| 2.聞こえる? |
| 「行こうか」 執務室を抜ける直前、コートを手にした大佐が扉のところに立つオレを振り仰いで言う。唇に甘い吐息がかかる距離で吐き出された言葉に、オレの中心がずくりと疼いた。 (この人は、また……ッ) わざとなのは判っている。オレが大佐に抱いてる邪な気持ち。それをこの人は知っていてそれを煽ってくるのだ。 初めて大佐に会った時はこれが彼の有名な焔の錬金術師かと驚いたものだ。ほっそりとした立ち姿に白い肌、秀麗な顔立ち。とても第一線で戦ってきた軍人とは思えなくてどこかの学者なり科学者なりが紛れ込んで来たんじゃないかと思った。もっともそんな思いこみはとんでもない間違いだとすぐに気づかされたけれど。仕事の面では信頼出来る上司だったし、その肩書きが決して飾りではない実力の持ち主だった。問題はプライベートの方だ。最初のうちはからかわれているのだと思った。大佐は女性だけでなく男にもモテたから、オレみたいなモテない男をからかって遊んで楽しんでるのだろうと思っていた。でも、オレを見つめる視線が、触れてくる手が、単に部下をからかう上司のそれにしてはずっとねっとりと熱を帯びていると気づいてしまってから、オレは大佐のことが気になって仕方なくなってしまった。大佐のふとした言葉に、ちょっとした仕草にドキリとしてしまう自分がいる。その事が酷くショックで、上司である大佐にそんな感情を抱いてしまう自分が赦せなかった。だから少しでも大佐に目を向けずにいられるよう、可愛い女の子たちにせっせと声をかけた。でも、そんなオレの思惑を見透かしたように、大佐が彼女たちにモーションをかけ横合いから奪ってしまう。オレより大佐に魅力があるからと言ってしまえばそれまでだけど、オレの必死の努力を馬鹿にされたようで、オレは随分と大佐に食ってかかった。四六時中大佐に腹を立てて、その結果結局大佐のことばかり考えてることに気づいたのは、大佐への気持ちが退っ引きならないところに来てからだった。それでもオレは必死に自分の気持ちを押さえ込んでいた。何と言っても大佐はオレの上司であり、オレたちは男同士だ。恋愛感情なんて以ての外だとそう自分に言い聞かせてきたのに。 『お前みたいなのが側にいると安心だな』 そう言って大佐がオレの腕に触れる。その手がスルリと上に這い上がれば理性とは裏腹にゾクリと体が震えてしまう。とても大佐を見ていられず素っ気なく答えて慌てて大佐から離れた。こっちは必死に気持ちを抑えようとしているのにその努力を嘲笑うような大佐の態度に腹が立つ。本当は大し用事もないのに中尉に話しかけるオレに、やけに楽しそうに話しかけてくる大佐の声に簡単に心が乱されていっそのことという気持ちが沸き上がり、オレは慌ててその気持ちに蓋をした。だが。 「お疲れさまです、大佐」 かかる声に軽く手を挙げて大佐は司令室を出ていく。その後について歩きながらオレは、さっき言葉と共に大佐にかけられた吐息が、オレが必死に錠をかけて押しとどめていた最後のスイッチを入れてしまったことに気づいた。一度入ってしまえばもうオレ自身にもどうすることも出来ないスイッチ。スイッチが入ったことでオレの中で押さえ込んでいた凶暴な何かがゆっくりと頭をもたげ檻の外へと出てこようとしていた。 ねぇ、大佐、聞こえる?檻から出てこようとするソイツの足音が。オレは必死に押し込めておこうとしたのに、アンタが解き放ったんスよ?もうこうなったらオレ自身、どうなるのかなんて判らない。アンタを前にしてソイツを押さえ込んでおけるのか、正直自信なんて全くないから。 オレは司令部の入口で大佐の事を追い越すと正面につけてあった車の扉を開ける。車の中へ体を滑り込ませる大佐が一瞬オレを見上げ、スッと目を細めた。大佐の視線とオレのそれが瞬間絡み合いすぐに解ける。オレは運転席に回って乗り込むと、ハンドルを握りアクセルを踏み込んだ。 「……行き先を聞かないのか?」 滑らかに走る車の微かな振動に身を任せて大佐が聞く。 「家以外に行きたいところがあるんスか?」 一刻も早く帰りたいくせに。真っ直ぐに前を見つめて車を走らせながらそう言えば大佐が楽しそうに笑った。 「ないな」 「なら聞く必要ないっしょ」 オレはそれだけ言って後は黙ったまま車を走らせる。程なくして家につくと、オレは扉を開けて大佐を下ろした。 