He must keep something secret from me.   前編


「あれ、大佐。何か飲み物でも?」
 キッチンに入ったオレは冷蔵庫の中を覗き込む大佐を見て声をかける。オレの声にぎくりと肩を跳ね上げた大佐はバタンと冷蔵庫の扉を閉めると何でもない風を装って答える。
「いや、別に特に何かと言うわけじゃ」
 とかなんとかぶつぶつ言うと、ちらりと時計を見てわざとらしく言った。
「そろそろ出かけた方がいいんじゃないか?」
 今日、大佐は非番でオレは夜勤だ。大佐の晩メシは温め直せばいいようにしておいたからもう何もすることはないと言えばそうなのだが。
「ハボック?」
 返事をしないオレを不思議そうに見つめる大佐にこっそりため息をついて。まるでオレを追い出したいかの様な大佐に背を向けると、オレは着替えをしに2階へと上がったのだった。

「うーす」
「おう」
 司令室の扉を開けてそう声をかければ、机で煙草をふかしていたブレダが答える。
「あ、ハボック少尉。夜勤お疲れさまです」
 フュリーが人懐こい笑みを浮かべるのに手を上げて答えるとどさりと椅子に腰を下ろした。
「どしたよ、しけた顔してんじゃん」
 後はもう帰るばかりといった体のブレダがぷかりと煙を吐き出して言う。
「別にぃ」
 オレは答えると背もたれに寄りかかって主のいない執務室の扉を見た。
 最近大佐の様子が変だ。何となくよそよそしいし、オレが話し掛けてもどこか上の空だ。怒っているのかとも思ったがそうでもなさそうだし。何か彼の気に障ることでもしてしまったかとずいぶん考えてもみたがまるで思い当たらず、だったら当の本人に聞けばよいのだが何となくそれもはばかられて、オレは一人悶々としていた。
「昼間はいたって平穏だったぜ。トラブルを呼び寄せる人が休みだったせいかね」
 大佐が聞いたら眉間に皺を寄せそうなことをさらりと言うと、ブレダは灰皿に煙草を押しつけて立ち上がった。
「んじゃ、俺は帰るけど」
 頑張れや、と声をかけてブレダが司令室の扉を開けた時、ブレダの足元を何かがするりと通り抜けた。何だろうと見たオレの視界に入ってきたのは。
「ぎゃーーーっっ!ねこっっ!!」
 オレは犬に出くわしたブレダにも負けないような絶叫をあげると椅子から飛び上がった。後退ろうとしたものの思ったより引けていなかった椅子に足をとられて無様にもひっくり返る。
「何やってんだよ、ハボ」
 ブレダは呆れたような声を上げるとトラ縞の猫を抱き上げた。
「お前に言われたかねぇ」
 犬を見りゃお前だって無様に喚き散らすくせして何言ってやがるんだ。もっと言ってやろうとしたオレの耳にブレダが抱いた猫の鳴き声が入ってきて、ぞわわわわと体中の毛穴が立ち上がった気がした。
「どっから入ってきたのかね」
 ブレダは猫の顔を覗き込みながら「どこから入ってきたんでちゅか?」などと幼児語で話しかけている。余計に鳥肌が立つからやめろっての。
「そんなことはどうでもいいから、ソイツをどっかへやってくれっっ!!」
 オレはなるべく猫を刺激しないようにそっと立ち上がるとできるだけ離れた場所へと移動した。
「ハボック少尉、猫、苦手なんですか?」
 意外〜、とフュリーが目を丸くして言う。するとブレダがニヤニヤと笑いながら答えた。
「コイツ、ガキの時に化け猫映画見て以来、猫ダメなんだよな」
「映画?」
「そうそう。なんかどっか東洋の映画を田舎の映画館でやってさ、コイツびびって泣いたんだぜ」
「仕方ないだろっ、すっげぇ怖かったんだからっ!ガーガー寝てたてめぇに判るかっ!!」
 そうなんだ、子供の頃偶然見た東洋のお化け映画。主人と一緒に殺された猫が化けて出るという話だったのだが、それがいわゆる普通のホラーとは比べのものにならないくらいおどろおどろしくて怖くて、もう見たくないのに画面から目が離せず、オレはそれ以来猫ってものが大の苦手になったんだ。
「でも、映画だろー。作り話じゃん」
「子供だったんだから仕方ないだろっ、トラウマなんだよ、トラウマっっ」
 オレがそう喚けば、フュリーが猫の頭を撫でながら言う。
「そんなもんですかねぇ、こんなに可愛いのに」
「だよなぁ」
 ウルサイ、ほっとけ、苦手なものは苦手なんだ。
「なんでもいいからソイツ、連れてけよ。ここに置いてったらオレは家に帰るからなっ!」
 猫と一緒に夜勤だなんて真っ平ごめんだ。夜中に化けたらどうするんだ。オレが顔を引きつらせてそう言えばブレダが武士の情けとか何とか言いながら猫を抱いて出て行った。オレは椅子に座るとくたりと机に懐いてしまう。なんだか仕事の前からやたらと疲れた。そうでなくても気分的にお疲れモードなのに。オレは煙草を吸う気にもなれず盛大にため息をつくと、ぐったりと目を閉じたのだった。

