第五十三話


「まったく……私の焔だってこれほど暑くないと思うぞ……」
 炎天下を歩いていたロイは汗を拭きながら呟く。夏の空は真っ青に晴れて雲一つなく、地面からの照り返しも相まって猛烈に暑かった。
「やれやれ……やっと着いた」
 我が家の門が見えてきてロイはホッとする。最後の数十メートルを何とか歩ききって、ロイは鍵を開けると家の中に飛び込んだ。
「ふう……幾らかマシだな」
 家の中も暑くない訳ではないが、陽射しがないだけで全然違う。やれやれと息を吐き出して、ロイは中に入っていきながら声をかけた。
「ハボック、ただいま!」
 呼んでみたが返事がない。二階かなと思いつつリビングの扉を開ければ、ハボックが床にべしゃあと伸びていた。
「ろーい……」
 ハボックは視線だけ上げてロイを見る。俯せに寝ていたのをころんと転がって仰向けに大の字になるのを見て、ロイはクスリと笑った。
「少しは冷たいか?」
「……ろい」
 不満そうに答えてころんころんとハボックは床を転がる。家の中で少しでも涼しい場所を探しているらしいハボックの様子に笑ってロイは言った。
「いいものを貰ってきたぞ」
 ロイは言ってソファーに座ると持っていた紙袋の中身をあける。なんだろうと床を這って近づいてきたハボックがロイの脚に掴まるようにして立ち上がるとロイの手元を覗き込んだ。
「ろーい?」
「本屋で買い物をしたらくじ引き券を貰ってな。引いたらこれが当たった」
 そう言いながらロイは手にしたカラフルなビニール製の物を広げる。なに?と首を傾げるハボックにロイが言った。
「子供用のプールだよ。膨らませて水を入れて遊ぼう。涼しいぞ」
「ろーい!」
 ロイの言葉にハボックが目を輝かせる。早く早くと急かされて、ロイは吹き込み口に口を当ててフーッと息を吹き込んだ。
「ろいっ」
 ほんの少しプールが膨らんだのを見てハボックが目を丸くする。フーッフーッとロイが息を吹き込む度少しずつプールが膨らんでいくのを見て、ハボックが嬉しそうにむにむにとプールを指で揉んだ。
「こらこら押すな」
 折角入れた空気が押し出されるようでロイはハボックの手をポンポンと叩く。ハボックが押すのをやめるのを見て、ロイは再び吹き込み口に口をつけた。フーッフーッとロイが息を吹き込む音が部屋の中に響く。ハボックはリビングの中をうろうろと歩き回っていたが、待ちきれなくなってロイの腕を引っ張った。
「ろーいっ」
「待て待て!大変なんだ、膨らませるのは」
「ろーい〜」
「ちゃんと空気を入れないと水が入らないから」
 もう十分とプールを引っ張るハボックにロイが言う。むぅと頬を膨らませながらも引っ張るのをやめて、ハボックはロイの隣に腰掛けて足をブラブラと揺すった。それを見てロイはもう一度フーッフーッと息を吹き込み始める。汗をかきかき頑張って、漸くパンパンにプールが膨らむとロイは大きなため息をついた。
「出来たぞ」
「ろーい〜っ」
 見事に膨らんだプールを見てハボックがキラキラと目を輝かせる。ちょっぴり疲れた様子のロイにハボックがギューッと抱きついた。
「ろいっ」
「喜ぶのはまだ早いぞ」
 ロイはありがとうと抱きつくハボックの背を叩いて言う。紙袋の中から水着を取り出してハボックに見せた。
「まずはこれに着替えだ」
「ろいっ」
 スチャッと気をつけしてハボックが答える。いそいそと服を脱ぎ捨てロイが持つ水着に脚を突っ込んだ。
「ろーい〜」
 水色に黄色のラインが入った水着を見下ろし、ハボックが嬉しそうに笑う。プールを持ち上げたロイがリビングから出て行こうとするのを追い越して、ハボックは庭に出る扉から飛び出した。
