| |
| 答える者もない焼け付く荒野の向こう、揺らぐ景色の最果てに遠くオアシスが見える。そのオアシスを見つめてぼんやりと立っていたロイの頬を掠めて一羽のアゲハ蝶がヒラリヒラリと舞い遊ぶように飛んでいった。漆黒の羽に鮮やかな黄色と青の紋様を浮かび上がらせたそれはオアシスに向かって緩やかに飛んでいく。その姿を追うようにオアシスに向かってロイは走り出した。だが、幾ら走ってもオアシスは近づくどころか遠くなるばかりで。 いつしか姿を消してしまったアゲハ蝶の影を求めて、ロイは果てのない荒野を一人さまよい続けていた。 |
果てなき恋のバラード 第一章 |
| 脳裏をよぎった鮮やかな蝶の姿にロイはハッとして顔を上げる。ゆっくりと辺りを見回せば、そこは先ほどと変わらぬ静かなバーの一角だった。 「夢、か……」 共に杯を傾ける相手もいないまま一人立ち寄ったバーのカウンターで、ほんの一瞬夢の淵を覗いていたらしい。今夜はもう引き上げ時のようだとロイは勘定をカウンターに置くとスツールから立ち上がった。カランとドアベルを鳴らして店の外へと出る。もうだいぶ夜も更けた通りはそれでもまだ酔客で賑わっていた。 ロイは薄いコートのポケットに手を突っ込んで俯きがちに歩き始める。その時ワッと歓声が聞こえて顔を上げれば大勢の男達に囲まれて見知った姿があった。 「ハボック……」 それはロイの直属の部下のハボックだった。どうやら小隊の部下達を引き連れて飲みに出て来ているらしい。部下達に囲まれて楽しそうに笑うハボックを、ロイは眩しいものを見るように目を細めて見つめた。 ハボックはいつでも輪の中心にいるとロイは思う。その持ち前の明るさと屈託のなさ、そして軍人としての高い能力が周りを魅了し引きつけるのだ。ロイが自分とは違う金色の輝きから目を反らせずに見つめていれば、ハボックの空色の瞳がロイを捉え、大きく見開いた。 「大佐」 ハボックは大きく見開いた目を細めてロイを呼ぶ。その少しハスキーなよく通る声に、ロイは微かに体を震わせながらも微笑みを浮かべて見せた。 「こんなところで会うなんて珍しいな」 近づいてきたハボックに向かってそう言えばハボックが笑う。ぞろぞろと後をついてきた部下達を後ろに従えて、ハボックはロイの周りを見回して言った。 「そうっスね。大佐も飲んでたんスか?一人で?」 「ああ。お前の方は相変わらず賑やかだな」 ロイがそう言えばハボックが苦笑する。 「まあ、そうっスね。もしよかったら一緒に飲みませんか?大佐が普段行くような洒落た店じゃないっスけど」 結構旨いんスよ、とハボックがロイを誘えばハボックの後ろを取り囲んだ部下達が俄に緊張するのが判る。ロイは微かに苦笑して答えた。 「いや、遠慮しておくよ。疲れたのでそろそろ帰ろうと思っていたところだから」 「なんだ、そうなんスか」 ロイの答えに部下達の緊張がとけるのを感じながらロイは言った。ロイは自分を見つめる空色の瞳にドキドキと心臓が脈打つのを感じながら言った。 「まだ飲むのなら私に請求を回すといい。好きなだけ飲んで構わんぞ」 「えっ?マジっスか?やりぃ」 ハボックはニシシと笑って背後の部下達に言った。 「この後は大佐が奢ってくださるそうだ。お前ら心して飲めよ!」 そう言えば部下達から歓声が上がる。ロイはハボックの胸を手の甲で叩いて言った。 「奢ってはやるが飲み過ぎるなよ。明日に支障を来さない程度にな」 「了解っス!」 ハボックはピシッと敬礼をしてみせると部下達を促した。 「それじゃご馳走になります。おやすみなさい、大佐」 「ああ、おやすみ」 答えるロイににっこりと笑ってハボックは、一足先に歩きだした部下達の後を追っていく。少し走って部下達に追いついたハボックの背が遠ざかっていくのを見送ったロイは、一つため息をつくと家へと向かって歩き出した。 ロイが部下であるハボックを好きだと気づいたのはいつだっただろう。イシュヴァール戦から数年。大佐となったロイの下に配属となったハボックは、輝く蜂蜜色の髪と空の色の瞳が印象的な男だった。一見飄々としているようで、そのくせ人の機微に敏感でさりげない気配りが出来る男は、人の好き嫌いが激しいロイの中ですら瞬く間に場所を得てしまった。一緒にいればそれだけで心穏やかになる自分を不思議に思いながらも、ロイはそれだけで満たされていた筈だった。だが、ある時飲みに出かけた席でハボックが言った一言がロイに自分の中の想いに気づかせてしまう。 『大佐って誰か好きな人、いないんスか?』 そう尋ねられてロイは自分の心の内を探る間に自分がハボックに惹かれていることに気づいてしまったのだ。ハボックと一緒にいて心穏やかになるのも満たされるのも、全てハボックを好きだから故だと。だが。 (気づいたからと言ってどうなるものでもない) ロイは住宅街に入りだんだんと人通りの少なくなってきた道を歩きながら考える。愛されたいと願ったところで、ハボックにとって自分はそういう対象にはならない事は判りきっている。彼は健全な男子で胸の大きな可愛い女性が好きなのだ。ロイはある一部の男からは自分が性的対象として見られていることを知っていたが、ハボックはそういう男ではなかったしロイ自身ハボック以外の男など真っ平ごめんだった。そうであればこの恋が実る筈もないものだと言うことは判りきっていて。 ロイは一つため息をつくとハボックを想って花開こうとする恋心を無理矢理心の奥底へ押し込んで、夜の道を足早に家へと歩いていった。 ロイは玄関の鍵を開けると暗く静まり返った家の中へと入っていく。一日中締め切っていた家はこの時期特有の昼の熱気が残っていて、ロイは二階に上がると寝室の中庭に面した窓を大きく開けた。そうすればこもっていた熱気がすうっと外へと流れ出て、ロイはホッと息を吐く。窓辺に腰掛けて外を見ていれば体の中に溜まった酒精がゆっくりと溶けだして行くような気がした。それと同時に押し込めた恋心が、浮かび上がり抜けた酒精の代わりにゆっくりとロイを酔わせていく。ロイは緩く首を振ると窓を閉め寝室の奥にある浴室へと向かった。服を脱ぎ捨て温めのシャワーを浴びてため息をつく。湯の流れに残った酒精と切ない恋心を流してロイは手早く髪と体を洗うと浴室を出た。タオルで髪を乾かしながら中庭に面した窓を見る。閉じた窓には薄闇の中己の姿がぼんやりと浮かんで見えるだけで、他にはなにも見えなかった。ロイは暫くの間浮かび上がる自分の姿を見つめながら髪を乾かしていたが、タオルを椅子の背に放り投げてベッドに上がる。ロイはブランケットに潜り込むと、窓に背を向け夜明けまでの短い眠りに身を任せたのだった。 |
→ 第二章 |
| |