第四十章


「ろーい」
 ロイが汚れ物を洗濯機に放り込んでいると、パタパタと軽い足音がしてハボックがやってくる。見上げてくる空色にロイは洗剤を入れながら言った。
「ちょっとためすぎてしまったからな。いい加減洗わないと乾く前に着るものがなくなってしまう」
「ろーい」
 そう言うロイにハボックは自分が着ている服を見下ろす。もぞもぞと服を脱ごうとするハボックをロイは慌てて止めた。
「いや、それはまだ着てて大丈夫だ」
 朝起きて着替えたばかりの服は特に汚れた所も見当たらない。止められてホッと息を吐いたハボックは、ゴオンゴオンと音を立てて回る洗濯機を見上げた。
「そろそろ書斎も何とかせんとだしなぁ」
 家事能力に関してはあまり褒められるような所がない男はそう呟く。その時ドンドンと玄関の扉を叩く音がして、ロイは顔をしかめた。
「誰だ?」
 正直この家に尋ねてくる人間など一人しか思い浮かばず、ロイはハボックをそのままに玄関に向かう。ガチャリと扉を開ければ案の定思った通りの髭面が立っていて、ロイはニヤリと笑った。
「やはりお前か」
「よお、ロイ。ハボックちゃんは?」
 ヒューズは挨拶もそこそこにロイを押しのけるようにして中に入る。洗濯機の音に引かれるようにして洗濯場に行けば、どこから引っ張り出してきたのか、踏み台の上で爪先立って洗濯機の中を覗き込むハボックがいた。
「ハボックちゃん!マースくんですよぉ」
 嬉々として近づいてくるヒューズをチラリと見やってハボックはすぐに視線を洗濯機に戻してしまう。「えーっ、なんでっ?」と騒ぐヒューズの後からやってきたロイは、ハボックの様子を見て言った。
「覗き込み過ぎて落ちるなよ、ハボック」
 ロイがハボックと一緒に暮らすようになった切欠は、まだ黒い毛糸玉だったハボックが洗濯機に落ちて石鹸かぶれで痒くてヒィヒィ泣いていたのを助けたことだ。気をつけろと言われてハボックは踏み台の上からロイに腕を伸ばした。
「ろーい」
「ううん、ハボックちゃんっ、どうしてマースくんじゃないのッ」
 自分の方が近くにいるのにもかかわらず見向きもしてくれない事に、ヒューズが体をくねらせて訴える。だがそんなヒューズには知らん顔でキュッとしがみついてくる小さな体に、ロイは優越感に浸りながらヒューズを見た。
「さて、ヒューズ。朝っぱらから人の家に押しかけてきたんだ。それ相応の働きはして貰うぞ」
「はあ?俺はハボックちゃんの顔を見にきただけで――――」
「ハボック、今日はこれから書斎の片付けをしようって言ってたんだよなぁ?」
「ろい」
 ロイに同意を求められて、首だけ捻って洗濯機を覗いていたハボックが振り向いて頷く。じっと空色の瞳で見つめられて、ヒューズはがっくりと肩を落とした。
「判ったよ、手伝えばいいんだろ、手伝えば。くそっ、今日は玄関で邪険にされなかったのはそういう魂胆があってか」
 また来たのかだの、帰れだの言われなかったのは端から手伝わせる気だったのだと遅ればせながらに気づいて、ヒューズは悔しそうに呻く。
「そう言うことだ」
 ロイは勝ち誇ったように言って洗濯機の蓋を閉めるとハボックを抱いたまま書斎に向かった。扉を開けて中に入れば後からついてきたヒューズがその惨状を見て呻く。
「どうやったらここまで散らかるんだ?」
「それが判ればこんなに散らかったりしない」
「そりゃまあそうだが、それにしたって」
