第二話


「おいっ、隠れてないで出てこい!」
 ロイは黒い毛糸玉が潜り込んだ棚の後ろを覗き込んで言う。だが、返事は勿論何かが動くような気配もせず、ロイは顔を壁に押し付けて必死になって壁と棚の隙間を覗いた。
「くそっ、よく見えんな……、おい、まだそこにいるんだろう?」
 もしかして反対側の隙間から出て行ってしまったりしていないだろうか。ロイは棚の周りをウロウロしては隙間を覗き込む。どうしたら出てきてくれるだろうと考えて、ロイはハッと目を見開いた。
「そうだ、クッキーを」
 初めてあげたのはクッキーだった。そう思ったものの次の瞬間肩を落とす。
「ダメだ、クッキーなんて今家にないぞ」
 あげる当てのないクッキーなぞ家にはない。どうしようとウロウロしたロイはポンと手を叩いた。
「あれだ、あれがあった!」
 ロイは大声で言ってクローゼットを開ける。ガサガサと中を探して小さな箱を取り出した。
「よかった、あった」
 ホッと息をついて蓋を開ければ中には錬金術に使うために集めていた鉱石が入っている。以前住んでいた屋敷を出る時に持ち出した数少ない物の一つであったその箱から綺麗な空色の鉱石を取り出すと、ロイはそれを手に棚に近づいた。
「ほら、綺麗だろう?出てきてくれたらこれをやるぞ」
 棚の側に膝をついたロイは手のひらの上に鉱石を置いて言う。向こうからよく見えるよう、だが棚の陰から出てこなければ触れない微妙な位置に手を差し出して、ロイは相手の動きを待った。
 何の物音も何の動きもないまま数分が過ぎる。もしかして自分は何もいない所に話しかけているのではないか、もしかしたらさっき見たと思った物は夏の暑さが見せた幻だったのではないかとロイが思い始めた時。
 棚の後ろから小さな毛糸玉が顔を出す。ハッとしてロイが見つめる先で、真っ黒な毛糸玉はロイの手の上を覗き込むようにうにょんと伸びたり縮んだりした。
「綺麗だろう?大丈夫だ、出ておいで」
 ロイは毛糸玉を怖がらせないよう優しく囁く。そうすれば毛糸玉はスス、スススと少しずつロイの方に寄ってきた。辛抱強く待っていると毛糸玉はロイの手のすぐ側までやって来て鉱石を覗き込む。ロイの様子を伺うようにうにょんと伸びて、それから鉱石に覆い被さるようにロイの手のひらに乗った。もぞもぞと動いて毛糸玉は鉱石を抱き込むとロイの手のひらから滑り降りる。ロイはそんな毛糸玉の動きをじっと見つめていたがそろそろと手を伸ばすと柔らかい毛糸玉の体を撫でた。ロイが触れた途端ピクンと震えた毛糸玉はしおしおと小さくなる。そのまま萎んで消えてしまいそうに見えて、ロイは思わず声を張り上げた。
「ハボック……っ」
 今ここにいるのがあのハボックなのかロイには判らない。だが、この毛糸玉がハボックが大好きだった天使から出てきた事で、ハボックと全く関係がないとは思えなかった。
「お前はハボックじゃない、のか?」
 囁くように尋ねるロイを毛糸玉がじっと見つめる。萎んだ体をロイがそっと撫でてやれば、毛糸玉が喜ぶように震えてムクムクと大きくなった。そして。
 次の瞬間パアッと明るい光が毛糸玉を包む。
「ろーい」
 光が消えた後に現れた小さなハボックが、空色の瞳を輝かせてロイを呼んだ。


2012/08/10


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