| 第四十八章 |
| 「随分暖かくなったなぁ」 図書館からの帰り道、吹き抜ける穏やかな風にロイは目を細めて呟く。ついこの間までは首を竦めたくなるほど冷たかった風が、気がつけば春の香りをロイの下に届けるようになっていた。 もう随分前から住んでいるように思える古い屋敷の門扉を開けてロイは中に入る。雑多な木々が植えられた庭もあちこちに花が開き始め、春の訪れを告げていた。 「ハボック?」 その庭の片隅でハボックがしゃがみ込んでいる事に気づいてロイは玄関に向かおうとしていた足を庭に向ける。小さなハボックの後ろに立てば空色の瞳が肩越しにロイを見上げた。 「ろーい」 ハボックが指差す先を見ると茶色い筆のようなものが何本も何本も地面から顔を出していた。 「土筆じゃないか」 ロイはそう言って手を伸ばすとプチンと一本、根元から折り取る。それを差し出せばハボックが目を輝かせて受け取った。 「食べると旨いんだ……って、お前は食えないか」 ハボックが口にするのは井戸の水だけだ。ちょっぴり残念そうに言うロイを首を傾げて見つめていたハボックは、ロイに背を向けると土筆を一本一本、丁寧に摘み始めた。 「ハボック?」 「ろーい」 ハボックが摘んだ土筆を手のひらに載せて差し出す。にっこりと笑う顔を見て、ロイも笑みを浮かべた。 「よし、折角だ。春の味を楽しむ事にするか」 ロイがそう言えばハボックが嬉しそうに肩を窄める。二人は庭にしゃがみ込んで庭のあちこちに生えている土筆を摘み始めた。 「ハボック、そっちの方にもあるぞ。あっちにも」 ロイに言われてハボックが庭のあちこちから土筆を集めてくる。暫くすればロイの両手にいっぱいの土筆が取れた。 「ろーい!」 嬉しそうにぴょんぴょんとハボックが飛び跳ねる。 「ありがとう、いっぱい採れたな」 ロイは笑って言うと土筆を手に家に入る。真っ直ぐダイニングに行くと手の中の土筆をテーブルに置いた。 「ハボック、もう少し手伝ってくれ」 そう言われてハボックが尋ねるように首を傾げる。ロイは土筆を一本手に取ると袴を毟り取った。 「これを毟って欲しいんだ」 ロイはそう言ってハボックに土筆を渡す。ハボックは渡された土筆の袴をプチリと毟ってロイを見た。 「ろーい?」 「そうそう、その調子で毟ってくれ」 にっこり笑って言えばハボックが張り切って毟りだす。二人して無言でプチプチと毟れば、土筆はあっという間に袴を全て毟り取られてすんなりとした姿になった。 「ろーい〜っ」 袴を毟った自分の手を見たハボックが泣きそうな声を上げる。小さな手の指が黒くなっているのを見て、ロイは苦笑した。 「灰汁があるからな、大丈夫、洗えば落ちるよ」 そう言って立ち上がるロイにハボックがついてくる。洗面所に行くとロイはハボックが手を洗えるように抱えてやった。 「ろーいっ」 ブクブクと泡立てた石鹸で汚れを落としてピカピカになった手をハボックが嬉しそうに翳す。タオルで手を拭いたハボックを床に下ろして自分も手を洗うと、ロイはダイニングに戻った。綺麗に袴を取った土筆をキッチンに持って行き、水で洗って汚れを落とす。それをサッと茹でる間にベーコンを切りニンニクを刻んだ。パスタ用の湯を沸かしているとハボックがロイの周りをチョロチョロする。 「ハボック、足下をチョロチョロすると危ない」 思わずそう言ってしまえば不服そうに頬を膨らませるハボックにロイは苦笑した。 「怒るな、悪かった。そうだな、リビングの棚から白ワインのボトルを持ってきてくれるか?一番下に入ってるやつ」 手伝いを頼まれてハボックがパッと顔を輝かせる。パタパタと小走りに出て行く姿に笑みを浮かべて、ロイはフライパンにオリーブオイルを敷きニンニクと鷹の爪を入れた。沸騰した湯にパスタを放り込み、ニンニクの香りが出てきたところでベーコン、土筆の順にフライパンで炒める。その時パタパタと音がしてハボックが戻ってきた。 「ろーい」 「いいタイミングだぞ、ハボック。それをこっちに寄越してここからショーユを出してくれ」 ロイはフライパンを揺すりながら足元の扉を蹴飛ばす。差し出されたボトルを受け取りハボックが取り出しやすいように少しよけた。 「ろーい」 「ん、蓋を開けられるか?」 ワインをフライパンに振り入れながらロイが言う。そうすればハボックがンーッと蓋を引っ張った。 「ろーいっ」 パチンと蓋の外れたボトルをハボックが差し出す。ありがとうと受け取ってロイはショーユを回し入れた。 「東の国の調味料なんだ、これが結構土筆にあってな」 ロイがそう言うのを聞いて、ハボックが落ち着かなげにウロウロとする。キッチンの隅に置いてあった足継ぎ用の台に駆け寄ると「ウーン」と引っ張ろうとするのを見て、ロイは火を止めて台を寄せてやった。 「顔を出すなよ、危ないからな」 台によじ登るハボックにそう釘をさしておいてからロイはフライパンに火をつける。ハボックが興味津々見つめる中、茹で上がったパスタを加え茹で汁で塩加減を調節した。火を止め最後にオリーブオイルとショーユにブラックペッパーを回し入れればいい匂いがキッチンに立ち込めた。 「ろーい」 「いい香りだろう?」 クンクンと鼻を鳴らすハボックにロイが言う。ハボックはポンと台から飛び降りると棚に駆け寄り大きな皿を持ってきた。 「気が利くな」 ロイは皿を受け取り出来上がったパスタをよそう。ハボックの前に差し出しにっこりと笑った。 「どうだ、春の土筆パスタの出来上がりだ。旨そうだろう?」 「ろーいっ」 皿の上に顔を突き出して、パスタのいい香りをいっぱいに吸い込んでハボックが笑う。皿を手にダイニングに行くロイの周りをチョロチョロと嬉しそうに駆け回った。 「お前に食べさせてやれないのがちょっと残念だな」 テーブルにつきながらロイが言う。そのロイを首を傾げて見上げたハボックが突然部屋から出て行ってしまい、ロイは驚いて腰を浮かした。 「ハボック?おい!」 そう声をかけたがハボックは戻ってこない。少し待っても帰ってくる様子がないと判れば、ロイは浮かした腰を椅子に戻した。 「まぁ、食べられる訳じゃないしな」 仕方ない事とはいえ少し淋しい。ロイが折角作ったパスタをモソモソと食べ始めた時、パタパタと足音がしてハボックが戻ってきた。 「ろーい」 「ハボック」 ダイニングに戻ってきたハボックが椅子にンションショとよじ登る。手を使わないようにしてよじ登ろうとする襟首を掴んで引っ張り上げてやれば、ホッと息を吐いたハボックが両手を差し出した。 「ろーい」 握っていた手を開けば小さな手のひらに沈丁花の花が載っている。その花をロイと自分の前に並べてハボックが笑った。 「ハボック……」 ロイが手を伸ばして金色の頭をわしわしと掻き混ぜればハボックが擽ったそうに首を竦める。 「いい香りだな」 「ろーい」 言われてハボックが花を手に取り香りをいっぱいに吸い込んだ。 「よし、食うか」 「ろーい!」 そうして二人は春の香りと味をたっぷりと堪能したのだった。 2012/04/07 |
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