続ハイムダール国物語  第一章


「ああ、やっと終わった」
 ロイは読み終えた書類の最後にサインを認めると「うーん」と伸びをする。突き上げた腕をやれやれと下ろした時、ノックの音と共にハボックが顔を出した。
「ロイ」
「なんだ?書類なら今日の受付時間はもう終了したからな」
 なにも言わないうちから牽制するようにそう言うロイにハボックは苦笑する。ほぼ一日書類仕事に明け暮れていたロイにチュッと軽く口づけて感謝を示して、ハボックは言った。
「お疲れさまでした、一日大変だったっしょ?」
「まあ、いつもの事だからな。それよりそっちはどうだったんだ?」
 国境沿いで不穏な動きがあるとの情報を得て、ハボックはロイに書類仕事を任せて朝からティワズ達と共に様子を見に出かけていた。どうだったと尋ねてくる黒曜石を見返してハボックは答えた。
「ん、大したことなかったっス。オレたちの姿見たらすぐ引き返して行きましたから」
 にっこりと笑って言うハボックに「そうか」と返してロイは首を回す。凝った肩を解すように回せば、ハボックが後ろに回って大きな手でロイの肩を揉んだ。
「ねぇ、ロイ。ちょっと相談があるんスけど」
「……なんだ?」
 絶妙な力加減に気持ちよさそうなため息を零してロイが尋ねる。満足げな猫のような表情にハボックは笑みを浮かべて答えた。
「カウィルに帰りませんか?」
「えっ?」
 突然の言葉にロイは驚いてハボックを振り返ろうとする。だが、肩を押さえるハボックの手にそう出来ないまま、ロイは視線だけを上に向けて言った。
「どういう意味だ?まさかカウィルとの同盟が必要なくなったから私を戻すということか?」
 焦りと、本人は認めたがらないだろうが怯えを滲ませた声音で尋ねるロイに、ハボックは思い切り顔を顰める。
「んなの有り得ねぇし。万一カウィルとの同盟を解除する事になってもアンタを返したりしないっスよ。返せって言われてもね」
 きっぱりとそう言うハボックにロイはホッと息を吐いた。それなら一体どう言う意味だと、ロイはハボックの手を振り払うようにして振り返る。見上げてくるロイの頬を撫でてハボックは答えた。
「里帰りしません?アンタ、ハイムダールに来てから一度もカウィルに帰ったことないっしょ?親善の意味も兼ねてオレと一緒にカウィルに行くのはどうかなって」
 その言葉にハボックを見上げるロイの瞳が大きく見開かれる。次の瞬間、ロイは頬を撫でるハボックの手を掴んで声を上げた。
「い、いいのかっ?カウィルに帰っても?!」
「今日、国境からの帰り道、ティと話したんスよ。アンタももうこっちの生活にもすっかり慣れて周りの連中もアンタの能力を認めてる。今ならカウィルに帰っても問題ないだろうって。どうっスか?」
 小首を傾げてロイの答えを待つハボックをロイは目を見開いて見つめる。そのちょっと幼い表情をハボックが可愛いと思った時、ロイが弾かれたように椅子から立ち上がった。
「い、行きたいッ!行って、私がここでどうしているか直接伝えたいッ!」
「ロイ」
「手紙じゃ伝えきれない事もたくさんある。それをカウィルのみんなに伝えられるなら……ッ」
 ギュッと腕を掴んで言うロイの勢いにハボックは目を丸くする。驚いたように見下ろしてくる空色に、ロイはハッとして目を逸らした。
「あ、いや、その……」
「……すんません、ロイ。なかなか里帰りさせて上げられなくて」
「ハボック」
 すまないと謝る言葉にロイは驚いてハボックを見る。そうすれば申し訳なさそうに顔を背けてハボックが言った。
「本当はもっと早く里帰りさせてあげたかったんスけど……。アンタのここでの立場がはっきりと確立するまではって思ったから。ごめんなさい、こんなにかかったのはオレがだらしないから」
「そんなことはない!」
 ロイは即座にハボックの言葉を否定して手を伸ばす。背けた顔を両手で挟んで自分の方を向かせると、愛しい空色を見上げて言った。
「お前はいつだって私のことを一番に考えてくれた。男の身で王位継承者の正妻である私の立場をいつだって慮ってくれて、私が皆から認めて貰えるよう気を配ってくれた。私がカウィルに帰りたいと思わなかったのは私がここで幸せだからだ。お前が私を幸せにしてくれたんだ」
「ロイ」
「私の結婚相手がお前でよかった。その上今度はカウィルに里帰りさせてくれると言う。ありがとう、ハボック」
 ロイは日頃なかなか口にする機会がなかった感謝の言葉を伝えるとハボックの胸に頬を寄せる。思いがけないロイの言葉に、ハボックは感激で顔を赤らめてロイの体をギュッと抱き締めた。
「嬉しいっス、オレ、いつも不安だったから。ハイムダールに来てアンタが幸せなのかって、オレはアンタより年下でアンタから見たら頼りないんじゃないかって、いつも心の隅っこでそう思って」
「バカだな」
 頭上から降ってくる声にロイはハボックを抱き返して苦笑する。幸せなど望めないだろうとそう思い込んで嫁いできた自分にそんなことはないと教えてくれたのは他でもないハボックなのに。
「愛してます、ロイ」
「……私もだ、ハボック」
 見下ろしてくる空色にそう答えれば降ってくる口づけに、ロイはそっと目を閉じた。


 二年前、カウィルの王子として生まれたロイは同盟を結ぶ為、同性婚が認められているハイムダールに第一王位継承者であるハボックの元へ正妻として嫁いできた。もともとこの話はロイの異母妹であるリザのところへきた話であったのだが、リザに想い人がいることを知ったロイが半ば強引に自分の婚姻話へと変えてしまったのだ。男の身で顔も知らない男の元へ同盟の為の半ば人質のような立場で嫁ぐ事は正直ロイにとっても望む道ではなかったが、それでも小国が次々と大国に飲み込まれていく時代にあって大切な母国を守るためにはハイムダールのような大国の力を借りるしかなく、その為の婚姻にロイも異を唱える事は出来なかった。自分が嫁ぐと言い張った異母妹(リザ)に自分には想う相手はいないのだからと告げてロイはハイムダールに嫁いできた。同盟のための政略結婚にすぎない婚姻に幸せなど望む術もないと諦めていたロイは、ハボックと出会いそして。
(こんな幸せを手にする事なんて、私には決して出来ないと思っていたのに)
 ロイはハボックの胸に頬を寄せてそう思う。
(カウィルのみんなに伝えたい。私はここで誇りを持って幸せに生きていると)
 毎日手紙を書くと約束した小さな王女を始め、ロイは親しい人々に事あるごとに手紙を送ってきた。だが、それだけでは伝えきれない事もたくさんある。なにより己が愛したハボックの人となりを知って貰いたい。
(嬉しい、カウィルに帰れるんだ)
 ロイは幸せそうに微笑むとハボックを抱き締める腕に力を込めた。


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