 結局大きな事件も起きぬまま、平穏に夜が過ぎ朝がやってきた。何事もなかったわりには疲れた体を叱咤して大佐が出てくるのを待つ。だが結局、司令部に顔を出す前に将軍に捕まったとか何とかで、顔を合わすこともできなかった。仕方がないので中尉に報告と引継ぎを済ませると、のろのろと家路につく。せめて大佐の顔を見たら元気も出るかと思ったのに、これも猫の呪いだろうかなどと考えながら歩くうちに家へと辿りついていた。玄関の鍵を開けて家に入ると上着とブーツを脱ぎ捨てる。シャワーを浴びたら一眠りしようと思いつつ、とりあえず一度ソファーに腰を下ろしたオレの耳に。
 にゃあ。
 ガタッと飛び上がってあたりを見回す。今聞こえた声は、いやまさか、そんなはず。オレはもう一度聞こえはしないかと耳をそばだてたが、エアコンの低い稼動音が聞こえるだけで何も聞こえはしなかった。
「気のせい…気のせいだよな」
 昨夜あんなことがあったから気が立ってるんだ。とにかくシャワーを浴びて寝てしまおう。オレはそう考えて風呂場に飛び込むと頭から熱いシャワーを浴びて即行ベッドに飛び込んだのだった。

 ガタガタという音に目を覚ます。薄暗い部屋の天井をぼんやり見上げていたオレは、次の瞬間飛び起きた。
「えっ…今何時っ?」
 慌てて時計を見ればもう7時が近い。丸一日寝てしまった事に軽いショックを受けて、オレは急いで階下へと駆け下りた。部屋の明かりはついていて、大佐が帰った跡はあるのに肝心の大佐は見当たらない。書斎にいるのかとそちらへ足を向けたオレの耳に、微かな話し声と何か鳴き声のようなものが聞こえてきた。
「大佐?」
 書斎の扉の外から声をかければガタガタと激しい音がして、大佐が顔を出す。
「どうかしたんスか?」
 大佐の肩越しに書斎の中を見ようとしたオレを押し出すようにして、大佐は書斎から出てくると後ろ手に扉を締めた。
「お前こそよく眠ってたな」
 そう言われて思わず顔が紅くなる。
「すんません、なんか爆睡しちゃって…まだメシの用意も出来てないっス」
 急いで用意しますから、というオレを引き止めて大佐が言った。
「いいさ、今日は外に食べに行こう」
 そう言われて思わずオレが恐縮した時。
 にゃあ。
 ぞわぁっと全身の毛が総立ちになったオレは大佐の肩を掴む。
「いっ、今、猫の鳴き声しませんでした?」
「…気のせいだろう?」
「いやっ、確かにしましたっ、どっどこからっ?!」
「私には聞こえなかったぞ」
 大佐が不思議そうな顔をしていうからオレは叫ぶように言った。
「昨夜司令室に来た猫を邪険にしたから、もしかしてソイツが怒って…っ」
 化けて出たのかも、というオレに大佐は呆れたように言う。
「そんなわけないだろう」
 でも、確かに聞こえた。そう言えば寝る前にも聞こえた気がする。オレが丸一日爆睡してたのももしかすると猫の所為かも―――っ!
 パニックを起こしかけたオレを冷ややかな目で見る。
「あのなぁ、いい加減にしろ。ほら、食事しに行くぞ」
 そう言う大佐に背を押されるようにしてオレは夜の街へと出かけて行った。

 なんだかあの猫の騒動以来調子が出ない。オレは書き上げた書類にサインをもらうべく執務室の扉をおざなりなノックと共に押し開ける。電話をしていた大佐が、慌てたように挨拶もそこそこに受話器を置いてオレを見た。
「おい、ちゃんと返事を聞いてから開けろ」
 今更なことを言う大佐をじっと見て、オレは今扉を開けた瞬間、聞こえてきた言葉を反芻する。大佐は何て言っていた?確か大佐は。
『ジャクリーンは元気にしてるかい?』
 そうだ、確かにそう言っていた。ジャクリーンはミッション中のオレのコードネームだ。特殊な任務がある時、大佐は前もってオレの様子を確認する為にふざけたように「ジャクリーンは元気か」と聞くことがある。でも今のは。
『ジャクリーンは元気にしてるかい?』
 あれは絶対にそういうんじゃない。じゃあ、ジャクリーンって誰?
「―――ック!」
 ジャクリーンてオレ以外の女の人?
「ハボックっ!!」
「え?…あ」
 ぼうっと立っていたオレは大佐の呼ぶ声にようやく気づくと大佐の顔を呆けたように見つめた。大佐は綺麗な顔の眉間に皺を寄せるとオレの顔をじっと見返す。
「どうした、ぼうっとして」
「あ、いや別に…」
「サインか?見せてみろ」
 大佐はオレの手から書類を奪い取ると目を通していった。オレは俯く大佐の黒髪を見つめて呟くように聞く。
「大佐、今誰と話して…」
「ん?よく行く古書店の店主だよ」
 目を上げずにそう答える大佐の言葉を、オレは嘘だと気づいてしまう。オレに嘘ついてまで隠そうとするジャクリーンって誰?
「ほら、持っていけ」
 書類を突き出す大佐はそのまま早く出て行けと言っているようで。オレはジャクリーンが誰なのかも聞くことが出来ずによろよろと執務室を出るしかなかった。


→ 後編