第三十八章


 家に入った途端、ヒューズは真っ直ぐにキッチンに向かう。ガサガサと手にした袋からヒューズが材料を取り出すのを見ながらロイが言った。
「お前、わざわざ材料までもってきたのか?」
「お前んちにベーキングパウダーやらジンジャーパウダーやらがあるとは思えんからな」
 確かにヒューズが言うとおりそういったものの類はロイの家にはない。たとえ使うのが小さじに一杯としても必要と言われれば一瓶買うしかなく、繰り返し作る気のないロイには残りを無駄にすること請け合いだった。
「よし、じゃあまず分量を量るぞ」
 洗った手を拭きながらヒューズが言う。ヒューズはワクワクとした顔で見上げてくるハボックに笑いかけて言った。
「ハボックちゃん、粉と黒糖を計ってくれるかい?ロイ、秤あるか、秤」
「実験に使うんでよければな」
 ロイはそう言いながらキッチンから出ると小さな秤を持ってくる。ロイがキッチンのカウンターに置いたそれを見て、ヒューズは眉を顰めた。
「ヘンなもんくっついてないだろうな」
「ヘンなもんってなんだ、ヘンなもんって」
「だって薬計ったりするんだろう、これ?」
 心配そうに言うヒューズをロイは睨む。
「煩い、うちにある秤はこれだけだ。文句があるならセントラルから持ってこい」
「仕方ねぇなぁ」
 ヒューズは渋々ながら言うとシンクの下の戸棚からボウルを取り出した。
「薄力粉が140、黒糖が100だよ」
「ろーい」
 ヒューズに袋を渡されたハボックが助けを求めるようにロイを呼ぶ。ロイはダイニングから椅子を持ってくるとそれにハボックを立たせ、小さな手に己の手を添えるようにして袋の薄力粉をボウルに出した。
「この目盛りまでだ、ハボック」
 微妙に量を調整しながらロイが言う。真剣な表情で目盛りを見つめていたハボックは、ぴったり140のところで袋から粉を振り出すのを止めた。その後も蜂蜜やバターを計って必要な材料を揃える。そうすればヒューズがハボックに言った。
「ハボックちゃん、粉とベーキングパウダーと黒糖は合わせて振るわなければならないんだ。それをお願い出来るかな?」
 そう尋ねられてハボックが真剣な表情で頷く。それに頷き返してヒューズはロイに言った。
「ロイ、粉ふるい」
「そんなもんあるか」
「えっ、ないの?」
 普段、わざわざ粉をふるうような料理などするわけない。ロイの答えにヒューズはやれやれとため息をついて言った。
「仕方ねぇなぁ、じゃあザルでいいや。ザルならあるだろ?」
 言われてロイが出したザルにヒューズが計った薄力粉とベーキングパウダー、黒糖を入れる。ザルを持ち上げ左右に細かく振れば、さらさらとふるいにかけられた粉が落ちた。
「こうやるんだよ、ハボックちゃん」
 ヒューズはそう言いながらハボックにザルを渡す。ハボックは受け取ったザルを両手で持って左右に大きく振った。
「ハボック、もう少し優しく振ってみろ」
 カウンターに敷いた紙から粉が零れてしまうのを見てロイが言う。言われて小さく優しく振れば、粉は紙の上に降り積もった。
「ろーい」
「うん、上手い上手い」
 これでいいかと言うように見上げてくるハボックの頭をロイはぽんぽんと叩く。そうすればハボックは嬉しそうに笑って、粉をふるった。
「じゃあ次。バターと蜂蜜を混ぜてよく練り合わせたら、卵とジンジャーパウダーを入れて混ぜる」
 言われたとおりボウルにバターと蜂蜜を入れてハボックはへらでかき混ぜようとするが上手くいかない。見かねてロイがハボックを背後から抱き込むようにして手を添えかき混ぜるのを手伝ってやった。
「粉を入れて混ぜたら生地を休ませるからね」
 二人がかりで混ぜているボウルの中にヒューズが粉を振り入れながら言う。出来た生地をビニール袋に入れて平らにし、冷蔵庫に入れた。
「どれくらいだ?」
「一時間だって」
「じゃあコーヒーくらい飲めるな」
 ロイはそう言うと二人分のコーヒーを入れ、ヒューズと一緒にダイニングの椅子に腰を下ろす。冷蔵庫の前にじっと立っているハボックを見て、ロイは笑いながら言った。
「ハボック、そんなところで待ってないでこっちにおいで」
