第十九話


「しまった……」
 ロイは夜明けに少し遅れて明るくなった部屋の寝床の中で呟く。傍らのハボックが枕に顔を埋めて不満の声を上げた。
「ろーい〜」
「そう言えばお前も朝は苦手だったな」
 視線だけ向けてロイが言えばハボックがふぁさりと尻尾を振った。
「星空を見上げて寝るのもいいが、やはり寝坊したいしな」
 ロイはそう言って斜めの屋根に取り付けられた天窓を見上げる。シェードを縮めたままの窓からは、朝の陽射しが燦々と降り注いでいた。
「今夜からはシェードは降ろして寝よう」
 星空を見上げていてもどうせすぐ眠ってしまうのだ。ロマンチックな夜よりもだらだらと二度寝、三度寝する朝がいい。ロイがそう言えばハボックが同意するように尻尾を振った。とはいえ、こう明るくてはとてももう一度眠る気にはなれない。ロイは体を起こすとウーンと伸びをした。
「ハボック、折角早く目が覚めたんだ。散歩に行かないか?」
 ロイはそう言うと立ち上がり寝床から出る。顔を洗って着替えて戻ってくると、ハボックが漸くもそもそと起き上がったところだった。ふああと大きな欠伸をするハボックの髪が寝癖でピンピンと跳ねているのを見て、ロイはクスリと笑う。ロイが戻ってきた事に気づいたハボックが這うようにしてロイに寄ってきた。
「ろーいー」
「凄い髪だな」
 ロイは言って金色の髪を撫でつけてやる。眠そうに小さな手で目をこするハボックを笑いながら抱き上げてロイが言った。
「顔を洗っておいで。目が覚める」
「ろーい……」
 ぽすんとハボックは眠そうにロイの胸に顔を埋める。ロイはクスクスと笑ってハボックを洗面所に連れて行った。
「さっさと洗わないとおいていくぞ」
「ろーいっ」
 その言葉にハボックがパッと顔を上げる。ロイに体を支えられてパシャパシャと顔を洗ったハボックは、プルプルと首を振った。
「こら、タオルで拭け」
 水を跳ねかけられてロイが顔をしかめる。ハボックはロイの腕からピョンと飛び降りると階段に向かって走った。
「ろーい!」
 早く行こうとばかりにロイを呼んでハボックは先に降りていってしまう。やれやれとため息をついて着替えを手に階段を降りれば、ハボックがロイが来るのを待ってウロウロしていた。
「ろーいっ」
「ハボック、尻尾と耳!」
 ロイが降りてきたのを見てすぐにも飛び出していきそうなハボックにロイの声が飛ぶ。足を止め目を見開いて見上げてくるハボックに、ロイは繰り返した。
「尻尾と耳。隠しておくようにと言っているだろう?」
 手を腰に当てて言うロイをハボックが上目遣いに見る。ハァとため息をついたハボックのふさふさの尻尾がポンッと音をたてて消えた。だが、犬耳はそのままでハボックは困ったように視線を上に向ける。
「ろーいー」
「どうした?前はちゃんと隠せただろう?」
 ロイが首を傾げて言えばハボックがウーンと唸る。なかなか引っ込まない犬耳に、早く外に行きたいハボックは唸りながらウロウロと走り回った。
「ろーいっ」
「落ち着け。慌てるから上手くいかないんじゃないか?」
 ロイがそう言ったが犬耳を引っ込められないハボックは、遂には不貞腐れたように床に座り込んでしまった。
「ハボック」
 しょんぼりと小さな背中を丸めるハボックにロイがため息をつく。部屋の隅に置いておいたトランクを開けると荷物の中から取り出した物を手にハボックを呼んだ。
「おいで、ハボック」
 呼ぶ声にハボックは顔を上げる。四つん這いでロイのところまで寄ってくるとロイの顔を見上げた。
「仕方ないからこれをつけておきなさい」
 ロイは言って手にしたものをハボックの頭につける。それはワンピースとお揃いのカチューシャだった。
「ろーい!!」
 お気に入りのカチューシャをつけて貰ってハボックは大喜びだ。カチューシャを嬉しそうに触るハボックにロイは言った。
「言っておくがハボック、その格好はここでだけだ。いいな?」
 それを聞いたハボックがショックを受けたように目を見開く。うるうると目を潤ませるのを見れば物凄く意地悪を言っている気になったが、ロイはなんとかそんな考えを頭から押し出して言った。
「それが約束出来ないならカチューシャは外して耳は引っ込めろ。どうする?」
 厳しい顔でじっと見つめるロイを、見つめ返していたハボックがコクンと頷く。そうすればロイが笑みを浮かべた。
「よし。じゃあ行こうか」
 そう言ってロイはハボックのパジャマを脱がせ着替えさせる。
「そうだ、これはお前がつけておいた方がいいな」
 ロイは子供の服のポケットに天使の飾りを入れてやるとポケットの上からポンポンと叩いた。立ち上がって手を差し出せば笑ってロイの手を取るハボックと二人、連れ立ってコテージの外へと出た。
 日中は暑いこの辺りも陽が出て間もない今の時分は随分と涼しい。鳥の囀りが聞こえる林の中を歩いていけばあちこちに花が咲いているのを見て、ハボックが繋いだロイの手を引っ張った。
「ろーいっ」
 ハボックはロイの手を引いて花に近づくと近くにしゃがみ込む。朝露を載せた花弁を指先でツンツンとつついてロイを見た。
「ああ、綺麗だな」
 ロイが頷けばハボックはロイの手を離し花を摘み始める。小さな花束を作ると再びロイの手を取り歩き出した。並んで歩く二人の前に何やら茶色の塊がピョンと飛び出してくる。びっくりしたハボックがロイにしがみつくようにして足を止めれば、飛び出してきたそれが長い耳をピンと立てた。
「ウサギだ、ハボック」
 笑いを含んだロイの声にハボックは、視線を茶色の塊に向ける。ウサギとハボックはまん丸の瞳で暫し互いを見つめ合っていたが、つぎの瞬間ウサギはピョンと跳ねて近くの木々の間に飛び込んだ。
「ろーい!」
 逃げたウサギを追ってハボックが走り出す。
「ハボック!」
 ウサギについて道を外れて駆けていくハボックをロイが慌てて追った。
「ろーいーっ」
「待て、ハボック!迷子になるぞ!」
 小さな姿を追いかけてロイは叫ぶ。木々の間に見え隠れする金髪を追って下生えを飛び越えたロイは、不意に開けた視界に目を見開いた。
 唐突に林が途切れた先に広がるのは朝日を受けてキラキラと輝く湖。その眩しさに腕を翳して目を細めたロイは、ハッとして辺りを見回した。
「ハボックっ?」
 名を叫んで辺りを見回したがハボックの姿はない。
「ハボック!!」
 朝日に輝く湖の上をハボックを呼ぶロイの声が流れていった。


2012/09/05


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