グラプスヴィズの誘惑  第一章


「やっぱりつきあうならボインの子がいいよな」
 ロイが執務室の扉を開ければ定時を過ぎた司令室の大部屋では、部下達が片づけをしながら楽しそうに話をしている。咥え煙草で好みの女性のタイプを口にするハボックの横顔をロイはじっと見つめた。その注意を引くように開けた扉をコンコンと叩けば空色の瞳がロイを見る。その綺麗な瞳にロイは背筋がゾクリと震えるのを押し隠して言った。
「ハボック、仕事は済んだのか?」
「あ、はい。車っスか?大佐」
「ああ、頼むよ」
 言われてハボックは慌てて書類を抽斗に突っ込み、ブレダ達に「じゃあ」と言って足早に司令室を出ていく。その背を追うようにロイはゆっくりと司令室を出た。さほど間を置かずに出たはずなのにハボックの長身はもう見当たらない。その素早さにロイはクスリと笑って廊下を歩いていった。途中、顔馴染みの女性職員を見つけ言葉を交わす。司令室から玄関までのさほど長くはない距離を時間をかけて歩くと、ロイは正面玄関から外へと出た。
 短い階段の先に軍用車が横付けされている。その側で煙草を咥えポケットに手を突っ込んで寒そうに肩を竦めて立っているハボックを、ロイはうっとりと見つめた。
 初めてハボックが部下として配属されてきた時からロイはハボックの事が好きだった。司令部では女タラシだの何だの言われ大の女好きのように言われていたが、実のところロイ自身、気に入った相手であれば性別を気にしたことはなかった。実際士官学校時代には女性より男と付き合う事のほうが多かったくらいで、このところ女性ばかりを相手にしているのは単に好きな男がいないという単純な理由でしかなかった。そんなロイにとってハボックは久しぶりに好きになった男だった。己より頭一つ大きい鍛えられた躯も蜂蜜色の髪も空色の瞳も、煙草のせいで少し掠れた声も大好きだった。その明るい性格も屈託のない笑顔も、実力があるくせにそんな素振りを見せないで、それでいて確実に求められる成果を上げる、そんなところも何もかもがロイの好みにピッタリだった。
 ロイが階段を降りる靴音にハボックが俯けていた顔を上げる。ロイの姿を見て、煙草を咥えた唇が笑みを浮かべた。
「遅いっスよ、大佐。急いで車回したのにちっとも出てこないんスもん」
 上官に対するものとは思えないぞんざいな物言いもロイの好みだ。ロイは文句を言って唇を尖らせるハボックに「すまん」と手を挙げて言った。
「事務の女性に声をかけられたんでな。きちんと答えなければ失礼だろう?」
「相変わらずおモテになりますね、大佐」
 チェッと不貞腐れたように言いながらハボックが開けてくれた扉からロイは車の中に滑り込む。バタンと閉めて運転席に回ったハボックがミラー越しにロイを見て言った。
「どちらに?」
 どうせデートがあるのだろうと言いたげな口振りにロイは苦笑する。
「今夜は予定があるのか?ハボック」
「残念ながらオレは大佐みたいにモテないっスから」
 ヒマでヒマでとため息混じりに言うハボックに、ロイは内心少し安心して言った。
「それなら一緒にメシでもどうだ?」
 そんな事を言うロイをハボックはミラー越しでなく振り返って見つめる。車のヘッドレストに腕を回すようにして言った。
「残念スけどオレ、給料日前で金ないんス。冷蔵庫に残ってる卵とハムと野菜の切れっぱしでどうやって食いつなごうかと悩んでるくらいなんで」
 真剣な表情でそう告げるハボックに思わずロイは吹き出してしまう。ムッと鼻に皺を寄せるハボックに「悪い」と言いながらもクスクスと笑えば益々皺を深めるのを見て、ロイは言った。
「待たせた詫びに奢るよ」
「え?」
 そう聞いた途端皺が消えてハボックがキョトンとする。
「さっき“おモテになる”って言ったのは冗談っスよ?」
「タリーズで新酒が入ったそうだよ」
「奢ってください」
 即答してハボックは正面に向き直りハンドルを握った。
「タリーズっスね」
「ああ」
 ロイが答えると同時に車が滑るように走り出す。車を走らせるハボックの嬉しそうな鼻歌を聞きながら、ロイは鏡に映るハボックの顔をじっと見つめていた。


「お疲れさまっス」
 ハボックはそう言って掲げたグラスに口をつける。含んだ酒を喉の奥で味わって、ハボックはため息をついた。
「旨いっス。この時期ならではの味っスね」
「そうだな」
 ロイ自身は新酒よりも年数を経た酒の方が好きだったが敢えてそれを言う必要もない。嬉しそうにグラスを口に運びながら話をするハボックの顔を、ロイはじっと見つめた。
(あの唇でキスされたら、どんな気分だろう)
 酒の()を吐き出す唇を見てロイは思う。肉を摘んだ指を舐める舌を見てロイはそっと息を吐いた。
(あの舌で躯中を舐められたら)
 と、ハボックの舌先が己の躯を這い回るのを想像すれば躯の奥がズンと重くなる。
「大佐、この肉も旨いっスよ」
 そう言って皿を押し出すハボックのゴツゴツと男らしい手を見てロイは言った。
「ありがとう、旨そうだ」
 口ではそんな事を言いながら、心の中ではあの手に抱き締められる己を思い浮かべる。あの大きな手でベッドに押し倒され乱される己の姿を。そうして。
(あの瞳で見つめられながら貫かれてみたい。私に溺れさせて私なしではいられなくさせて───)
「大佐?どうかしたっスか?食わねぇの?」
 旨そうだと言いながら手を出そうとしないロイにハボックが首を傾げる。その声に淫らな想像を中断されて、ロイはハボックの瞳を見た。
「大佐?」
「───貰うよ」
 ロイはそう言うと肉を摘み、柔らかいそれに白い歯を立てた。


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