| カストルはポルークスの夢を見るか 第一章 |
| 「ハボ!」 「遅いっ、ブレダ!」 部隊の展開を終えて走ってきたブレダにハボックは振り向きもせずに言う。いつもは陽気な友人の作戦中の時にだけ見せる感情の欠片もない冷たい横顔を、ブレダはちらりとみやるとその傍に膝をついた。 「すまん、ちょっとモタついた」 「訓練足りないんじゃねぇの?」 言えば即座に帰ってくるキツい言葉にブレダは鼻に皺を寄せる。それでもハボック隊の部下の「あと30秒です」という声に気を引き締めるとテロリスト達が立てこもる建物を見つめた。カウントダウンがゼロを告げたと同時に建物のあちこちで火の手が上がる。 「Go!」 ハボックの声と共にブレダ達は一斉に建物へと向かった。 「あー、終わった終わった」 埃と硝煙に塗れた男達がドカドカと司令部に戻ってくる。ブレダは傍らのハボックを見上げて言った。 「思ったより早く済んだな」 「お前んとこがモタつかなきゃもっと早く終わってた」 「………結果オーライだろ」 嫌なところを突いてくる友人をブレダは恨めしげに睨む。それに冷たい視線を返してハボックは言った。 「先に大佐んとこ行ってくる」 「おう」 言って丁度差し掛かった角をハボックは司令室の方へ歩いていく。その背を見送りながらブレダはやれやれとため息をついた。 「ほんと、作戦中は別人だな、ハボのヤツ」 ブレダはそう言って軽く首を振ると、シャワールームへと歩いていった。 「大佐」 ノックとほぼ同時に開いた扉をロイはジロリと睨む。許可も得ずにズカズカと執務室に入ってきた男を見て言った。 「ハボ……いや、ジャクリーンか」 「……間違えんでくれます?アイツなんかと」 思い切り不満そうに言ってハボックはロイを睨む。そのアイスブルーの瞳を見上げてロイは言った。 「その顔なら万事上手くいったようだな」 「当たり前っしょ?俺は“ハボック”とは違うんスよ」 そう言うハボックにロイは苦笑する。椅子に軽く背を預け、両手を腹の上で組んで言った。 「またそんな言い方を。アイツだってお前だろう?」 「人を傷つけるのが怖くて、俺の陰に隠れちまうような奴、これぐらい言ったって構うもんスか」 そんな風に言うハボックをロイは見つめる。そうして彼が蔑む男の事を思ってほんの少し辛そうに目を細めた。 いつの頃からだったろう。ハボックの中に別の人格が現れるようになったのは。そもそもジャクリーンと言うのは単なるコードネームでしかない筈で、ハボックと呼ぼうがジャクリーンと呼ぼうが、最終的には同じ個人を指すはずだった。だがある時、ロイを前にして“ジャクリーン”が言ったのだ。 自分を“ハボック”と一緒にしないでくれ、と。 最初は冗談を言っているのかと思ったロイだったが、それが冗談などではないことに気づくまでそう時間はかからなかった。“ハボック”である時の彼はとても陽気で人懐っこい男だった。恋人であるロイを気遣い、優しくしてくれる。だが“ジャクリーン”が表に出てきた時の彼はまるで別人だった。冷徹で傲慢、任務の為ならとことん非情になれる男だ。ロイの事も恋人としてその存在を認めているのか、正直ロイ自身にすらよく判らなかった。普段、表に出ているのは主に“ハボック”の方で、“ジャクリーン”はそもそもその名を必要とした任務中に現れることが多かった。そして不思議なことに“ジャクリーン”は“ハボック”でいる時の記憶を委細漏らさず全て持っているのに対し、“ハボック”は“ジャクリーン”の存在を認識すらしていなかった。そんな事では任務中の出来事が記憶になく、色々な面で差し障りがでそうなものだったが、そのあたり“ハボック”はどうやってか記憶の補完をおこなっているようだった。“ハボック”にないのは“ジャクリーン”として行動した記憶で、ロイが“ジャクリーン”が口にしたことを指摘しても“ハボック”にはまるで覚えがないのだった。 