第三十七章


「なんだ?ハボック」
 ソファーで読書をしていたロイは、本を持つ手にしがみつくようにして覗き込んでくるハボックに尋ねる。その空色の視線が見つめる先を見たロイは、クッキーの広告を指差して言った。
「これか?」
 そう聞けばハボックの犬耳がピクピクと動く。ロイが広げているのはいつも読んでいるような小難しい本とは違い珍しくもこのあたりのタウン誌で、シーズン商品の宣伝でジンジャークッキーの広告が載っているのだった。
「ろーい」
 ハボックが顔を覗き込むようにしてロイを呼ぶ。ロイがそのページを破って渡してやればハボックは嬉しそうに笑って受け取った。
「ジンジャークッキーか」
 そう呟けばもう忘れかけていた幼い時の記憶が蘇る。クリスマスと言えば母がジンジャークッキーとクリスマスケーキを焼いてくれるのが常だった。
「作ったら喜ぶんだろうな」
 ハボック自身クッキーを食べる事はないが作るだけでもきっと大喜びするだろう。ロイは膝の上に上がってクッキーの写真を見ているハボックの耳が、ピクピクと楽しそうに動いているのを見つめた。
「とは言え作り方が判らんぞ」
 母がクッキーを作るのを側で見ていた覚えはある。もしかしたら型抜きくらいは手伝ったかもしれない。だが、残念ながらそれ以外の記憶は全くなかった。
「うーん」
 頭上で唸るロイにハボックが振り向いてロイを見る。その綺麗な空色が喜びに輝くのを見たいという気持ちが湧き上がって、ロイは「よし」と頷いた。
「ちょっと待っていろ、ハボック」
 ロイはそう言って膝の上からハボックを下ろす。ソファーから立ち上がったロイはリビングの隅にある電話を取り空で番号を回した。
『はい』
 少しして聞き慣れた声が受話器から聞こえる。ロイはメモを引き寄せペンを手に取って言った。
「ヒューズ?私だ。グレイシアはいるか?」
『グレイシアへの用は俺に言え』
 途端に険しい声が返ってきたが、ロイは全く気にせず言う。
「お前に用はない。グレイシアと代われ」
『なんだとッ、お前、俺の大事な妻に妙な気を起こしているんじゃなかろうな?!』
「あのな」
 ギャアギャアと騒ぎ出すヒューズにロイはげんなりとため息をつく。煩い!と怒鳴ってヒューズを黙らせると、一瞬口を噤んだヒューズが再び騒ぎ出す前に言った。
「ハボックとジンジャークッキーを造りたいんだ。材料と作り方を聞きたくてな。だからグレイシアと代わってくれ」
「駄目だ」
「ヒューズ、お前な」
 ちゃんと理由を言ったにもかかわらず代わろうとしない男にロイが目を吊り上げる。ロイの纏う空気が変わったのに気づいたハボックが、ソファーの上から心配そうに見ている事に気づいてロイが何でもないと笑みを浮かべて手を振った時、ヒューズの声が聞こえた。
「生憎グレイシアは出かけてるんだ。だから無理」
「なんだ、それならそうと最初から言え」
 またくだらないヤキモチで言っているのかと思えば真っ当な理由に、ロイは帰ったら連絡をくれるよう言って電話を切った。

 その夜。
「どうしてお前がここにいるんだ」
 チャイムの音に玄関をあければ満面の笑みを浮かべて立っている髭面に、ロイは思い切り顔を顰める。そうすればヒューズがうきうきと楽しそうに言った。
「決まってるだろう、ハボックちゃんにジンジャークッキーの作り方を教えに来たんじゃないか」
「私はグレイシアに電話で作り方を教えてくれと言ったはずだが」
 いつまでたっても連絡がないのをおかしいと思っていれば、突然現れた友人にロイは不機嫌に言う。だが、ヒューズはそんなロイの様子など全く気にせず中に向かって声をかけた。
「ハボックちゃん、マースくんですよぅ!一緒にジンジャークッキー作りにきたよ!」
 マースは言いながら手にした紙袋を掲げてみせる。ヒューズが持ってくる袋にはいつも楽しいものが入っていると知っているハボックは、期待に顔を輝かせてパタパタと駆け寄ってきた。
「ほら、ハボックちゃんだって期待してんだろ。さっさと中に入れろ」
「ハボック」
 勝ち誇った様子のヒューズにロイはため息混じりにハボックを見る。だが、キラキラとした目で見返されれば、元々ハボックにクッキーを作らせてやりたいと思っていただけに反対する事も出来なかった。


2011/12/19


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