FLARE BLUE  第一章


「大佐、お帰りですか?」
 執務室の扉を開ければ夜勤シフトのフュリーが書類から顔を上げて言う。「車を」と言いかけるのを手を振って遮るとロイは言った。
「いい。気分転換に歩いて帰るよ」
「外、寒いですよ?」
 寒がりのロイを気遣ってフュリーが言ったがロイは構わずコートを羽織ると司令室を出てしまう。溜め込んだ書類を片づける為に一日部屋に缶詰だったせいで、正直一刻も早く解放されたかった。
「うん、清々しい」
 司令部の玄関から外へと出れば、途端に体を包む冷たい空気にもロイはそう言って笑みを浮かべる。夜風に吹かれて歩いていけば漸く仕事を終えた解放感に、ロイは普段あまり足を向けない酔客で賑わう通りへと歩いていった。
「偶にはこう言うところもいいいだろう」
 ロイはそう呟いて辺りを見回す。一番最初に目に付いた店の扉を開けて中へ入ると、カウンター席に陣取りワインと軽い食事を取った。時折話しかけてこようとする鬱陶しい連中をその鋭い眼光で追いやって、ロイは腹を満たすと店から出る。司令部を出た時には気持ちいいとさえ思えた冷たい風が今度はやけに身に沁みて、ロイは一刻も早く家に帰ろうと細い路地へと足を踏み入れた。
 夜遅い時分であることも相まって、路地に屯(たむろ)する連中はあまり柄がよろしくない。だが、ロイにはそんな連中も簡単に退けるだけの自信も実力もあったので、気にせずに歩を進めた。冷たい夜風を少しでも避けようと、コートの襟の中に半ば顔を埋めるようにしてロイは歩いていく。その時、荒い足音が聞こえたと思うと、ロイの前に一人の長身の男が立ちはだかった。
「なんだ、お前────」
「ちょっと、手ぇ貸して」
「は?」
 眉を顰めるロイに金髪の男は早口に言う。ロイが答えるのも待たず、男はロイの腕を掴むと街灯の光が射さない物陰にロイを押し込んだ。
「なにを」
 する、と言いかけたロイは不意に近づいてきた男の顔に息を飲む。間近に迫ったその瞳が空色だと思った瞬間、ロイの唇は男のそれに塞がれていた。
「ッッ?!」
 ギョッとしてロイは男を突き飛ばそうとする。だが、男はロイの腕を掴むといとも容易くその抵抗を封じ込め、深く唇を合わせた。
「んんッ!んーーーッッ!!」
 入り込んでくる舌にロイは目を瞠る。何とか男を押しやろうと腕を突っ張ってみたが、男の体はビクともせずむしろ唇が深く合わさるばかりだった。
「ん……ふ……ッ」
 舌先を絡め上顎をなぞり歯列を辿る舌にロイは震えながら男の胸に縋る。ロイの唇の端から飲みきれない唾液が垂れたのを辿るように、男はロイの首筋に舌を這わせた。
「や……やめ……っ」
 逃れようと思うのに体に力が入らない。男の腕の中でビクビクと震えるロイの耳に、粗野な声が飛び込んできた。
「てめぇ、ハボック!逃げたと思ったらこんなところで何やってやがるッ!!」
「俺達をおちょくるのも大概にしろよッ!!」
 怒りも露わに怒鳴る男達の声に、ロイの首筋に舌を這わせていた男の動きが止まる。ハアアとあからさまに大きなため息をつくと、ハボックと呼ばれた男はゆっくりと振り返った。
「人がせっかく彼女と楽しんでんだから、今日は遠慮しとこうとか気を利かせらんねぇのかよ」
「ああ?彼女だぁ?ソイツ男だろうがッ!」
「えっ?」
 男達に指さされて、ハボックは慌ててロイを見る。白く整った顔立ちをまじまじと見つめると、ハボックはロイの胸にぺたりと手のひらを当てた。
「ない」
 そう呟いてハボックはもう一度ロイの顔を覗き込む。じっと食い入るように見つめると、ハボックは驚いたように目を瞬かせた。
「綺麗な顔してるからてっきり女の子だと思った」
「な……ッ」
