羯磨3 〜side R


「この辺りか……」
 ロイは坂道を上りきった先の丘の上に立つと眼下の景色を見下ろす。ところどころ戦火の爪痕が残る大地は彼が死力を尽くして守りきったものだったにもかかわらず、ロイの心を占めるのは果てしない喪失感ばかりだった。
 この国を支配していた長い戦いが終わって、漸く平和が訪れた。国を守るという大儀を果たしたロイは、何故だか無性にかつて見た大きな虹の麓に行きたいという気持ちに駆られた。事後処理に追われるうちにいつしかそんな訳の判らない気持ちは消えるかと思っていたが、消えるどころかその気持ちは日々大きくなるばかりで。それと同時に胸の片隅に生まれていた喪失感もどんどん大きくなっていった。漸く自分の自由になる時間が出来て『虹の麓に行く』と言ったロイに、彼の副官であったホークアイが小さな袋を手渡した。
『目的地について貴方の心の中に生まれた感情の意味を知りたくなったら開けてみて下さい』
 そう言ったホークアイの瞳に宿る静かな哀しみを見て、ロイは拒むことが出来ずに手の中に落とされた袋を受け取ったのだった。


 漸く目的地と思しき場所について、ロイは草の上に腰を下ろす。誰の姿も見えないその場所に、ロイはほんの少し失望してため息をついた。
「あんなに来たいと思っていたのだから何かあるのかと思ったが、なにもないところだな」
 そう呟いた時、聞こえた鳥の高い囀りに引かれるように見上げた空を見上げたロイの目が大きく見開かれる。ずっとその存在すら忘れて見上げることもしなかった空の、透き通る青さにロイは息を飲んだ。それと同時にロイの心を占めていた喪失感がロイの全てを飲み込もうとする。呆然と空を見上げていたロイは、己の頬を濡らす熱いものに気づいて指先でそれを拭った。
「涙……?」
 流していたことにすら気づかなかったそれにロイは目を見開く。暫くの間指先に光る涙の滴を見つめていたロイの脳裏にホークアイの言葉と渡された小さな袋が思い浮かんだ。ロイは濡れた指先で隠しから袋を取り出す。封を開き逆さに振れば手のひらの上に小さな銀色のタグが落ちた。ロイは指先で鈍く光るタグを拾い上げそこに刻まれた文字を目で追う。何度も何度も目で追って、最後に唇に刻まれた文字をのせた。
「ジャン……ハボック」
 そう呟いてみてもロイの中には何の感情も生まれてこない。ロイは何かを呼び起こそうとするように、タグを握り締めた。
「ハボック……ハボックっ、ハボック!ハボックッッ!!」
 大声で呼んだ名が風に浚われて千切れる。それでも己の中を占めるのがどんな感情でもなく、ただただ果てのない喪失感であることに気づいたロイは不意に浮かんだ考えに目を見開いた。
「違う……これこそが今の私の感情だ」
 哀しいでも辛いでもない、ぽっかりと空虚だけが心の中にある。ロイは手の中の銀色のタグを食い入るように見つめた。
「何故忘れた……?何故私は“ハボック”を覚えていないんだッ?何故ッッ?!」
 そう叫んでロイは、かつて自分たち錬金術師が死んだ人間のことを覚えていられないのだと話をしたことを思い出した。
「誰、と?」
 話をしたのだからその相手がいた筈だ。だが、話した事実は記憶にあっても、その相手のことだけはぽっかりと穴があいたように抜け落ちていた。
「ハボック……」
 聞き覚えのない名前、記憶にない姿形。だが、手の中のタグは確かにジャン・ハボックという人間が存在していたことを証明していた。
「思い出してやる」
 手の中のタグを見つめてロイはそう呟く。思い出したところで恐らくもうその男はこの世にはいないのだろう。それでもロイの胸を占めるこの空虚を埋めるには思い出すしかないのだ。
「絶対に思い出してやるぞ、ハボック」
 きっぱりとそう告げるロイの髪を風が優しく撫でていく。かつて誰かがそうしたように。
 ロイはただ一つの名前を刻み込んだタグを握り締めて、長いことその場に立ち尽くしていた。


2012/01/08

  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

ロイの方が残ったらこんな感じかな、と。実はこれを書いて1ヶ月ほどしてから漸くゲームを全クリしました(苦笑)今書いたら少しは変わるのか、変わらないのか……。