第四十五章


「新聞……またあっちか」
 朝刊を取りに玄関の扉を細く開けたロイは、玄関ポーチに新聞が投げ込まれていないのに気づいて眉を顰める。最近配達員が変わったせいか、前はポーチに投げ込まれていた新聞がたびたび門扉に挟まれているようになった。
「まったく、一度言っておかないと」
 ロイはそう呟いて扉をグッと押す。大きく開いた扉から途端に冷たい空気が大量に入り込んでロイは「うっ」と首を竦めた。その時、クイと袖を引かれて下を向けば見上げてくるハボックと目が合う。ロイは丁度よいとばかりににっこりと笑ってハボックに言った。
「すまんが、ハボック。新聞を取ってきてくれないか?」
 さして距離はないとはいえ、防寒着も着ていない部屋着で新聞を取りに出るのは寒い。ニコニコと過剰なまでに笑みを浮かべて見つめるロイをハボックはじっと見ていたと思うと、玄関の外へと出た。タタタと走って黒い門扉のところまで行くと挟まれている新聞をとって戻ってくる。ホッとしてロイが感謝の言葉と共に迎えようとすれば、ハボックは気になることがあったのか、横に逸れて門のすぐ脇に植わっている大木の方へ行ってしまった。
「おい、ハボック!」
 せめて新聞を渡してからにして欲しいと呼んでみたがハボックは戻ってこない。薄くとはいえ扉を開けていれば開けているだけ冷たい空気が入り込んで、ロイはブルリと体を震わせた。閉めてしまえばいいのかもしれないが、流石にそれは気が引けてロイは何度もハボックを呼ぶ。だが、ハボックは木の下に佇んでじっと地面を見つめたきり動こうとしなかった。
「なにがあるんだ?」
 特別変わったものがあるとも思えずロイは眉を寄せる。いい加減待ちくたびれてロイは仕方なしに扉を押し開け外に出るとハボックの側に歩み寄った。
「おい、ハボック。どうして戻ってこないんだ」
 ちょっぴり責める口調で言うロイをハボックが見上げる。その視線が答えるように地面に向かうのを追いかけたロイは、黒い土にびっしりと霜柱が立っている事に気づいた。
「ああ、霜柱か」
 今日は格別冷え込んでいるからだろう。霜柱は見事なまでに立ち上がって土を持ち上げている。ロイがルームシューズを履いた足でグッと地面を踏めば、ザクッと音を立てて霜柱が潰れた。その音を聞いてハボックがパッと顔を輝かせる。ロイを真似て小さな足で踏んでみたが、軽くて小さなハボックの足では思ったような音は出なかった。
「軽いからな、お前は」
 ロイは言ってもう一度霜柱を踏む。そうすればハボックももう一度踏んだがやはり結果は変わらなかった。
「ろーいー」
 ムゥとハボックが不満げに頬を膨らませる。何度もゲシゲシと地面を踏んで泣きそうな顔で見上げられれば、流石にロイも可哀想になってきた。
「うーん、私が踏んだんじゃ駄目なんだよな」
 あくまで自分で音を立てたいのだ。首を捻って考えたロイは浮かんだ考えに笑みを浮かべてハボックの脇に手を差し込んだ。
「ろーい?」
 グイと持ち上げられてハボックは不思議そうにロイを見る。ロイは目の高さまで持ち上げたハボックを支える手をパッと離した。
「ッッ?!」
 突然支えをなくしてハボックの体が真下にストンと落ちる。びっくり眼で落ちたハボックの足下の霜柱が、ザクッと良い音と共に潰れた。
「ろーい!」
 目をまん丸にして自分の足下を見たハボックが、パアッと顔を輝かせてロイを見る。ハボックは差し出した両腕を急かすように振った。
「ろーいーっ」
「判った判った」
 思ったよりずっと上手くいって、ロイは内心「よしっ」と拳を握り締めながらハボックを抱き上げる。持ち上げてストンと落とせばザクッと霜柱が鳴って、ハボックは大喜びで笑った。ザクザクザクとそこいら中の霜柱を粗方潰してハボックが満足げにため息をつく。そろそろくたびれてきたロイがもういいだろうとハボックを中へと促した。だが。
「拙いぞ、ハボック。ルームシューズのままだった」
 そもそも外に出るつもりではなかったから靴に履き変えていなかった。ふと気づけばなんとなく湿って冷たくなったルームシューズはすっかりと泥塗れで、とても中に入れる状態ではなかった。
「仕方ない」
 普段は家の中では直接床のラグに座り込んだりすることも考えて、土足でなしにルームシューズを履いているのだが冷たい床を裸足で歩く気にはなれない。ハボックのルームシューズを脱がせて抱き上げると、ロイは自分は靴に履き変えて風呂場に向かった。足を洗って予備のシューズに履き変え泥だらけのシューズを洗う。
「やれやれ、新聞を取るだけのつもりがとんでもないことになった」
 これなら寒いなどと言っていないで自分で取りに出た方が余程手間にならなかった。それでも。
「ろーいー」
 洗ったシューズを持ってリビングに行けば先に戻っていたハボックが飛びついてくる。ロイの手に掴まって飛び跳ねては霜柱を踏む真似をするのを見れば、ロイの顔にも笑顔が浮かんだ。
「まあ、いいか」
 霜柱を踏んだのなんて一体いつ以来だったか。思いがけず童心に戻って楽しかったのもハボックが霜柱を見つけてくれたからに他ならない。
 その日は一日暖炉の前に、二人分のルームシューズが仲良く並んで湯気を上げていたのだった。


2012/02/27


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