「車、回してきます」 「ああ」 オレの言葉に頷いて大佐は家に入っていく。オレは車を裏の駐車スペースに回すと家の中に入った。この家に入ったのは数える程しかない。知っているのは書斎とリビングしかなかったが、そのどちらにも大佐の姿はなかった。 「大佐?」 オレは大佐を探して家の中を歩き回る。一通り扉を開けて覗いた一階の部屋には大佐の姿は見あたらなかった。 「二階か?」 ここは大佐の家でそれだけで既にプライベートな空間だが、二階となればもっとそう言う色合いが強いだろう。そんな場所へ入っていく事に抵抗がないわけではなかったが、オレを呼び込むように姿を見せないのは大佐の方なのだから遠慮は無用と思えた。なにより大佐が入れたスイッチは大佐に切って貰うしかない。オレは頭を振って躊躇いを捨てると二階へと続く階段を上がった。 「大佐?」 階段を上がれば同じような扉が幾つも並んでいる。その中の一番奥の扉が少しだけ空(す)いているのに気づいて、オレはゆっくりと廊下を歩いていった。部屋の前に立つとノックもせずに扉を開ける。正面の窓辺に大佐が立っているのが見えて、オレは部屋の中に入ると後ろ手に扉を閉めた。 「大佐」 オレが呼ぶ声に大佐がゆっくりと振り向く。月明かりに照らされて一層白く見える顔の中で大佐の黒い瞳がキラキラと輝いて見えた。 「やっとここまで来てくれた、ハボック」 大佐は囁くように言うとうっすらと微笑む。オレはその笑みに飲み込まれそうになるのを必死に堪えて言った。 「アンタ……なに考えてるんスか?」 「お前と同じ事を」 その言葉にオレの体がずくりと疼く。オレの中の獣が大佐に舌なめずりして飛びかかろうとするのを、オレは必死に押さえて言った。 「オレと同じ事?アンタがオレと同じ事を考えてるなんて、とても思えないっスけど」 オレはアンタを好きで、力ずくでも自分のものにしたい。そんな事をアンタが考えてる筈ないことくらい、オレにだって判るんだから。大佐を正面から見る事が出来ず、少し視線を外して吐き捨てるようにそう言えば大佐は微かに顔を歪めた。 「なんでそう決めつけるんだ?」 「決めつけるもなにも……ッ」 大佐の声にオレは神経を逆撫でられて声を荒げる。逸らした視線を大佐に向けて白い顔を睨みつけた。 「むしろオレは聞きたいっスよ。なんでオレを煽るんスか?そんな事してなんになんの?」 そんなねちっこい視線でオレを見て、熱い吐息で囁きかけて。オレを退っ引きならないところまで追い込んで。言って睨みつけるオレの視線と大佐の視線が絡み合う。真っ直ぐに見つめてくる視線がゆらりと揺らいだと思うと大佐が言った。 「お前が好きだから」 大佐の唇から零れた言葉は涙に濡れて掠れていたが、それでもシンと静まり返った薄闇の中ではっきりとオレの耳に届く。だが、思いもしなかった言葉はオレの中ですぐに形にはならなかった。 「……え?」 と、オレは大佐の言葉を掴み損ねて馬鹿みたいに聞き返す。そうすれば大佐は焦れたように顔を歪めて繰り返した。 「お前が好きだと言ったんだっ」 大佐は叫ぶように言って走り寄ってくると腕を掴んでオレを見上げてくる。今にも零れそうに涙の膜が張った黒曜石の瞳でオレをじっと見つめて大佐は言った。 「ずっとずっとお前が好きだった。お前が女性にしか興味がないのは判ってた、でも諦められなくてどうしてもお前が欲しくて……ッ」 「大佐……」 「……私もお前と同じものを心の中に飼ってる。お前を求めてやまない凶暴なソイツの足音がお前には聞こえないのか?」 大佐は言ってオレの胸倉を掴んだ。 「好きだ、ハボック。ずっと好きだったんだ……ッ」 そう言った途端、大佐の瞳から涙が零れる。零れた涙はオレのシャツを濡らし、オレの中のスイッチを壊してしまった。 「お前の中のソイツに私を食わせてくれ」 「……後悔したって知らないっスよ?」 壊れたスイッチの残骸をかき集めて最後の抵抗を試みるオレに。 「後悔なんてするもんか」 涙の滴を光らせて大佐が鮮やかに笑う。それを見ればもう抵抗なんて無駄な足掻きでしかなかった。 「……好きっス、大佐。アンタの事が好きだ……ッ」 オレはそう言うと同時に噛みつくように大佐に口づけた。 2011/01/22 |
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