| 第三十四章 |
| 「朝か……」 けたたましく鳴り響く目覚まし時計をブランケットの中に引きずり込んでロイは呟く。もぞもぞと起き上がりかけたロイは、逃げていく温もりを惜しんでブランケットを体に巻き付けた。 「寒い……起きるなと言ってるのと同じだな」 冬の朝、鎧戸をおろした薄暗い部屋の中で勝手な事を呟けば起きるのが億劫になってくる。それでも今日は古書店に頼んでいた本を取りにいく約束をしているのを思い出して、ロイは名残惜しそうにブランケットから抜け出した。 「うう、寒いっ」 夜の間に暖めた空気が逃げ去って、だいぶ冷え込んだ部屋の中、ロイはブルリと震える。急いで服を着替えるとやれやれと一息ついて窓に近づいた。 「ハボック、窓を開けるぞ───ハボック?」 いつものように声をかけたロイはハボックの寝床になっているビロード張りのトランクに向けた目を大きく見開いた。 「いない……どこに行ったんだ?」 ロイは決して早起きではないし、夜遅くまで本を読んでいたりすれば益々起きるのは遅くなる。それでも大抵ハボックはそんなロイに合わせて寝ているのが常だった。 ハボックがいないのなら遠慮する事はないと、ロイは鎧戸をガラリと開く。そうしてふと見下ろせば、ハボックが庭を歩いているのが目に入った。 「ハボック」 そんなところにいたのかと、ロイは二階の窓からハボックに声をかける。だが、ハボックはチラリとロイを見上げただけでそのまま歩いていってしまった。 「なんなんだ?」 何となく面白くなくてロイは眉を顰める。窓を閉めると急いで階下に降り、上着を羽織って庭に出た。 「ハボック」 呼びながらロイはハボックが消えた方に向かって歩く。家の周りを回るようにして行けば、小さな池の側にしゃがみ込むハボックの後ろ姿が見えた。 「ハボック、なにをしてるんだ?」 近づきながら声をかければハボックが肩越しにロイを見上げる。ロイはハボックが木の枝でつついている池の表面が薄く凍っていることに気づいた。 「凍っているのか?もうそんなに寒いんだな」 寒い寒いと思ってはいたが、薄いとはいえ池に氷が張っているのを見れば益々寒く感じる。ツンツンと氷をつつくハボックにつき合って暫くの間一緒にしゃがみ込んでいたロイだったが、足下から上ってくる冷気にブルリと身を震わせて立ち上がった。 「寒い。もう戻ろう、ハボック」 ロイは言ったがハボックは立ち上がる気配がない。仕方なく先に戻るぞと言いおいて家に戻ろうと歩きだしたロイは、ふと振り返って目を見開いた。 「ハボックっ?」 見れば立ち上がったハボックが氷の上に足をおろそうとしている。氷が張ったとはいえまだそれはごく薄く、乗ればたちまち割れてしまうと思えた。 「やめろっ、危ないぞッ」 ロイは叫んで駆け戻る。だが、ロイが止める前にハボックは氷の上に乗ってしまった。 「危な───」 割れる、と身を竦ませたロイの目の前で、だがハボックの体はスーッと氷の上を滑っていった。 「え?……あ」 スーッと何事もないように氷の上を滑るハボックに、ロイは目を見開く。それから漸く合点がいったというように作った拳でもう一方の手のひらを叩いた。 「そうか、お前、元は毛糸玉だったな」 小さな子供の見た目に反して、その体は驚くほど軽い。そのことをすっかり失念していた事に気づいてロイはやれやれと池の側に腰を下ろした。 「まったく、びっくりさせるな」 ため息をつくロイの前でハボックはスーイスイと氷の上を滑る。ロイの方を見るとにっこりと笑って手を伸ばした。 「ろーい」 「私は無理だよ、ハボック」 毛糸玉のハボックと違ってロイは人間の大人だ。足を乗せただけで薄い氷はたちまち割れてしまうだろう。 「ろーい?」 「お前と違って私は重いからな。氷が割れてしまうんだ」 そう説明すればハボックが寂しそうな顔をする。ロイは笑みを浮かべてハボックの金髪をわしわしと掻き混ぜた。 「私は乗れないから、その分お前が滑って見せてくれ。な?ハボック」 ロイが言えばハボックが目を輝かせて池の上を滑り出す。スーイスーイと身軽に滑る姿にロイは手を叩いて喝采を送った。 「上手いぞ、ハボック!」 そう言った途端、ハボックがステンと転ぶ。尻をついたままくるくると回るハボックにロイが笑い声を上げた。 「ろーいー」 そのまま少し滑ったハボックがロイのところに戻ってくる。手を伸ばしてくるその体を抱き上げれば、尻尾とお尻が濡れて冷たくなっていた。 「戻ろうか、ハボック」 そう言うロイの首にハボックがキュッとしがみついてくる。ハボックを抱いたまま家に戻ったロイは濡れた尻尾をよく拭いてズボンを変えてやった。もう一度外に行こうとするハボックを引き留めてロイは朝食をすませる。ロイがコーヒーを飲み終えるか終えないうちに、ハボックはロイの腕をグイグイと引っ張って外へと促した。 「陽は上ってきたがまだ寒いぞ」 もう一度外に出るのが億劫でロイは言ったが強請るように見つめられれば嫌とも言えない。走っていくハボックの後についてゆっくりと庭を歩いていったロイは、池の側に立つハボックを見て言った。 「どうした?滑らないのか」 「ろーいー」 ロイの言葉にハボックが泣きそうな声で言ってしがみついてくる。どうしたのかと池を見たロイは、さっきまで張っていた氷が溶けてしまっているのに気づいた。 「ろーい」 「気温が上がってきたからな」 ロイはしがみついてくるハボックを抱き上げて言う。口をへの字にしているハボックに笑みを浮かべて続けた。 「明日になったらまた凍るさ。まだまだこれからどんどん寒くなるから、好きなだけ滑れるよ、ハボック」 「ろーい」 「判った、ちゃんと早起きしてつき合うから」 そう言えば嬉しそうに笑って抱きついてくる小さな体をロイは抱き返す。そうして家に戻るとハボックと一緒に明日のためにマフラーと手袋を用意したのだった。 2011/12/09 |
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