| 素直になれなくて 前編 |
| 出掛けにかかってきた電話に、ハボックを休憩所で待たせ、だが、思いがけず長引いてしまったそれに慌てて階段を駆け下りる。見慣れた金髪が階段の途中から見えて、声をかけようとして開きかけた口を、聞こえてきた声が封じてしまった。 「いやあね、ジャンってば!」 「だってそうだろ、アンヌ」 ケラケラと笑う明るい声にそっと覗き込めば、ブルネットの髪をきりりと結い上げた、目鼻立ちのハッキリしたグラマラスな美女がハボックと話をしていた。 「アンタって昔っからそうよね」 そう言って身を乗り出して上目遣いにハボックを見上げる仕草にぎくりとする。その動揺が、女性自身に対してではなく、それを見たハボックがどう思うかという事についてだと気がついて、そのまま声をかけられずに司令室へと戻ろうとする私の耳に、明るい声が届いた。 「でも、アンタのそういうとこ、好きよ」 その言葉が小さなとげのように心に突き刺さり息が出来なくなって。軍服の上着の襟を握り締めるように掴むと、足を引き摺るようにして司令室へと戻った。 「たいさぁ、ひどいっスよ〜」 いつものようにろくにノックもせずにハボックが執務室に入ってくる。 「オレ、ずっと休憩所で待ってたんスよ?」 一緒にメシ食おうって言ったのに、と文句を言うハボックに書類から顔を上げずに答えた。 「急ぎの書類が入ったんだ、仕方ないだろう」 「だったら教えてくれてもいいじゃないっスか。そうしたらアンタの分もパンとか買ってきたのに」 「…楽しそうに話してたから邪魔しちゃ悪いと思ったんでな」 思いがけず責めるように言ってしまい、怒ったろうかとそっとハボックの様子を窺う。ハボックは一瞬目を瞠ったが、次の瞬間、ああ、と頷いた。 「アンヌのことっスか?」 「随分仲がいいんだな」 こんな風に言うつもりはないのに。 「士官学校時代の同期なんスよ。女なのにちっとも色気がなくって、しょっちゅうブレダたちと一緒につるんで飲みに行ってました」 「グラマラスで美人でお前の好みど真ん中なのに、色気がないって事はないだろう」 イヤだ、こんなまるで嫉妬しているような自分は。 「それが不思議なんスよね。アイツとは全然そういう雰囲気になんなくて」 あっけらかんと答えるハボックは、醜い私の感情になど気づかないように見える。もう、これ以上ハボックを見ているのが辛くて。気が散ると邪険に言い放つとハボックを執務室から追い出した。 ハボックと付き合いだしたのはいったいいつからだったろう。私をまっすぐに見つめて「好きです」と言ってくるアイツに、何も言えなかった私をハボックは空色の瞳を細めて笑いながらぎゅっと抱きしめてきたのだ。そうして、いつの間にかキスをするようになり、気がついたときにはそういう関係になっていた。私が抱いている気持ちをハボックに伝えたことなどない。でも、いつの間にかハボックの腕の中が私の居場所になり、そこで眠りにつくことがどこよりも落ち着くようになっていた。気がつけばアイツのことを目で追ってしまい、目が合って慌てて目を逸らすことがしょっちゅうだった。ハボックは事あるごとに「好きだ」と囁いてくる。ベッドの中は勿論、誰も見ていない瞬間、そっと耳元に口付けながら「好きだ」と囁く。耳の中に吹き込まれる声に、ぞくりとなにかが背筋を這い上がり、それをハボックに気づかれたくなくて乱暴にハボックを押しやるのが常で。そうすると、ハボックは酷く嬉しそうに笑うのだ。 気がつけば日がな一日ハボックの事を考えている自分がイヤだ。いつの間にこんなにアイツに縛られてしまったのだろう。昔は一人で立っていられたのに、気がつけばアイツが隣りに立っているのが当たり前で。こんな弱い自分が赦せない。こんな弱い自分にしたアイツが赦せない。こんな想いを抱いているのは間違ってるんだ。ホントはアイツなんて大嫌いなんだから。 「しっつれいしまーす」 コーヒーのトレイを持ってハボックが執務室に入ってきた。そろそろきりのない書類の山にウンザリしていたところだ。大雑把なように見えて、実はよく気の利くこの男はいつだって絶妙のタイミングで息抜きの時間を作ってくれる。 