「ろーい!」
「さて、どこに置くかな」
 あまりに直射日光が当たるところではよくないだろう。ロイは木の枝が張り出した木陰にプールを置くと、庭の片隅にある蛇口にホースを繋ぎ、ズルズルと引っ張ってきた。
「ハボック、水を出してくれるか?」
「ろいっ」
 言われてハボックは走って庭を横切り水道を捻る。ホースの中を水が走り抜け、ロイが持つ先から水が迸った。
「ろーいッ」
 ホースの中の水を追うようにしてハボックが戻ってくる。最初の温い水を外に捨てて、ロイは冷たくなった水をプールの中に注いだ。ドボドボとたまっていく水を、ハボックはプールの縁に掴まって覗き込む。たまるのを待ちきれないように、ハボックは手を出してプールの水を掻き回した。
「ハボック、水に入る前は準備体操だぞ」
「ろい?」
 そう言うロイをハボックがキョトンとして見る。ロイはホースの先をプールに突っ込んでハボックに向き直った。
「気をつけ!足を肩幅に開いて」
「ろいっ」
「腕を大きく回してー」
 ロイが体の前で大きく手を回すのを見てハボックが真似をする。屈伸しアキレス腱を伸ばして、手首をブラブラし首を回してハボックは一生懸命準備を整えた。
「おっと、溢れそうだ。ついでにその辺に水を撒くか」
 ロイが慌ててホースを取り上げ、暑い陽射しにグッタリとなった庭木に水を撒き始めれば、ハボックがロイのシャツを引っ張った。
「ろーい〜っ」
「ああ、済んだか?じゃあ入っていいぞ」
「ろーいっ」
 漸くお許しが出て、ハボックはプールの縁に手をかける。そっと跨いで恐る恐る足先を水につけて、その冷たさにヒャッとつけた足を上げた。
「はは、冷たいか?」
「ろいッ」
 うんうんと頷いてハボックは今度は一気に足を入れる。冷たい水の中に立ってふわーと満足そうに笑うハボックに、ロイは水を掬ってかけた。
「ろいっ」
 キャッキャッと笑ってハボックが身を捩る。そーっと腰まで浸かって、それから水にパシャンと身を投げ出した。
「ろーいッ」
 バシャバシャと手足を動かしてハボックが泳ぐ。楽しそうに水と戯れるハボックをロイが羨ましそうに見た。
「気持ちよさそうだな」
「ろーい!」
 一緒に入ろうと誘うハボックにロイが首を傾げる。
「そうだな、足だけでも浸けるか」
 冷たい水の誘惑に負けて、ロイはホースの水を止めてくると靴と靴下を脱いだ。
「うおッ、結構冷たいな」
「ろーい!」
 プールにズボンをまくった足を浸けてロイが言う。縁に腰掛けてロイはふぅと息を吐き出した。
「やっぱり夏はプールが一番だな」
「ろーい〜」
 ロイの言葉にハボックが頷く。吹き抜ける風に目を閉じたロイは、いきなり足を引っ張られグラリとバランスを崩した。
「うわッ!わわッ!」
 ビニールのプールの縁に乗せていた尻がズルリと滑って、ロイはバシャンとプールの中に尻餅を着いてしまう。服のままプールに浸かってしまって呆然とするロイを見て、ハボックがキャッキャッと笑った。
「ハボック!」
「ろーい〜」
 ジロリと睨むロイをものともせず、ハボックはロイに水をかけてくる。遊ぼうと誘う空色に、ロイはやれやれと苦笑した。
「そうだな、一緒に遊ぶか」
「ろいっ」
 言えばハボックが嬉しそうに笑う。
「待ってろ、とりあえず服は脱がんと」
 このままでは動きにくいとロイはパンツ一つになる。
 木漏れ日が降り注ぐ庭の中、時折ホースで冷たい水を足しては、二人はプールで楽しい夏の午後を過ごした。


2014/08/04


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