癖ともいえる所行も、ロイの人となりを知れば好意をもって受け止められた。
 ハボックは懐から煙草を取り出して火を点けるとゆっくりと歩き出す。柔らかく吹き抜ける風は春がもうすぐそこまで来ていることを感じさせて、ハボックはうっすらと笑った。

 司令室に戻れば開け放った執務室の中からホークアイの冷ややかな声が聞こえる。ハボックは自席の椅子を引いて腰を下ろすと、ニヤニヤと笑みを浮かべているブレダに声をかけた。
「なに、かなりヤられてんの?」
「急ぎの重要書類が埋もれてたんだよ。それで中尉、カンカンでさ」
「自業自得」
 こそこそと囁きあってクスクスと笑う。ブレダはハボックの士官学校時代の同期で、一足先に東方司令部のロイの元に配属されていたのだった。
「大佐、どこにいたんだ?」
「ん?中庭の木の枝の上」
「はあ?木の枝の上ぇ?」
 ロイが発見された場所を聞いてブレダが素っ頓狂な声を上げる。
「そんなとこで何してたんだ?」
「昼寝だって」
「……猿かよ、あの人は」
「黒豹じゃね?豹も木登り得意だろ?」
 呆れたため息を漏らす友人にハボックは笑った。
「それにしても毎度のことながらお前、大佐見つけるの、早いよな。どうして判るんだ?」
 ハボックがくる前はロイの捜索係だったブレダが不思議そうに聞く。ハボックはプカリを煙を吐き出すと首を傾げた。
「どうして、って。……なんとなく?」
 今日もホークアイの怒りが爆発してからものの10分とたたないうちにロイを司令室に連れ戻した。自分が探していた時はどんなに早いときでも優に30分は越えていたのにと、ブレダは呆れたような感心したような顔でハボックを見つめる。
「上司が黒豹なら部下は犬かよ。全くいいコンビだな」
「誰が犬だ、誰が」
 ブレダの言葉にハボックは下唇を突き出した。だが、そんな態度とは裏腹にハボックは犬と呼ばれたことにそう腹を立てているわけではなかった。
(軍の犬になる気はねぇけど、大佐の犬になら構わないかな)
 そう思うほどにはロイに心酔していたのだ。もっとも最近その気持ちにどうにもあやふやなところがあることに、ハボック自身まだ気づいてはいなかったのだが。
「貴方たち、何を喋っているの?」
 気がつけばお小言の声は聞こえなくなっており、ハボックとブレダはすぐ横で聞こえた冷ややかな声に首を竦める。そっと視線を巡らせれば書類を手に鳶色の瞳を吊り上げたホークアイが立っていた。
「お喋りはそこまでにして仕事なさい、仕事を」
「「アイ、マァム」」
 ホークアイの言葉に二人は慌ててそう言うとガサガサと書類を広げる。そのあからさまに今までサボってましたと言わんばかりの態度にホークアイはため息をついた。
「まったくもう、大佐が大佐なら貴方たちも貴方たちだわ。書類は期日に遅れないようにしてちょうだい」
 うんざりしたようにそう言うとホークアイは司令室を出ていく。悩みの多い副官の背中をハボックとブレダは見送って顔を見合わせるとペロリと舌を出したのだった。



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