「ちょっとコイツら撒こうと思ってさ。彼女のフリして貰おうかと思ったんだけど男だったとは。ごめんね、男なのにキスしちゃって。まあ、アンタみたいに綺麗なら男でもオレは全然気にしないけどさ」
 ヘラッと笑って言う男をロイは呆気にとられて見上げる。ハボックはチュッとロイの頬にキスすると、追ってきた男達を振り返った。
「ガタガタうるせぇ奴らだな。いい加減因縁つけんのはやめろ」
「なんだとっ、貴様ッ!」
「オレは引き受けた仕事をこなしただけだ。それ以上でもそれ以下でもない。取引先に騙されたのはお前らが阿呆だっただけで、オレのせいじゃないだろうが。人に責任なすりつけてるんじゃねぇよ。大人しくあきらめてボスにでもなんでもシメられろ」
「てっ、てめぇッッ!!」
 冷たいハボックの言葉に男達が目を見開く。怒りに歯を剥き出すと手にナイフやトンファーを構えた。
「やっちまえッ!!」
「おおッ!!」
 手に手に武器を持った男達の姿にロイは驚いて一歩前へ出ようとする。だが、その前にハボックは腕を出してロイを背後へと押しやった。
「アンタは下がってて」
「だが」
「綺麗な顔に傷でもついたら困るっしょ。それに」
 と、ハボックは目を細める。
「こいつらはオレに喧嘩を売ってきた。オレの獲物だ」
 そう言ったハボックの瞳が硬質な輝きを宿し、その唇がニィと笑みを浮かべた。その次の瞬間。
「グハッ!!」
 近くに立っていた男の体が悲鳴と共に吹き飛ぶ。ドカッと壁に体を叩きつけられて地面に頽れた男に歩み寄ると、ハボックは男の手からトンファーを取り上げた。
「ふむ」
 握り具合を確かめたハボックは、トンファーを軽く回転させて構える。ハボック達を取り囲んだまま凍り付いて身動き出来ないでいる男達を見遣ると、ハボックはにっこりと笑った。
「次は誰?」
「う、うおおおッ!!」
 ハボックの迫力に押されるように、男が一人やけくそといった体でナイフを突き出して突進してくる。ハボックはトンファーでナイフを弾き飛ばすともう一方で男の顎を思い切り殴った。
「ガッ!!」
 骨の砕ける鈍い音がして、男が地面に突っ伏す。倒れた男には目もくれずジャリと地面を鳴らして一歩ハボックが踏み出せば、取り囲んだ男達が慌てて後退した。
「次は?なんなら一遍にでもいいぜ?」
 ニコニコと人懐こいまでの笑みを浮かべるハボックに、息巻いていた男達はそれまでの勢いが嘘のように顔色をなくす。ジリジリと後ずさるとハボックに向かって大声を上げた。
「今日のところは見逃してやるッ」
「お、覚えてろッ」
 お約束の捨て台詞を吐き捨てて、男達はバラバラと逃げ出す。ハボックはため息をつくと置き去りにされた男達を見下ろして言った。
「連れていってやれよ、仲間なんじゃねぇの?」
 そうは言ったもののハボック自身何かしてやるつもりもないらしい。その証拠に手にしていたトンファーを倒れた男の上に投げ捨てるとロイを見た。
「大丈夫っスか?」
「え……っ?あ、ああ」
 ハボックの声にロイはピクリと震えて答える。ハボックはロイの側に歩み寄ると、その白い頬を大きな手で撫でた。
「巻き込んですんませんでした。一人で帰れます?」
「あ、当たり前だッ」
「そっスか。ならよかった」
 ロイの言葉にハボックはにっこりと笑う。スッと顔を寄せるとロイの唇を舐めた。
「やっぱアンタ、男にしとくの勿体ねぇ」
 ハボックは間近からロイの瞳を覗き込んで囁く。大きく見開く黒曜石に笑みを浮かべると体を離した。
「じゃあね、さよなら」
 何事もなかったかのように笑ってそう言うと、ハボックは立ち去ってしまう。
「な……なんなんだ、アイツは」
 ロイは立ち去るその背を見送って呆然と呟いたのだった。


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