Alucard 8


「あるものは好きに使っていいぞ」
 ロイはそう言いながら扉を開く。促されて入ったそこは立派な調理器具が並ぶ広い厨房だった。
「すげぇ……」
 中に一歩入ってハボックはその立派さに目を見張る。備え付けてあるコンロもオープンも冷蔵庫も、そこにあるものはどれもこれも最新型のものばかりだった。
「こんなの初めて見た……」
 雑誌の広告で見たことはあるが、街の小さなレストランで働くハボックには縁のないものばかりだった。いつかこんな器具のある大きな店で働けたらいいと思いはするものの、ハボックにとっては夢物語に過ぎなかったのだが。
「これでは不満か?」
 立派な器具を前に何も言わずに見つめていれば、不意に心配そうに尋ねる声が聞こえてハボックは声のした方を見る。そうすればロイと目があって、ハボックは慌てて首を振った。
「不満だなんて!こんな立派な厨房、入った事ねぇっスよ。立派過ぎてオレが作るような料理には勿体無いって言うか……」
 ハボックはそう言ってバッグを持つ手を握り締める。
「マスタングさん、オレにはここでマスタングさんに食べて貰えるような料理は作れないっス。どうぞ料理人を呼び戻して作って貰って下さい」
 恐らく自分に気を遣って、料理人達は奥に引っ込んでいるのだろうとハボックが言う。だが、ロイは薄く笑って肩を竦めた。
「さっきも言っただろう?ここには料理人はいないんだ」
「は?料理人がいないって、じゃあこの厨房は誰が使ってるんスか?毎日料理作るっしょ?」
 そこまで言ってからハボックは浮かんだ考えにハッとして目を見張る。
「そっか!奥さん!マスタングさん、結婚してるんスね!」
 目の前の男は結婚していても不思議でない年代だ。こんな簡単な事を失念していたなんて、自分はなんて馬鹿なのだろうとハボックが思った時、ロイがプッと噴き出す。突然笑い出したロイにハボックがキョトンとしていれば、ひとしきり笑ったロイが言った。
「私は独身だよ、ハボック」
「え?それじゃあ彼女が来て作ってくれるんスか?」
 あくまでロイの為に作ってくれる誰かの存在があるものと信じて疑わないらしいハボックをロイはじっと見つめる。真っ直ぐに見つめてくる黒曜石に何だか全て見透かされてしまいそうで、落ち着かなげに視線を彷徨わせるハボックにロイは言った。
「残念だが私には料理を作ってくれるような人間はいないんだ」
「え?それじゃあ日々の食事は―――」
 どうしているのだろう。そう思ったハボックが問いかけるより早く、ロイが言った。
「私の為にパスタを作ってくれるんだろう?頼むよ、ハボック」
 そう言ってにっこり微笑まれれば、もうこれ以上作れないと言うのは単なるワガママにしか聞こえなくなってくる。ハボックは一つ息を吐き出して頷いた。
「判ったっス。それじゃあ精一杯腕ふるわせて貰います」
「頼むよ」
 漸く望む答えが返ってきてロイは嬉しそうに笑う。それに笑い返してハボックはバッグを下ろし、取り出したエプロンをつけたのだった。


2011/08/17


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