セレスタの涙、オニキスの誓い  第一章


「マスタング大佐!」
 背後から呼ぶ声に振り向いたロイは、手を振って駆け寄ってくる姿に目を見開く。走り寄ってきた長身を見上げて、ロイは言った。
「ハボック!そうか、今日からこっちだったな」
「はい。まだこれから半年訓練期間があって、それから正式に配属決定っスけど、でもとりあえずこっちに来たっスから」
 ハボックはそこまで言ってピッと敬礼する。
「どうぞよろしくお願いしますっ、大佐!」
「ああ、こちらこそよろしく頼む」
 答えてロイが敬礼を返せばハボックは満面の笑みを浮かべた。
「じゃあ、オレ、これから演習なんで」
「ああ、頑張れよ」
 慌ただしく廊下を駆けていく若い士官を見送ってロイは目を細める。知らず唇に笑みを浮かべていれば、傍らにいたホークアイが言った。
「嬉しそうですね、大佐」
「えっ?あ、ああ」
 一緒にいた副官の自分の存在すら一瞬忘れてしまった様子のロイにホークアイがクスリと笑う。決まり悪そうに目を逸らして歩き出すロイに従いながら、ホークアイは尋ねた。
「随分若いですね。ルーキーですか?」
「ああ、士官学校出たてのホヤホヤだよ」
「あら、それじゃあ彼が例の?」
 ホークアイは言いながらちらりと背後を振り返る。もうとっくに見えないその姿を確認したかのように視線を前方に戻す副官に頷いてロイは言った。
「ジャン・ハボック。半年後には司令室の一員だ」
 ロイはそう言って丁度たどり着いた司令室の扉を開ける。大部屋を通り抜け執務室に入るとドサリと椅子に腰を下ろした。
 ロイがハボックに出会ったのは半年ほど前、講演の為嫌々ながら出かけた士官学校の中だった。壇上にあがる時間を少しでも遅らせて楽をしようと算段していたロイは、潜り込んだ資料室の片隅、高い天窓から射し込む光の中眠り込んでいたハボックを見つけたのだ。そのあまりに気持ちよさそうな寝顔に起こすのが憚られてじっと見つめていれば、人の気配にゆっくりと開いた瞳の透き通る空色にロイは心奪われてしまった。目覚めてぼんやりと見上げていたハボックが我に返って素っ頓狂な声を上げるのを押さえ込んで捜索の手から逃れたロイは、同じようにサボリを決め込もうとしていたハボックとすぐさま意気投合しその場で話し込んでしまった。隠れていた二人が発見された時には講演の時間はとっくに過ぎ去り、当然の結果としてそれぞれにこっぴどく叱られたものの、その後も連絡を取り合い親睦を深めていった。その中でロイはハボックを部下にと望み、ハボックも士官学校卒業後の勤務地として東方司令部を希望し、そうして今日の再会となったのだった。
「やっと君以外にも背中を預けられる相手ができそうだよ」
 嬉しそうに言うロイの前に書類を差し出しながらホークアイは答えた。
「それはようございました。私もお守りをしてくれる人員が増えて助かりますわ」
「お守り……」
 浮かべた笑顔からは想像もつかないことをさらりと言うホークアイにロイは眉を下げる。そんなロイにホークアイは追い打ちをかけるように言った。
「彼が司令室に配属になったらお守りの仕方を伝授しておかなければなりませんね。いっそ今から教え込んで捜索隊の一員になって貰った方がいいかもしれませんわ」
「おい」
 隙さえあればサボリを決め込もうとする上官にとびきりの笑顔でそう言うホークアイにロイは思い切り眉を顰める。そうすればホークアイは机に積み上げられている書類の山のてっぺんに手を置いて言った。
「そうされたくなければこの山をさっさと片づけてください」
「……判った」
 にっこりと笑うホークアイの笑顔の裏に本気を見て取って、ロイは大真面目に頷くと慌てて書類をめくり出す。その姿にひとまず納得してホークアイが出ていくと、ロイは書類をめくる手を止めた。
(やっとハボックがイーストシティに来たか)
 半年前、ハボックと出会ってから色んな事を語り合った。学生時代に戻ったように随分と青臭い事も口にしたが、それがロイの志気を高めたのも事実だった。
『オレはまだまだヒヨッコっスけど、大佐の役に立てるよう頑張るっスから』
 目を輝かせて言うハボックが部下として己を支えてくれる日を心待ちにしていたのだ。
(早くここまで来い、ハボック)
 大きな期待に熱くなる胸の奥、そこに眠っているものの存在にはまだ気づかぬまま、ロイは窓の外に広がるハボックの瞳と同じ色の空を見上げた。


「ハボ!おせぇぞ、早くしろ!」
「うん、判ってる!」
 ロッカールームに飛び込めば既に戦闘服に着替え終えたブレダが言う。それに答えながらハボックは脱ぎ捨てた軍服をロッカーに放り込み、黒の上下を身につけた。
「急げよ!最初っから遅刻したら目ェつけられちまう」
「判ってるって」
 足踏みしながら待っているブレダに頷き、ハボックは装備を確認する。バンッとロッカーの扉を閉めれば飛び出していくブレダに続いて、ハボックもロッカールームを出た。
「なにやってたんだよ、時間ないってのに」
「んー、ちょっと挨拶しておきたい人がいたから」
 並んで廊下を足早に歩きながら尋ねてくるブレダにハボックは答える。そうすれば「ああ」と納得したようにブレダが言った。
「もしかしてマスタング大佐?」
「うん。丁度いるのが見えたからさ」
 半年ほど前、自分たちがいる士官学校に焔の錬金術師が来ると聞いて学校中が大騒ぎになった。待ちに待った当日、確かに来ていた筈のロイの姿が見つからず、講堂に学生を並ばせたまま教官たちが学校中を探し回ったところ、一人の学生とロイが人が滅多に入らない資料室の片隅で話し込んでいるのが見つかったのだ。
「あの学生がお前だと知ったときにゃ魂消たぞ」
「あはは」
 その時のことを思い出したのだろう、うんざりとした口調で言うブレダにハボックが苦笑する。それでも結局その後、生来の人懐こい性格故か年の差も階級の差もものともせず親しくなったロイの片腕になるべく、惰性でこなしていた訓練や学業に打ち込むようになったのだから、ロイとの出会いはハボックにとっていい切っ掛けだったとブレダは思っていた。
「やっとここまで来たんだ。もう一踏ん張りして大佐の部下にして貰えよ」
「勿論!ブレダも大佐んとこ、来るだろ?」
「まあ、行けたら面白そうだけどな」
 ハボックからロイの話を耳に胼胝ができるほど聞かされるうち、ブレダもロイの人となりに興味を持つようになっていた。
「とにかくまずは目の前のことを頑張ろうぜ、ハボ」
「おうっ」
 二人はそう頷きあうと既に仲間たちが居並ぶ演習場へと走っていった。


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