 如何にもな事を言うロイの言葉に渋々ながら頷いたものの、やはりこの惨状は受け入れ難い。本の山の間の細い隙間を器用に抜けていくロイの後について行こうとしたヒューズの足元で、紙がクシャリと鳴った。
「おい、大事な資料なんだ、踏むなよ」
「だったら足元に落としておくなよ」
「落としたんじゃない、おいてあるんだ」
「ロイ」
 ヒューズはムッと顔をしかめて足を止める。それに構わず本棚に近寄るとハボックを下ろしてロイは言った。
「ヒューズ、床に落ちてる資料を集めて日付順に並べてくれ」
「やっぱり落としたんじゃねぇか」
 言葉尻を捉えてヒューズが言ったが、ロイは素知らぬ顔で棚の上の本を弄ろうとして降ってきた埃に顔をしかめた。
「くそッ」
「ザマァミロ」
 ロイはジロリとヒューズを睨むと何も言わずにはたきを手に取る。パタパタと埃を払っているとクイクイとシャツの裾を引っ張られて、ロイはハボックを見下ろした。
「ろーいっ」
 そうすればキラキラと目を輝かせたハボックと目が合う。どうやらはたきをかけたいのだと察して、ロイはハボックと棚の上とを見比べた。
「じゃあそこの下の方をかけてくれ」
 ロイはハボックにも手が届きそうな所を指差して言う。だが、その途端口をへの字に曲げるハボックを見て、ロイはやれやれとため息をついた。
「こっちをやりたいのか」
「ろーいっ」
 コクコクと頷くハボックにロイははたきを渡すと、ハボックに向こうを向かせ両脇の下に手を入れて持ち上げる。高く持ち上げられてハボックは喜び勇んではたきをかけ始めた。
 パタパタ。
 パタパタパタ。
「ろーい〜っ」
「上手いぞ、ハボック」
 パアッと顔を輝かせるハボックにロイが言う。ハボックは嬉しそうに笑うといつの間にか生やした尻尾をはたきに合わせて振りながら、パタパタとはたきをかけた。
「また時間のかかることを」
 ヒューズが苦笑して言ったがロイはフンと鼻を鳴らしただけだ。自分でやれば半分の時間ですむ事をハボックにやらせていれば、突然ヒューズが二人の前にズイと象の置物を突き出した。
「ハボックちゃんっ、これにもはたきかけて」
「ろーいっ」
 埃だらけの象を見て、ハボックが喜んではたきをかけ始める。顔をしかめてヒューズを睨んだロイが言った。
「お前、そんな物どこから」
「あっちの棚の上」
「余計な仕事を増やすなっ」
「余計なとはなんだよ。折角はたきかけるなら徹底的にやらんと。なぁ、ハボックちゃん」
「ろーいっ」
「だったら下に置いて――――」
「あっ、ハボックちゃんっ、ほら、下側にも埃が!」
 何も抱き上げたままやらなくてもとロイがハボックを下ろそうとすれば、ヒューズが象を高く掲げて下側の埃を示す。慌てて下側をはたいて埃を落とすハボックを見て、ロイが言った。
「ヒューズ、お前な」
「おお、ハボックちゃん、こっちの埃もはたかなくちゃ!」
「ろーいっ!」
 ヒューズの言葉にハボックがキッとロイを見てあっちだと言うように指差す。慌ててロイが本の山の間をすり抜けて別の棚に近づけばハボックが徐にパタパタとはたきを振るった。
「ハボックちゃん、あっちにも!」
「ろいっ」
「ハボックちゃん、そっちだ」
「ろーいっ」
 パタパタ。
 パタパタパタ。
「おい、二人ともいい加減に」
 しろ、と言いかけてロイは、ハボックにキッと睨まれて口を噤む。
 結局、面白がってあちこち指差すヒューズにハボックがパタパタと夢中ではたきをかけるのに、その後三時間も付き合わされたロイは、書斎の片付けを断念したのだった。


2013/01/24


→ 第四十一章