第四十四章


 コトリと小さな音を立ててロイはカップを取り上げる。口を付けたカップの中が空になっているのを、飲もうとカップを傾けてから漸く気づいて、ロイは眉を寄せた。
「もう一杯……」
 淹れるかと呟いたロイはふと壁の時計を見る。針が既に翌日へと時を進めていることに気づいて、ロイはやれやれとため息をついた。
「ここまでにしておくか」
 ここでまたカップを満たしてしまったら、夜が更けるまで本を読み続けるのは目に見えている。丁度本も新章に入るところでキリもよく、ロイは広げていた本を閉じてテーブルに置いた。
「ハボック」
 傍らに座るハボックに声をかければ、返事の代わりに欠伸が返ってくる。ソファーに深く腰掛け座面に脚を投げ出して、口を目一杯開けて大欠伸するハボックの姿に、ロイはクスリと笑った。
「すまん、遅くまでつき合わせてしまったな」
「ろーいー」
 眠そうに目をこするハボックの体をロイは抱き上げソファーから立ち上がる。リビングから出ようと扉を開けて踏み出した廊下の冷たい空気に、ロイは思わずリビングに戻った。
「そう言えば二階のストーブに火を入れてなかった」
 夕飯が済んだら火を入れようと思っていたのだが、ダイニングからリビングに移りそのまま本を読み始めてしまったのですっかり忘れ去っていた。昼間の陽射しで暖まった空気などもうとっくに失せて、寝室は冷えきっていることだろう。
「……ベッドに潜り込めば何とかなるか」
 このままソファーで眠ることも考えたが、やはり手足を伸ばして眠りたい。そう思ったものの寒い廊下になかなか出られずにいれば、ハボックが腕の中でもぞもぞと動いた。
「ろーいー」
 立ち上がったにもかかわらず二階に上がろうとしないロイを、ハボックが焦れたように呼ぶ。それでもロイが動かないのを見て、ハボックはもぞもぞっともがいてロイの腕から抜け出た。
「ハボック」
 そのままリビングから出ていってしまうハボックを追いかけて、ロイも廊下に出る。途端に体がキュンと引き締まる空気の冷たさに、寒ッと呟きながらロイはハボックに続いて二階へと階段を上がった。
「……本当に寒いッ」
 判ってはいたが、シンシンと身に染みる空気の冷たさに、ロイは眉を寄せる。そんなロイを後目にビロード張りのトランクに潜り込み、まあるく丸まって目を閉じるハボックの体にブランケット代わりの膝掛けをかけてやると、ロイもベッドに潜り込んだ。
「う……冷たい」
 冷えた部屋の空気がブランケットの中まで入り込んでいるようで、ロイは冷たい寝具の感触に手足を縮めて丸くなる。体温が移って寝具が暖まり眠気を誘うかと思いきや、逆に冷たい寝具に熱を奪われてロイは寒さにガタガタと震えた。
「寒いッ!!」
 暫く待ってみたが、寒さは募るばかりだ。
「このまま寝たら凍死しそうだ」
 ストーブをつけて眠ることも考えたが、それだと結局部屋が暖まるまで眠れそうにない。うーん、と考えたロイはガバリとブランケットを跳ね上げるとベッドから降りた。
「ハボック!」
 そう声をかけながら壁際のトランクに歩み寄る。ロイをおいて早々に眠りの国の住人と化したハボックを見下ろすと、ロイは乱暴に膝掛けを剥ぎ取った。
「ハボック」
「……ろーい」
 迷惑そうに見上げて小さく身を丸めるハボックに悪いと思いながらも、ロイはハボックの脇に手を差し込み小さな体を持ち上げる。
「ろーいー」
 せっかく眠ったところを無理矢理起こされて、ハボックは恨めしそうにロイを見た。
「すまん、だが寒くてな。眠れないんだ」
 ロイは苦笑混じりにそう言うとハボックをベッドに下ろす。自分もベッドに上がってハボックごとブランケットにくるまると、小さな体を胸に抱き締めた。
「はあ、寒かった……」
「ろーい」
 金髪に頬をすり寄せてため息をつくと、ロイは目を閉じる。腕の中の体はほんのりと暖かく、ロイは満足そうに笑みを浮かべた。笑みを浮かべた唇から、瞬く間に規則正しい寝息が零れる。ロイに抱き締められたままじっとしていたハボックは、不思議そうに首を傾げた。
「ろーい?」
 そう呼んで小さな手でロイの頬をペチペチと叩いてみたがロイが起きる気配はない。じっとうっすらと笑みを浮かべたロイの寝顔を見つめていたハボックは、ロイの胸にグリグリと頭をこすりつけた。
「ろーい」
 呼べば返事のようにトクトクと優しい心音が返ってくる。ハボックは嬉しそうに笑うとロイの寝息を聞きながらそっと目を閉じた。


2012/01/31


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