ロイは精神科医でもないし脳の働きについて詳しく知っているわけではない。だからどうして一つの体に二つの人格があるのかと聞かれても答える事はできなかったが、確かにそこには“ハボック”と“ジャクリーン”が存在していたし、ロイ自身、二人がまるで違う人格を備えていることに気づいていた。そうであればその事実を事実として受け止めるしかロイには出来なかったが、それはまたロイにとって実に複雑な感情を呼び起こしていた。 「まあ、多少ブレダんとこがモタついてたっスけど、概ね予定通りでしたよ」 ジャクリーンは煙草を懐から取り出して火を点けながら言う。ロイはじっと見つめてくるジャクリーンのアイスブルーの瞳から目を逸らして頷くと言った。 「ご苦労だったな、後で報告書を出しておいてくれ」 その言葉にジャクリーンは頷いて執務室を出ていく。ロイはそのアイスブルーの瞳が視界から消えるとホッと息を吐いた。 (同じ男の瞳なのに) とロイは思う。 (ジャクリーンの目は苦手だ) “ハボック”の瞳は綺麗な空色で、まさしく晴れ渡った空を思わせる。その瞳を見つめていればささくれだった心も落ち着いたし、いつまでも見つめていたと思う。だが、“ジャクリーン”の瞳は“ハボック”のそれよりずっと硬質だった。まるでガラスか氷で出来ているようで感情を映し出さない。そして、じっと見つめられると心の中も体の内も、何もかも全て見透かされそうな気がするのだ。 それでも。 (私が好きなのはどっちの男なのだろう) ロイは時々そう思う。“ハボック”と“ジャクリーン”と。まるで鏡の外側と内側のように対照的な二人を思って、ロイはそっと目を閉じた。 「どうしてアンタがここにいるんスかッ?」 銀行強盗の立てこもり現場に現れたロイを、長身の部下が目を吊り上げて睨む。その瞳が硬質な光を放つのを見て、ロイは今ここにいるのが“ジャクリーン”だと判った。 「後ろでのんびり待っているのは性に合わない。それに私が出てきた方がずっと早く済むだろう?」 ニヤリと笑って言えばジャクリーンの纏う空気が一気に氷点下の方へと下がる。ロイはそれに構わず一歩前に出てジャクリーンの隣に立つと言った。 「四の五の言ってる暇があるならさっさと終わらせて帰るぞ」 ロイがそう言えばジャクリーンは腰の後ろからナイフを取り出す。 「アンタの助けはいりません」 「ハボック」 「その名で呼ぶな…ッ」 ジャクリーンはそう言うなりナイフを手に立てこもり犯のいる建物へと飛び出していった。 「ハボック、今日のやり方はいただけんな」 「アンタがしゃしゃり出てきたからでしょ?それから俺は“ハボック”じゃねぇッ」 ダンッとロイの机を乱暴に叩いてジャクリーンが言う。銃を手に立てこもっていた犯人を、ジャクリーンは単身、しかもナイフ一本で叩きのめしてしまった。人質にも怪我人を出さず、結果から見れば良しと言えるのかもしれない。 だが。 「犯人が目の前で刺殺されるのを見た人質がショックを受けてる」 「一番被害も少なく、見た目にもグロくないようにしたつもりっスけど」 「ジャクリーン」 まるで何でもないことのように平然として言う男にロイはため息をつく。ジャクリーンはそんなロイを不満げに睨んだ。 「何がいけないんスか?被害も出さず事件を解決した。褒められこそすれ責められる理由がどこにあるって言うんスか」 「ジャクリーン」 たしなめるように言うロイをジャクリーンはアイスブルーの瞳で睨む。 「俺のやり方が気に入らないなら“ハボック”を呼ぶんだな」 「………ジャクリーン」 「…ッッ!!」 そう呼ばれた途端、ジャクリーンはダンッと机を叩いて執務室を飛び出していった。 |
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