| Alucard 1 |
| ハボックは薄暗い階段を上っていく。ところどころに燭台はあるものの、手入れする者のいないそれは殆んど役に立ってはおらず、手にした小さな蝋燭だけが心もとない光をハボックの足元に投げかけていた。 随分と長い距離を上って、強靭な男であるハボックですら息が上がり始めた頃、漸く目的の部屋に辿り着く。そこはこの広い城の中でも一際高い塔の最上階だった。手にした蝋燭で扉を照らし出すが扉には取っ手がついていない。ハボックはほんの少し躊躇った後、手のひらでグッと扉を押した。最初僅かな抵抗を見せたものの扉はゆっくりと内側に向かって開いていく。ギギギと軋むような音を立てて開いた扉の中へと入れば、そこは窓から入る月光に照らされた狭い部屋だった。 部屋の中央には細長い、丁度人が横たわったくらいの長さの箱が置いてあった。その箱の表面には豪奢な飾りが掘り込まれ、蓋の中央には見事な火蜥蜴が刻まれていた。火蜥蜴の眼には真っ赤なルビーが埋め込まれ、それ以外にも蓋のあちこちにダイヤやエメラルドといった宝石が埋め込まれている。その豪華な箱は所謂棺と呼ばれるものであり、その豪華さが中に収められた死者が身分の高いものであることを示していた。 ハボックは暫くの間、部屋の入口に立ちつくしたまま豪華な棺を見つめていたがやがてゆっくりと近づいていく。手に持っていた蝋燭をフッと吹き消せば部屋の中を照らすのは月明かりだけとなった。その月明かりの下、ハボックは跪くと棺の表面をそっと撫でる。見事な火蜥蜴の模様を辿り、僅かな月明かりの中でも輝くルビーに触れた。そうして暫く棺に触れていたハボックだったが、やがて意を決したように棺の蓋に手をかける。短い上辺に指をかけ力を込めて押し下げれば、蓋がゆっくりと開いていった。 死者を納める棺であれば、恐らく何某かの腐臭が辺りに溢れ出してもおかしくはなかった。だが、ハボックが開けた棺からは鼻を覆いたくなるような腐臭どころか、微かな薔薇の香りが立ち昇ってきていた。ハボックは力を込めて更に蓋を押し下げていく。すると月の明かりに照らされて、漆黒の髪に白い肌の秀麗な男の顔が現れた。とても死者には似つかわしくない美しい顔立ちは人のものとは思えない。ハボックは棺の中のその男の顔をじっと見つめていたが、手を伸ばすとその頬にそっと触れた。その途端、白かった頬に僅かな赤みが差し、止まっていた鼓動が動き出す。ハボックが見守る中、棺の中の男はゆっくりと目を開けた。白い顔の中で、男の瞳はまるで黒曜石で出来ているかのように黒く輝いている。二度三度と瞬く男にハボックはおずおずと声をかけた。 「ロイ」 その声に引き寄せられるように黒曜石の瞳がハボックを見る。男はじっとハボックを見つめたまま口を開いた。 「もう一年経ったのか?」 男―――ロイはまるで極普通に時間を尋ねるような口調で時の経過を尋ねる。「はい」とハボックが小さな声で答えればロイは棺の縁に手をかけてゆっくりと体を起こした。その途端強くなる薔薇の香りにハボックは眩暈を覚える。一年前嗅いだきりの香りにこの一年間縛られていたのだと改めて痛感して、ハボックは唇を噛み締めた。 そんなハボックをロイはじっと見つめる。俯きがちなせいで長い睫毛に隠れてしまう空色の瞳が見たくて、ロイはハボックの顎を掬ってその瞳を覗き込んだ。 「ハボック」 そう呼んで見つめてくる黒曜石の瞳に絡め取られてハボックは身動き出来なくなる。息を詰めて見つめてくる空色の瞳にロイは静かに尋ねた。 「ここに来たと言うことは決心がついたと思っていいんだな?」 