 だが、ハボックはチラリとロイを見たもののその場から動こうとしない。冷蔵庫の扉をじっと見つめて待っているハボックの姿にロイとヒューズは顔を見合わせてクスクスと笑った。
 最後の10分は待ちきれないハボックが何度も冷蔵庫を開けては覗くを繰り返す。それを見たヒューズが“もういいだろう”と五分早く切り上げて生地を冷蔵庫から出した。
「ロイ、お前こういうもの、持ってないだろう」
「クッキー型か、盲点だったな」
 ヒューズが自慢げに言うのにロイが小さく唸る。ヒューズは男の子の形をしたクッキー型を取り上げるとハボックに見せた。
「ハボックちゃん、これで人形の形にクッキーを抜くんだよ」
 ヒューズはそう言って型を生地に押しつけて男の子の形に抜く。
「ほら、こんな感じ」
 ひと形にくり貫いた生地をヒューズが見せればハボックが目を見開いた。ヒューズから型を受け取ったハボックは、全体重をかけるようにして生地から人形を抜き取った。
「ロイ、オーブン温めておいてくれよ」
「どうやって温めるんだったかな、久しぶりすぎて忘れたぞ」
「おい」
 オーブンの前で腕組みしているロイにヒューズが顔を顰める。二人して古いオーブンの予熱を何とかセットしていると、椅子の上からハボックの声がした。
「ろーいー」
「なんだ?ハボック」
 呼ばれてハボックのところへいけば、いくつも型を抜き取った生地は穴だらけでもう抜く場所がない。泣きそうな顔をして見つめられて、ロイは困ったように首を傾げた。
「どうすりゃいいんだ、もう抜く場所がないぞ。小さい型を使ったらいいんじゃないのか?」
 そう言うロイの声を聞いて、ヒューズが呆れたような顔をする。
「もう一度生地をまとめて伸ばせばいいだろう?」
 ヒューズはそう言って穴だらけの生地をまとめてもう一度綺麗に伸ばした。
「ほら、ハボックちゃん、これでまた抜けるよ」
 そう言うヒューズをハボックが尊敬の眼差しで見つめれば、ヒューズが自慢げな顔でロイを見た。
「ふふふ、これでまたポイントが上がったな」
「フン、言ってろ」
 ニヤニヤと笑うヒューズをロイが悔しそうに睨む。何度か生地を伸ばし直して型抜きし、最後に型で抜けない分はナイフで適当に切って、三人はクッキーをオーブン皿に並べた。
「よし、後は15分焼けば出来上がりだ」
 バンッとオーブンの扉を閉めてヒューズが言う。慣れない作業にやれやれと椅子に腰を下ろしたロイとヒューズに対して、ハボックはオーブンの前に立って焼きあがるのを待った。そうして。
 15分後、チーンという音がキッチンに響き渡る。鍋掴みを手にはめてオーブン皿を引っ張り出すロイに、ハボックが尻尾を振りながらまとわりついた。
「ハボック、あんまりくっつくと危ないぞ」
「ろーいー」
「待て待て、今見せてやるから」
 ぴょんぴょんと飛び跳ねてオーブン皿を覗こうとするハボックにロイが笑って言う。焼き上がったクッキーを皿に移して、ロイはハボックに差し出した。
「ほら、どうだ?ハボック」
 そう言ってロイが差し出した皿にはこんがりと色よく焼けたクッキーが並んでいる。そっと手を伸ばして触れた熱さに一瞬手を引っ込めて、もう一度手を伸ばしたハボックが小さな手で焼き上がったクッキーを取った。
「……ろーい」
「うん」
「ろーい!」
「上手に焼けたな」
 パアッと顔を輝かせてハボックはロイとクッキーを交互に見る。ヒューズが摘んだクッキーを口に放り込んで言った。
「うん、すっごく旨い。ハボックちゃん、バッチリだよ」
 そう言って眼鏡の奥の瞳がウィンクすれば、ハボックは嬉しそうに笑って手にしたクッキーをロイに差し出した。
「くれるのか」
 ハボックの犬耳が頷くように動くのを見て、ロイはクッキーを受け取り口に放り込む。クッキーはサクサクと口当たりがよくショウガのよい香りが仄かにした。
「本当だ、とっても旨い。こんなに旨いクッキーを食べたのは生まれて初めてだよ、ハボック」
 そう言って笑うロイに。
「ろーい」
 ハボックが笑ってギュッと抱きついた。


2011/12/21


→ 第三十九章