「はい、どうぞ」 「…うん」 笑いながら差し出してくるカップを、ろくに礼も言わずに受け取ってそっと口を付ける。ほんのりと薫るバニラの香りがささくれ立った心を癒すと同時に、泣きたい気持ちを巻き起こした。 「今日の夕飯、なんにしましょうか?食べたいもの、あります?」 トレイを抱えたままハボックは机に腰を引っ掛けてコーヒーに口を付ける私を見下ろしてくる。長い指が前髪を玩ぶのを至近距離でぼんやりと見つめ、次の瞬間慌てて振り払った。 「じゃあ、かぼちゃのグラタンにしましょうか。ほんのり甘くて温まって、きっと疲れが取れますよ」 何にも言ってないのに。どうしてコイツは自分が欲しいものを言い当てるんだろう。 「今日は火曜日だからアンタの好きなパンを売ってますよね。帰りにそれ買ってきます。他にリクエストは?」 そう言って覗き込んでくる空色の瞳を見返せなくて。瞳を閉じれば唇の上に優しい感触が降って来る。 「好きっスよ、たいさ」 ホントはお前なんかなんとも想っていないと言ったら、お前はどうするだろうか。 急ぎの書類をとりあえず片付けて、気分転換に外へと出た。中庭の奥まった一角の木の根元に座り込むと目を閉じる。さやさやと通り過ぎる風が、心の中の重たいものを取り去っていってくれる様で、小さく息を吐いた。その時、さっき聞いた明るい声が別の声と話をしながら近づいてくるのに気がついた。思わず座っていた木の根元からもう少し奥の繁みへと身を隠す。その声は近くまでくると立ち止まって木の幹にもたれかかったようだった。 「さっき久しぶりにジャンに会ったんだけど」 「ああ、今、マスタング大佐のとこにいるんだろ?」 「その、マスタング大佐ねぇ」 とあの明るい声がほんの少し声にイラついた色を滲ませる。 「何だかジャンってば、大佐の送迎どころか食事の世話まで焼いてるみたいなのよ」 「食事ぃ?なんでアイツが?」 「知らないわよ。食事どころか掃除や洗濯までって言うの。上司命令とかって言ってるんだわ、きっと」 その言葉にもう一方の声が「サイテー」と唸った。 「アイツも気がいいからな。断りきれないんじゃないのか?」 「ジャンは召使じゃないのよ。国家錬金術師だか大佐だか知らないけど、ジャンが可哀相だわ」 二つの声は再び歩き出したと見えてだんだんと遠ざかっていく。だが、もう出て行っても大丈夫と判っていても、潜り込んだ繁みの中から出て行く事が出来なかった。 『ジャンが可哀相だわ』 さっき刺さったとげがもっと大きい楔になって心に打ち込まれて。ぎゅっと膝を抱え込んで消えてしまえとばかりに小さく身を縮めた。 「たいさ、風邪ひきますよ」 降って来た声にハッとして顔を上げると、ハボックの空色の瞳と目が合った。ハボックは手を伸ばすと私の腕を掴んで引き起こす。腕を引かれるままに立ち上がった私の軍服の裾を払うハボックに、小さな声で聞いた。 「どうして、ここに?」 「そりゃね」 そう言ってハボックは空色の目を細める。「愛の力っしょ」とへらりと笑うハボックに、返す言葉が見つからなくて瞳を伏せた。 「こんなに冷えちゃって」 優しく抱きしめてくる腕に涙が出そうになる。やっぱりお前なんて嫌いだ。だってわけもなく泣きたくなる。ハボックの腕を振り払うと振り返らずに歩き出す私の後をハボックが追ってきた。さり気なく隣りに並ぶハボックを睨み上げればにっこりと笑う。 嫌いだ、お前なんて。そう言いたいのに。 執務室に戻って中尉がより分けた書類に目を通してサインをして。気がつけば窓から差し込む光は赤みを帯びていた。 「今日はこれで結構です」 中尉にそう言われて席を立った。執務室の扉を開けてハボックに目をやれば、なにやらペンを片手に電話をしている処だった。その真剣な横顔にどくりと心臓が跳ねる。慌てて首を振ると執務室に戻りコートを取り上げた。きっと少し待てばハボックが車を回してくれる。でも、それを待っているのが辛くて、コートを抱えたまま足早に司令室を出た。 「たいさっ?ちょっと待って!」 ハボックが受話器の送話口を押さえて声を上げるのを無視して、逃げるように司令部を後にした。 |
→ 後編 |