第九話


「まったくいつになったら涼しくなるんだ」
 ロイは部屋の窓から雲一つなく晴れ渡った空を見上げて呟く。視線を移せば部屋の床にべったりと貼り付くようにして寝転がったハボックの姿が見えた。じっと見ていれば時折ころんと転がっている。どうやら少しでも冷たさを得ようと場所を移動しているらしい事に気づいて、ロイはクスリと笑った。
「ハボック、そこは涼しいか?」
「ろーい……」
 尋ねればハボックがチラリとロイを見て呟く。いかにも暑さに参ったというような声音にロイは笑みを深めた。
「まあ、これだけ天気がいいと洗濯物だけは早く乾くがな」
 と、ロイは陽射しが降り注ぐ外へと視線を戻す。自分で言った一言で洗濯物がたまっている事を思い出してロイは眉を寄せた。
「あれが最後の一枚だったな」
 床に寝転ぶハボックを見てロイは呟く。今日洗濯しなければまたロイのシャツをワンピース代わりに着る生活に戻るしかなかった。
「もっと沢山買ってくればよかった」
 ハボックを連れて買い物に出掛けたあの日、やたらと声をかけられる事に辟易しながらも入った店で、ロイはハボックに合う服を店員に見繕って貰った。だが。
『双子なんですよね?だったらお揃いで着たらすっごく可愛いと思いますよ』
 ワンピース姿のハボックを連れて男の子の服を買おうとしたロイを訝しむ店員に、思わず双子の弟の服を買いにきたと口走ってしまえば、最初はただ男の子用の服を選んでくれていた店員が同じデザインの女の子用の服を勧め始めた。可愛いデザインの服に目を輝かせるハボックを見て、ロイは最初に選んで貰った数点だけ買うと早々に店を飛び出してしまったのだ。
「なんでもいいから適当に買ってくればよかったんだ」
 後悔したところで服が増える訳ではない。
「仕方ない、洗濯するか」
 ロイはやれやれとため息をついて立ち上がる。部屋を出ようとすれば、寝転がっていたハボックが起き上がってロイの後を追ってきた。階下に下り盥を引っ張り出して水を張る。植物系の洗剤を入れて洗い出せば、ハボックが小さな手でパシャパシャと楽しそうに水を叩いた。
 ハボックが一緒に暮らすようになってロイはそれまで使っていた洗濯機をやめて盥を使うようになっていた。以前一緒に暮らしていた時、盥で洗濯するのをハボックが喜んだからだ。だがやはり元々家事が好きでないロイにとって手洗いの洗濯は相当に負担で、やりたくなくてため込んでは着替えが足りなくなって嫌々洗濯するという繰り返しになっていた。
「なあ、洗濯機で洗濯してもいいか?」
 泡を跳ね上げて遊ぶハボックにそう尋ねれば、途端にハボックが泣きそうな顔になる。ロイはため息をつきながら洗濯をすませると、脱水だけは機械に任せようと洗濯場に洗った服を運んだ。洗濯機に放り込んで脱水を待つ間ロイは足元に纏わりつくハボックを見下ろす。どこからかフワリと飛んできた泡にハボックが手を伸ばしてピョンピョンと飛び跳ねた。
「そうか、要は泡で遊べればいいんだよな」
 そう呟いてロイはフムと考える。戸棚を開けて必要なものがあることを確かめ笑みを浮かべた。
「ハボック、いいものを作ってやる。だから洗濯は洗濯機を使わせてくれ」
 そう言えばハボックがキョトンとする。 ロイは棚から洗濯のりを取り出すとそれを手にキッチンへと向かった。キッチンでは台所洗剤とボウルを取り出す。ロイはボウルに水を入れるとその中に洗濯のりと洗剤を加えてよく掻き回した。
「おいで、ハボック」
 ロイは一生懸命背伸びして何をしているのか覗こうとしていたハボックに声をかけ、ボウルを持ってキッチンを出る。途中引き出しからストローとハサミを取り出し、扉を抜けて中庭へと出た。
「ここでいいか」
 ロイは庭の中ほど迄来るとボウルを足元に置く。木陰に入って強い日射しを避けて幹に寄りかかり、ハサミでストローの先に縦向きに何本か切れ目を入れた。切れ目を折って花のように開くとボウルを手に取りストローの先を洗剤液につけた。
「見ていろ、ハボック」
 ロイはそう言うと液をつけたのとは反対の方に唇を当てる。ふーっと優しく息を吹けば花びらからシャボンがゆっくりと膨らんで、フワリとまあるいシャボン玉が浮かんだ。ストローから離れたシャボン玉はフワフワと空に飛んでいく。目をまん丸にしてそれを見送るハボックにロイが言った。
「どうだ、シャボン玉だぞ」
「ろーいっ」
 自慢げにロイが言えばハボックがピョンピョンと飛び跳ねてストローに手を伸ばす。そんなハボックに「待て待て」と言いながらロイは片膝をつくと、ストローをハボックに渡した。
「いいか、先っぽを液につけたらそうっと優しく吹くんだ。間違っても吸うんじゃないぞ」
 ハボックはコクンと頷くとストローに洗剤液をつける。それからストローを口にするとフゥッと息を吹き込んだ。膨らみ始めたシャボン玉は、だがすぐ弾けて消えてしまう。
「ろーい〜っ!」
「大丈夫、慌てるな。もっとそっと吹いてごらん。優しくな」
 言われてハボックはもう一度液をつけ息を吹き込む。そうすればストローの先に生まれたシャボン玉はゆっくりと大きくなって、フワリと宙に浮いた。
「ろーいっ」
「上手いぞ、ハボック、その調子だ」
 フワフワと空に浮かぶシャボン玉に目を輝かせるハボックの頭をロイは撫でてやる。ハボックが液をつけて息を吹き込めばまた新しいシャボン玉が生まれた。
「ろーい〜!」
「よし、ハボック、シャボン玉をどんどん作るぞ」
 嬉しそうにぴょんぴょん跳ねるハボックにロイは言うともう一本ストローを作りシャボン玉を膨らませる。
「どうだ、大きいのが出来たぞ」
 ニヤリと笑ってロイが言えばハボックが負けじと大きなシャボン玉を膨らませた。
「ろーいっ」
「やるな、ハボック。よし、それならどっちが沢山シャボン玉を作れるか競争だ」
 その言葉にハボックが張り切ってシャボン玉を膨らまし始める。ロイとハボックが次々と生み出すシャボン玉が夏の空にフワフワと飛んでは消えていった。


2012/08/19


→ 第十話