第十六話


「さあ、着いたぞ」
 汽車を降りて改札を抜けたところでロイが言えば、ロイの手をしっかりと握り締めたハボックが物珍しそうに辺りを見回す。ロイが歩き出すのに引っ張られるように歩き出したハボックは、少し走ってロイに並んだ。くっついて歩くハボックをロイはチラリと見下ろしたが何も言わずに駅前の観光案内所に入る。カウンターに近づくと中の女性に湖の(ほとり)のコテージを借りたいと告げた。
「お子さんとバカンスですか?」
「ああ、そんなところかな」
 用紙に書き込みながら言う女性に曖昧に頷いてロイはハボックの髪をくしゃりと掻き混ぜる。レンタカーの手続きもしてコテージと車の鍵を受け取ると、ロイはハボックの手を引いて外に出た。
「コテージに行く前に食料品やら必要なものを買っていこう」
 ロイがそう言えばハボックがコクンと頷く。案内所で聞いてきた食料品店に寄り、ロイは一週間分の食料やらなにやらを買い込んでレンタカーのトランクに載せた。
「よし、出発だ」
 ロイがそう言って開いた助手席にハボックが乗り込む。ロイは扉を閉めると運転席側に回り車に乗り込んだ。
「行くぞ」
 短く告げた言葉に続いてロイがアクセルを踏み込めば車がゆっくりと走り出す。軽くシートに押し付けられる感触にハボックが軽く目を見張った。
 駅前の賑やかな通りを抜けるとそこはもう田舎の風景だ。林の中の道からは時折木々の間から湖の煌めきが見えて、ハボックは窓に貼りついて外を見た。二十分程も走ると車はコテージが点在する地区へと出る。ロイは番号表示を確認して目的の場所へと向かった。
「着いたぞ」
 クンと軽い揺れと同時に車が停まる。ロイが運転席側のドアを開ければ待ちきれないハボックがロイの後について車を降りてきた。
「ろーいっ」
「待て、ハボック。まずは荷物を運び込んでからだ」
 すぐにも飛び出していきそうなハボックにロイが苦笑して言う。ロイはトランクから荷物を取り出すとコテージの玄関先に荷物を運び、玄関の鍵を開けた。
「ふうん、結構いいじゃないか」
 ロイは梁が剥き出しになった天井を見上げて呟く。買ってきた物を運び込むロイの側をハボックが落ち着かなげにチョロチョロと走り回った。
「ろーい〜っ」
「はいはい、待たせたな。行こうか」
 待ちきれずに足踏みして呼ぶハボックにロイが笑う。玄関で待ち構えていたハボックはロイの言葉を聞くと同時に外に飛び出した。
「あんまり急ぐと転ぶぞ」
 パタパタと前を走っていくハボックにロイはゆっくりと歩きながら声をかける。すぐに林は途切れて二人は湖の畔に出た。
「  」
 足を止めたハボックが目を大きく見開いて湖を見つめる。追いついたロイがその金髪をポンポンと叩けば、空色の瞳がロイを見上げた。
「向こうにボートがある。乗りにいこう」
 そう言って歩き出すロイの手を握ってハボックも歩き始める。その目が湖から片時も離れないのを見て、ロイはクスリと笑った。
 ボート乗り場で手漕ぎのボートを借りる。ロイに抱かれてボートに乗り込んだハボックは、中に下ろされると恐々縁に掴まって湖の中を覗き込んだ。ロイはボートの中程に腰を下ろしてオールを握る。ゆっくりと岸を離れてボートは湖へと漕ぎ出した。
 ハボックは小さな手を湖に浸してみる。思いがけない冷たさに驚いたように引っ込めた手をもう一度湖に浸して、ハボックが嬉しそうに笑った。
「ろーいっ」
「ん?冷たいか?」
 ロイはゆっくりとオールを動かしながら尋ねる。それに答えるように頷いて、ハボックはパチャパチャと湖の水を跳ね上げた。
「ろーい!」
 キラキラと水が太陽の光を反射して舞い落ちる。ハボックは楽しそうに何度も水を跳ね上げたり手を浸したりした。それからボートを漕ぐロイの手を握って伺うようにロイを見る。それにロイはニコリと笑って答えた。
「やってみるか?」
「ろーいっ」
 聞かれてハボックは顔を輝かせて頷く。ロイは脚の間にハボックを座らせ、一緒にオールを握らせた。
「こうやって水に入れてグッと漕ぐ。やってみるぞ」
 ロイはそう言ってハボックが握ったオールをゆっくりと動かす。二回、三回オールを漕いでボートを進めればハボックがロイを見上げた。
「ろーいっ」
「ん?一人でやってみるか?」
 そう言えばコクコクと頷くハボックに笑ってロイはオールから手を離す。ハボックは真剣な面持ちでオールを握り直すと、オールをグイと引いた。だが、深く差しすぎたオールは水の重みでビクともしない。うーん、うーんと顔を紅くして力を込めるハボックにロイはクスクスと笑った。
「深く入れすぎだ、ハボック。もう少し浅く入れてごらん」
 ロイはそう言いながらオールの角度を調整してやる。改めてオールを握ったハボックが水をかけば、今度は湖の表面をかいたオールがパシャンと高く水を跳ね上げた。
「うわっ」
 冷たい水が二人に降り注いでロイが声を上げる。湖の水に頭を濡らされて、ハボックはぷうと頬を膨らませた。
「ろーい〜っ」
「ははは、じゃあ二人で手分けするか?」
 むくれるハボックにロイは提案してみる。一本ずつオールを握ってせーので一緒にオールを動かした。だが。
 微妙に力加減が違えばボートは真っ直ぐに進まず右へ右へと曲がってしまう。一生懸命になればなるほど曲がっていくボートにロイが耐えきれずにゲラゲラと笑い出せば、ハボックがプウと膨れてロイに飛びついた。
「ろーいっ!」
「あはは、悪かった、怒るな」
 笑いながらロイは言ってハボックを受け止める。そのまま背後に倒れ込んだロイは、頭上に広がる空を見上げて目を細めた。
「ハボック、空が綺麗だ」
 ロイがそう言うのを聞いて、ハボックはロイの上で仰向けになる。己の瞳と同じ色の空を見上げて、ハボックは笑みを浮かべた。
「ろーい」
「ああ、気持ちいいな」
 湖面を吹き抜ける風にそっと目を閉じて、ロイとハボックはのんびりとボートに揺られていたのだった。


2012/08/27


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