羯磨


「大佐」
 ゆっくりと目を開いたロイは聞こえた声にぼんやりとした視線を向ける。そうすれば綺麗な空色が安心したような色を浮かべた。
「よかった、気がついて」
 ハボックはそう言ってロイの額にかかる髪を指先で払う。その暖かい感触にロイはホッと息を吐いた。
「終わったのか?」
「ええ、やっと」
 国境線沿い、長く続いていた戦闘が漸く終わりを告げた。最前線に立っていたロイは最後まで戦場に踏みとどまり彼の故郷を守ったものの、大きな怪我を負って戻ってきたのだった。
「長かったな」
「そうっスね」
 ハボックは起きようとするロイを手助けしてベッドに体を起こさせてやる。楽なように背に枕を当ててやれば大きく息を吐いて窓の景色を見遣るロイにハボックは言った。
「大佐、中佐が……」
 ハボックはロイの横顔を見つめて呻くように言う。ロイと並んで戦場に立っていた常盤色の瞳を持った彼の親友は、生きて帰ってくることができなかった。だが、ロイの唇から零れたのは哀しみの思いでも怒りの言葉でもなかった。
「中佐?どこの中佐だ?」
 振り向いたロイが不思議そうに言うのを聞いてハボックは目を瞠る。だが、無理に笑顔を浮かべるとロイに言った。
「なんでもないっス。そうだ、オレ、中尉に大佐が気がついたって連絡してきますね。心配してたっスよ、中尉」
「大方こんな怪我をしてサボるつもりだろうとでも言ってるんだろう?」
「はは、目が覚めたと知ったら山ほど書類持ってくるかもっスね」
 ハボックは殊更明るくそう言うと病室を出る。後ろ手に扉を閉めてロイとの間を遮った途端、ハボックの顔がくしゃくしゃと歪んだ。
「やっぱ忘れちまうのか」
 ハボックは扉に寄りかかって呻くように言う。ロイが目覚めるまで抱いていた、大切な親友の死なら覚えているかもしれないとの微かな期待があっさり裏切られた事に、ハボックは唇を噛み締めた。
 錬金術師は人の死を記憶出来ない。家族だろうが恋人だろうがそれがどれほど近しい存在であっても、死んだ瞬間その人の事は錬金術師の記憶から消え去ってしまうのだ。錬金術と言う大きな力を得た代償なのか、それとも真理を掴んだ者への哀れみなのか、一人の例外もなく錬金術師としての力を得た者からは死んだ者の記憶が抜け落ちていくのだった。
 ハボックはポケットを探り手に触れた小さな金属片を取り出す。それはヒューズが身につけていたタグで、彼がロイの隣にいたというただ一つの証だった。これを見せたらロイはどんな顔をするのだろう。ヒューズと言う男が彼と共にいて、同じ目的のために戦ったという事実を思い出すのだろうか。
 一つため息をついたハボックはタグを手にゆっくりと廊下を歩き出す。階段を下り病院のロビーの片隅に置いてある電話を取ると、司令部のホークアイに連絡を入れた。
「中尉?大佐、目覚ましたっスよ。───ええ、やっぱり覚えてなかったっス」
 ハボックはそう伝えてギュッと手の中のタグを握り締める。ホークアイの言葉に何度か頷いて、最後に口を開いた。
「判ってます。言いませんよ、中佐の事は。言っても……判んないだろうし」
 ハボックはそう言って受話器を置く。受話器を握る己の手をじっと見つめてハボックは呟いた。
「いつかオレが死んだら……大佐はオレの事も忘れちゃうんだろうな」
 一緒に過ごした楽しい時間も、分けあった温もりも、なにもかも自分に関する記憶はロイの中から抜け落ちてしまうのだろう。そうしてロイにとって、ハボックという存在は最初からなかったものになってしまうのだ。
「錬金術師なんて───」
呻くように言いかけた言葉をハボックは飲み込む。そうしてゆっくり受話器から手を離すと、誰よりも愛してやまない錬金術師の元へ戻っていった。


2011/12/03


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「人が死んだらその人の記憶が消えてしまう」というのは今やってるゲームから頂いたネタです。死んだ人の記憶を抱えて生きていくのと、綺麗さっぱり忘れてしまうのと、どちらが幸せなのだろうと考えると切ないなぁと思いましてちょっとばかし書いてみました。ハボがヒューズの死をロイに伝えないのはこれ以上ロイを傷つけたくないと言う思いがあるからですが、その一方でもし自分が死んでもロイの記憶に残っていたいという願望もあるわけで。ヒューズを忘れてしまったロイとそのロイを見守っていくハボックと、いつかあるべき真実に向き合える日がくるのか、こないのか。答えが出るのはもしかして二人の最期の時かもと思ったり。