そう尋ねられてハボックは僅かに息を飲んで目を見開く。一度目を閉じてもう一度目を開くと答えた。 「はい」 その言葉を聞いた瞬間、ロイがバッと大きく腕を振る。その動きを追うように黒いマントが翻り、気がついた時にはハボックの傍らにロイが立っていた。ハボックは跪いたままロイを見上げる。長いマントを纏ったロイはハボックを見下ろしてもう一度尋ねた。 「本当に?私の手を取れば二度と戻ることは出来ないぞ。それでも構わないと?」 「はい」 ロイの言葉にハボックはさっきよりもはっきりと頷く。その空色の瞳が真っ直ぐに自分を見つめてくるのに、ロイは嬉しそうに笑った。無表情だった顔が笑みを浮かべただけで、月明かりだけに照らされていた部屋がパァッと明るくなったように感じられる。うっとりとロイを見上げるハボックの傍に跪くと、ロイはハボックの頬に手を寄せた。 「これから私のエナジーをお前に送り込む。そうすればお前の心臓は止まり一度お前は死ぬことになる。だが恐れることはない。私のエナジーを受け入れたお前の体は徐々に変化し、変化し終えた時、お前は私の眷族のものとして生まれ変わる」 ハボックはロイの説明を静かに聞いていたが、微かに首を傾げて聞いた。 「次に目が覚めるまでどれくらいかかるんスか?」 「普通は10日か二週間くらい。長いものだと1ヶ月かかるものもいる。稀に目覚めずに死んでしまう者もいるが」 その言葉にハボックの瞳が揺らぐ。それを見てロイはハボックの頬を撫でた。 「大丈夫だ。私がエナジーを送り込んでやるんだ。すぐに目覚めるさ」 「心配なんてしてないっスよ。オレはアンタを信じてるっスから」 ハボックはそう言って頬を撫でるロイの手に己のそれを重ねる。真っ直ぐに見つめてくる瞳に頷くとロイはハボックの頬を両手で包んだ。 「一度サヨナラっスね」 「ああ、待っている、ハボック」 そう言うロイにほわりと笑ってハボックは目を閉じる。ロイはハボックの両肩に手を添えると、ハボックの首筋に唇を寄せた。一度柔らかく口づけて唇を離す。その時、夜風に流された雲が月を隠し、部屋の中は闇に包まれた。闇の中でロイの瞳が紅く光り、開いた唇から鋭い牙が覗き―――。 「…ッッ、……アアアッッ!!」 ロイの牙がハボックの首筋を深々と穿ち、更にグッと牙が押し込まれる。ハボックは目を見開き高い悲鳴を上げた。 「ヒィッ、アアア―――ッッ!!」 ビクビクと震えるハボックの体をロイはしっかりと抱き締める。ひとつ大きく震えたかと思うと、ハボックの体からがっくりと力が抜け落ちた。一回、二回、ハボックの心臓が鼓動を刻みゆっくりと停止する。ロイはハボックの心臓が完全に止まった事を確認するとハボックの顔を見つめた。うっすらと開いた瞼の陰から涙に濡れた空色の瞳が覗く。ロイはもはや何も映さなくなった瞳を手のひらでそっと撫でて閉じた。そうしてハボックの体を抱き上げ、さっきまで自分が眠っていた棺の中に横たえる。その時、再び雲の間から姿を現した月がハボックの金色の髪を照らし出した。ロイは輝く金色の髪をかき上げてハボックの額にキスを落とし、その頬を愛しげに撫でると、ゆっくりと棺の蓋を閉じた。ハボックが床に置いた蝋燭を拾い上げその芯に触れればポッと小さな焔が灯る。ロイは蝋燭を掲げて静かに部屋を出て行った。後には月明かりに照らされた棺が静かに横たわっているだけだった。 09/06/03 |
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