第十八章


「暑いなぁ」
 ロイはそう呟いて額の汗を拭う。窓辺の椅子に腰掛けて外へ目をやれば、雲一つない空が広がっていた。
 ここのところアメストリスは例年にない猛暑が続いていた。もともと暑さが苦手であるロイはいい加減うんざりして椅子に沈み込むように体を預ける。ハボックの瞳と同じ色の空も、今のロイには憎らしいばかりだった。
「お前がこの家から出られるなら避暑にでも出かけるんだが」
 ロイはそう言いながらハボックを見る。ハボックは部屋の中の一番風通しのよい場所で腹を床に着けてぺったりと伏せていた。窓から入る風がハボックの金髪と尻尾の毛をさわさわと撫でて通り過ぎていく。半ばぼうっとした頭でその様子を暫く眺めていたロイは、一つため息をつくとやれやれと立ち上がった。
「冷たいものでも飲んでこよう……」
 そう呟いてロイがよろよろと部屋を出ていけば、伏せていたハボックも起きあがって後を追った。


「冷蔵庫の中に住みたい……」
 ロイは開け放った冷蔵庫の中に首を突っ込んでそう呟く。軽い足音に振り向けばハボックが不思議そうな顔で見つめてくるのと目があって、ロイは慌てて冷蔵庫を閉めた。
「別に涼んでいた訳じゃないぞ」
 ロイは言い訳のように呟いてグラスに注いだミネラルウォーターを一気に飲み干す。古い屋敷は暖炉はあるものの夏の暑さを凌ぐための画期的な設備はなく、鈍い音を立てて羽を回す扇風機は熱風を送る役にしかたたなかった。
「暑いなぁ」
 ロイは未練がましく冷蔵庫を見つめて呟く。それでもハボックの視線を感じれば仕方なしに冷蔵庫から離れた。
「暑いなぁ……」
 言うまいと思うものの気がつけばそう言ってしまう。言えばそれだけ暑さと苛立ちが増して、ロイは窓越しに晴れ渡った夏空を睨みつけた。
「まったく、本を読む気もおきやしない」
 どんな状況でも読書だけは出来る自信があったが、流石にこう暑いと頭がぼんやりとして字を追う気にもならない。暫くの間空を睨んでいたロイはふと思いついた考えにハボックを見下ろした。
「水を撒こう、ハボック」
 ロイの言葉にハボックがキョトンとして首を傾げる。ロイはハボックの体をヒョイと抱き上げると庭に出た。ハボックを下ろして、ロイは物置から長いホースを引っ張りだし庭の隅の蛇口に取り付ける。あまり使っていなくて堅い栓をキュッキュッと音を立てて捻れば、ホースの中を水が駆け抜けていった。そうしてロイが手にしたホースの先から水が勢いよく飛び出してくる。最初生温かった水が冷たくなって、ロイは嬉しげにホースの先を潰した。ロイが潰したホースの先から噴き出した水が太陽の光を受けてキラキラと輝く。それを見たハボックが顔を輝かせるのに気づいて、ロイはニヤリと笑うとホースの先をハボックに向けた。
「ッッ!!」
 直接水をかけられてハボックが飛び上がる。必死になって庭中を逃げ回るのを狙って水をかければ、ハボックは庭木の陰に飛び込んだ。
「暑いから気持ちいいだろう?」
 笑いながら言うロイを木の陰からそっと顔を出したハボックが見上げる。金色の頭めがけてホースを向ければハボックがポンと小さな毛糸玉に姿を変えた。
「あっ」
 ハボックの姿を見失ってロイがきょろきょろと庭を見回す。茂る緑の中に毛糸玉を見つけられずにいると、不意に葉陰からピョンと飛び出した毛糸玉がロイの顔めがけて飛びついてきた。
「うわっ」
 ぶつかる寸前に再び姿を変えたハボックに顔にしがみつかれてロイは芝生の上に倒れ込む。手から離れたホースが宙に舞って、二人の上に水が降り注いだ。
「こら、ハボック!」
 慌ててハボックを引き剥がし、ロイは水道の水を止める。すっかり濡れそぼった姿で顔を見合わせた二人は、次の瞬間弾けたように笑った。
「気持ちいいな、ハボック」
 ロイはもう一度蛇口を捻ると潰したホースの先を上に向ける。そうすれば高く噴き上げられた水が太陽の光を浴びてキラキラと降ってきた。喜んで空に手を伸ばして跳ね回るハボックと一緒に水を浴びながら存分に涼んで、ロイは水を止める。ホースを隅に片づけたロイはハボックを連れて家の中に戻った。
「ああ、すっきりした」
 ロイは子供のように楽しげな口調で言うと、ハボックと一緒にシャワーを浴びて服を着替える。水遊びとシャワーですっかりと汗が引けば俄に込み上げた眠気に、ロイは欠伸をしながら二階へ上がった。窓辺の椅子にドサリと腰を下ろすと後からついてきたハボックがロイの膝によじ登ってくる。ロイは椅子に深く腰掛けてハボックの金髪をワシワシとかき混ぜた。
「楽しかったな、ハボック。今度から暑いときはこれにしよう」
 ロイは言って窓の外へ視線をやる。さっきまでは憎らしいばかりだった青空もとても清々しく感じて。
 窓から入る風に黒髪と金髪を遊ばせながら、ロイとハボックはのんびりと夏の午睡を楽しんだ。


2011/08/15


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