第四十二章


「寒い……」
 家に向かう道を歩きながらマフラーに半ば顔を埋めてロイは呟く。言葉と共に零れた息が冷たい空気に触れて瞬く間に真っ白な霧になった。
 イーストシティは今朝方から雪になっていた。寒いのが大嫌いなロイであるから今日は一日家に籠もって過ごすつもりだったが、古書店から待ちわびていた本が見つかったと聞けばじっとしていられない。幸い雪ははらはらと舞う程度だし、サッと行ってサッと帰ってくればいいだろうと家を出たのだったが。
 古書店を出た頃から強くなりだした雪で辺りは真っ白だ。傘など邪魔なだけだろうと持たずに家を出たロイの黒髪は、雪が積もって銀色に輝いていた。
「家に着く前に凍り付きそうだ……」
 厚手のコートに襟元はマフラーを巻き付け手袋もつけてはいるが、それでも足下から這い上がってくる冷気で震えるほど寒い。通り沿いに並ぶカフェの窓ガラスの向こう、カップを両手で包み込んで友人とおしゃべりしている可愛らしい女性の姿を見れば、自分も暖かいカフェオレで暖をとろうかとロイは思った。
「いや、そんな事をしたら家に帰れなくなりそうだ」
 一度暖かいところに入ったら二度と出られなくなりそうだ。ロイは暖かそうな空気を宿すカフェから無理矢理視線を剥がすと、歩みを早めた。
 商店街を抜け住宅が並ぶ通りに入ると益々寒くなった気がする。時折冷たい風が吹き付けて、睫まで凍ってしまった。
「家はまだか……」
 普段ならさほど遠くない筈の距離がとてつもなく長く感じられ、見慣れない真っ白な景色も相まって街中で遭難したような錯覚に陥る。感覚のなくなった足で雪を踏みしめ歩いていたロイは、降りしきる雪の向こうぼんやりと見えてきた我が家にホッと息を吐いた。
「やっとついた」
 吐き出した息が瞬く間に凍り付くのを感じながらロイは最後の数メートルを何とか歩き切る。家の敷地に入るところで滑りそうになって門扉にしがみつきながらも、ロイは漸く玄関の前まで辿り着いた。
「鍵……」
 ポケットの中に手を突っ込み、取り出した鍵を鍵穴に刺そうとしたロイは、穴が吹き付けた雪で塞がっている事に気づく。クソったれと手袋をつけた指で雪をガリガリと払い落として何とか鍵を突っ込むと、ガチャリと開けた扉から中に飛び込んだ。
「…………はあああ」
 冷たい風と氷のような雪から逃れて、ロイはガックリと扉に寄りかかる。
「よかった、帰れないかと思った……」
 こんな街の真っ直中で遭難なんて笑えない。ロイは心底ホッとすると中へと入っていった。
「ただいま……」
 暖かい空気に幸せを感じながらリビングの扉を開けたロイは、扉が開く音に振り向いたハボックに寒さで強張った笑みを浮かべる。ハボックの空色の瞳がまん丸になるのを見て、ロイは己の酷い格好に改めて気づいた。
「ろーい」
「はは……凄い雪だったよ、ハボック」
 と言ったつもりが口が強張って上手く喋れない。トコトコと歩み寄ってきたハボックはロイのコートに積もる雪に手を伸ばした。
「欲しいか?いくらでもあるぞ」
 ロイはそう言ってハボックの前にしゃがみ込む。ハボックはロイの肩やら頭やらに積もった雪を、嬉しそうに小さな手で集めた。
「ろーい」
 それをキュッキュッと握って雪玉にすると目を輝かせてロイに見せる。ロイは頭に積もった雪を集めてハボックが作ったのより少し大きめの雪玉を作った。
「この上にのっけてごらん」
 ロイに言われてハボックは自分が作った雪玉をロイが作ったそれの上に載せる。二つの雪玉がくっついて小さな雪だるまになった。
「ほら、雪だるまの出来上がりだ」
 ロイは手袋を外し、雪だるまの顔に指先でクリクリと目をつける。パアッと顔を輝かせるハボックにロイが言った。
「部屋は暖かいからすぐ溶けてしまうだろうけど」
 雪だるまをハボックに手渡し、ロイは濡れた服を着替えるために二階に上がる。冷たくなった服を替えれば漸く人心地ついて、今度は温かい飲み物でもと階段を下りてきたロイは、ハボックが寒い廊下の片隅に座り込んでいるのを見て目を瞠った。
「なにしてるんだ、こんな寒いところで」
 驚いてそう声をかければハボックが振り向く。座り込んだハボックのすぐ側に、ロイが渡した小さな雪だるまが置いてあった。
「ろーい」
 寒そうに身を縮めながら、ハボックはにっこりと笑う。両手を頬に当て小さな雪だるまを嬉しそうに見つめるハボックを見れば、ロイの顔にも笑みが浮かんだ。
「まったく、寒いだろうに」
 ロイはそう言いながらハボックを背後から抱き締める。肩越しに振り向いたハボックが嬉しそうに金色の犬耳をひくつかせるのに目を細めて、ロイは小さな雪だるまを見つめたのだった。

2012/01/22


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