1.Switch


「ッ?!」
「ああ、すまん、ハボック」
 わざとフラリとよろめいてハボックの厚い胸に寄りかかる。仰ぎ見るように肩越しにハボックを見上げればハボックの男らしい顔がカアッと染まった。
「別にいいっスけど……気をつけて下さいよ」
 ハボックは僅かに私から目を逸らして言いながら自分の体に寄りかかった私の体をそっと離す。ドンと突き放されないのをいいことに私はハボックの腕に手を置いた。
「お前みたいなのが側にいると安心だな」
 そう言いながら置いた手を肩の方へ滑らせにっこりと笑ってみせる。
「なんスか、それ」
 ハボックは赤い顔で私を睨みつけるように見ると、私の手を振り払うようにして側から離れた。
「中尉、ちょっといいっスか?」
 ハボックはその胸の内を表すような乱暴な足取りで中尉に近づくと手にした書類を示して話し始める。そのあまりのわざとらしさに私は思わずクスリと笑った。
「ここんとこなんスけど」
 と、中尉と話し続けるハボックの空色の瞳が私を見る。ちらりと寄越すその視線に怒ったような光を見つけて私はゾクゾクとした。
 ハボックが私に対して恋愛感情を抱いてくれるようになった時、私は飛び上がるほど嬉しかった。初めて会った時から私はハボックが好きだったが、ハボックは女性にしか興味がなかったしハボックが私に振り向いてくれる可能性は皆無と思われた。それでも諦めきれずに事あるごとにハボックに触れ熱い視線を送り続けた。ハボックが私を意識し始めれば更にハボックを側に置くようにした。彼が私への気持ちを誤魔化そうとするように女性に目を向けようとすれば、まるで横から奪うようにその女性にアプローチをかけて私に気持ちを向けさせた。そのことで随分ハボックに恨みを買ったが、かえってハボックの気持ちが私に向くことが嬉しかった。そうしていつしかハボックの視線が熱を帯び、私に対する恋情を滲ませるようになった時はどれほど嬉しかったか。だが、そうなってもハボックは私に手を伸ばそうとはしなかった。ハボックは軽く見られるその言動とは裏腹に至極真面目な性格だったから、上司でありしかも同性の私に恋愛感情を抱く事を良しとしなかった。だから、必死に私への気持ちを押し殺し二人の間のラインを越えようとしないハボックの最後のスイッチを押そうと、私は今まで以上にハボックを煽っていた。
「ハボック、そっちの用事が終わったら車を回してくれるか?」
「……まだあと三十分位かかりますからブレダに頼んで下さい」
「三十分か、それくらいなら私の方も都合がいい」
 そう言って笑えばハボックの顔が歪む。私はそれには気づかぬフリで執務室に入った。
「今日こそお前のスイッチを入れてやる……」
 そう呟いて椅子に腰を下ろし書類を手に取りはしたものの内容など頭に入ってこない。時を刻む時計の音さえハボックが部屋に入るまでのカウントダウンのようで、私の興奮を煽った。そうしてかっきり三十分後、執務室の扉が開いてハボックが顔を出した。
「車の用意出来たっス、大佐」
「ああ、私も丁度終わったところだ」
 眉間に皺を寄せて告げるハボックに私は満面の笑みを浮かべて答える。書類を抽斗にしまいコートを手に立ち上がると、執務室の扉を開いたきりそこに立ち尽くしていたハボックの脇を抜けて出ていこうとした。
「行こうか」
 脇をすり抜ける瞬間、ハボックを見上げ煙草を咥えた唇に向かって声をかける。ピクリと震えて目を見開くハボックにねっとりとした笑顔を向けて、私は執務室を出た。司令室に残る部下たちに声をかけて大部屋を抜ける。背後からついてくるハボックの気配にこれまでとは違うものを感じて先を歩く私の唇に笑みが浮かんだ。
 今夜こそ、今夜こそ。
 カチリとスイッチの入る音を聞きながら、私は足が地につかぬような足取りで司令部の廊下を歩いていった。


2011/01/05


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