花嵐 


「じゃあ十二時に公園の桜んとこで」
「判った」
「本に夢中になってオレの事忘れないで下さいね」
「忘れるわけないだろう」
 そう答えてもどこか疑わしげに見つめてくる空色を片手で押しやって、ロイは家を出る。春真っ盛りの通りを歩いて行けば柔らかい風が吹いて、どこからか花の香りを運んできた。
「いい陽気だ」
 ロイは目を細めて青く霞む空を見上げる。今日は図書館で調べ物をした後、ハボックと公園で待ち合わせてランチを食べる事になっていた。先週末に咲いた桜は今日辺り満開で桜を見ながら食べるランチはきっととても美味しい事だろう。
 のんびりと歩いてロイは辿り着いた図書館の入口をくぐる。顔馴染みのカウンターの女性職員が「こんにちは」と声をかけてくるのに笑顔で答えて、ロイは古い本が多く並ぶ書架へと向かった。指先で背表紙を読み、取り出して中を確認しながら必要な本を揃える。選んだ本を手にロイは図書館の奥へと歩いていった。春の陽射しが降り注ぐ窓際の席を選ぶと丁度手元が影になるよう腰を下ろす。柔らかな陽射しは冷えた図書館の一角を程良く暖めて、ロイはその暖かさの中忽ち本の世界へと没頭した。時折ペンを走らせては手帳にメモを残す。人の少ない図書館の一角はロイが本をめくる音とペンを走らせる微かな音だけが支配していた。
 そうしてどれくらい時間が過ぎた頃だろう。突然窓ガラスがガタガタと大きな音を立て、ロイはハッとして顔を上げる。窓越しに空を見上げればさっきよりも雲が出て風が強くなっているようだった。
「今何時だ?」
 時間のことなどすっかり忘れていたと、ロイは慌てて銀時計を取り出す。針はあと十五分ほどで正午を指す時分で、ロイはホッと息をついた。
「今から行けば丁度だな」
 ああ言った手前遅刻などしたら何を言われるか判ったものではない。ロイは手帳を隠しにしまい本を書架に戻すと図書館を出た。
 来る時は穏やかだった風が前へ進む体を押し返そうとするほど強くなっている。ロイは揺れる街路樹の枝を見上げて眉を顰めた。
「花が散ってしまうな」
元々ほんの一時(いっとき)の命の花だ。それをわざわざ散らすような風が吹かなくてもいいのにと思いながら、ロイは公園へと急いだ。
 花盛りの公園に着くと待ち合わせの桜の木へと向かう。強い風の中、満開の枝を広げる木が見えてくるとロイは目を細めた。
「まだ来てないか」
 桜の側に背の高い姿は見当たらず、ロイは太い幹に背を預ける。下から見上げればまるで薄桃の霞がかかったようで、ロイは半分目を閉じて桜の花を見つめた。
 ざわざわと強い風に枝が揺れ、花びらが舞う。気がつけば吹き荒れる風に散った花が纏いつくように、ロイの周りを高くなり低くなりして舞い踊っていた。舞い散る花びらを見つめていれば薄桃の花びらが視界を遮り、不意にロイは出口を見失った錯覚に陥る。どこまでも霞む世界でどちらへ進めばいいのか判らず立ち竦むロイが見つめる先で、突然霞む世界が二つに裂けて金色の光が飛び込んできた。
「大佐ッ」
 舞い散る花びらの中、ハボックがロイの腕を掴む。掴んだ腕を確かめるようにギュッと握ったハボックの笑みが太陽のようにロイの目に映った。
「大佐」
「…………どうした、ハボック」
 ゆっくりと己を取り巻く世界が元の姿に戻っていくのを感じながら、ロイは何でもないように薄く笑む。そうすればハボックがボリボリと頭を掻いた。
「や、なんか……大佐がいなくなっちゃう気がして」
「何を言ってるんだ、お前は」
 言われてハボックが俯く。そんなハボックをじっと見つめていたロイは手を伸ばすと金色の髪をクシャクシャと掻き混ぜた。
「大佐」
「サンドイッチ、作ってきたんだろう?メシにしよう、腹が減った」
「あ、はいっ。大佐の好きな卵の、いっぱい作ってきたっスよ」
 ニコッと笑ったハボックが桜の下に持ってきたバスケットを置く。シートを広げてランチの準備をする傍ら、ロイはさっきの花嵐が嘘のようにはらはらと静かに花びらを降らせる木を見上げた。
 がむしゃらに突き進みながら、ふとした瞬間見失いそうになる道を、いつもいつも照らし出してくれるのはハボックだった。彼が傍らにあってくれればこれからも自分は迷わず前を向いていられる。
「大佐、準備できたっスよ」
「ああ」
そう言って見上げてくる空色に手を伸ばして、ロイはそっと口づけた。


2012/03/29


  ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 元々は桜が舞い散るただ中に立つロイを書きたかったんですが。ロイにとってハボックは彼の道を明るく照らしてくれる光って感じでしょうか。
 もうひとつハボックバージョンもあります。