tison 前編
「おっと…」
ハボックはうるさ型の上官が近づいてきたのに気がついて慌てて煙草を消した。その男はジロリとハボックを睨み
つけると、傍らに立つロイに向かって言う。
「マスタング大佐、余計なこととは思いますがね、上官の前での咥え煙草など許していてはいかんのではないですか?
いくら貴官がお若いとはいえ、きちんと締めるところは締めませんと…。」
「お気遣いなく。コイツの煙草は特別なので、敢えて許しているのですよ。」
ロイがそう答えると、相手の男はムッとして行ってしまった。
「まったく余計なお世話だ。」
ロイが不機嫌そうに言うのをハボックは楽しげに聞きながら、新しい煙草に火をつけた。
「特別許可、有難うございます。」
ワザとらしくそう言うハボックの足をぎゅっと踏みつけてロイは歩き出した。いてぇとぼやきながら後につき従うハボック
をちらりと見やって笑う。
「ま、仕方あるまい。」
「大事な火種ですからね。」
「お前はいなくても煙草さえあればいいんだがな。」
「…ソレ、ひでぇっスよ、大佐。」
情けない顔をするハボックの声を聞きながらロイは昔のことを思い浮かべていた。
「しかし、ホントによく降りましたね。帰れなくなるかと思いましたよ。」
車のハンドルを握りながらそう言うハボックにロイは頷いた。
「長雨でこの辺の地盤も緩んでいるかもしれないからな。早く通りぬけた方がいいだろう。」
「そうっスね。」
ハボックとロイは視察の帰り道、細い山道を車で走っていた。片側は木々の生い茂った山、もう片方は切り立った崖
になっている。
「こんなところで落盤でもあったらたまったもんじゃないな。」
ロイがそう言うのをハボックは眉を顰めてたしなめた。
「たいさ〜。そういうことは口に出すもんじゃないっスよ。言葉には力があるんスからね。悪いことを言うと悪い運を
呼び寄せるんです。」
「なんだ、また、おばあさんの受け売りか?」
「言霊って知りません?言葉には力があるんスよ。」
「意外と迷信ぶかいな。」
「あ、そうやって馬鹿にして。ホントなんスからね。」
ハボックはムッとしてそう言うと口を閉ざした。それから少しして。
「大佐、煙草…。」
「お前、この狭い車内で吸う気か?」
「大佐がヘンなこと言うから尻がむずむずして落ち着かないんスよ。」
「デカイ図体のくせに気の小さい男だな。」
「ガキの頃、散々ばあちゃんに言葉を馬鹿にしちゃいかんって言われ続けたもんで。」
「…1本だけだからな。」
「やった。」
微かに燃える匂いがしてうっすらと煙が上がった。暫くの間どちらからも言葉を発することなく、車のエンジン音だけが
響く。と、その時。エンジン音に混ざって何やら低く響く音が聞こえてきた。
「大佐。」
「お前の言うとおりだったな。」
車を止めるのかこのまま走らすのか、悩んだハボックがロイに判断を仰ごうとした矢先。
ゴオオオオオッッ―――!!!
凄まじい音と共に数十メートル先に土砂が崩れ落ちてきた。
「たいさっ、つかまってっ!!」
叫んでハボックは急ブレーキを踏む。タイヤが軋む嫌な音が鳴り響いた後、車はなんとか崩れてきた土砂の目の前で
止まることが出来た。二人は車の外へ出ると土砂を見上げる。
「危なかったっスね。」
「ああ、だがこのままではまた次が来たらお陀仏だ。」
「また言うしー。」
「事実だろうが。」
情けない顔をするハボックを見やってロイはポケットから発火布の手袋を出して嵌めた。
「土砂を吹き飛ばす。」
ロイはそう言うと数メートル後ろへと下がった。ハボックは運転席に戻ると車をバックさせる。ロイが指をすり合わせ
ようとしたその時。
バシュッッ!!
近くの山肌から水が勢いよく溢れ出してきた。
「うわっ!!」
その水をまともに受けてロイが尻餅をつく。慌てて車から出てきたハボックがロイを引き起こしてそこから離れた。
「雨水を吸い込んで地盤が緩んできてるんですね。」
ハボックがそう言ったが、何も答えないロイを不思議に思って振り返る。
「大佐?」
ハボックが呼ぶ声にロイは黙ってびしょ濡れの発火布を見せた。
「…ウソでしょ?」
「ウソに見えるか?」
「どうするんです?」
「どうするもこうするも、発火布が濡れてしまっては…」
「何アンタ、肝心な時に無能になってるんスか?」
呆れたように呟くハボックにロイはムッとして怒鳴った。
「無能とは何だ、無能とはっ!」
「事実でしょうが。」
うっと押し黙るロイにハボックはがっくりと煙草の煙を吐き出した。
「後少しで抜けますけど、ここは戻るしかないっスね。」
「だが、そうするとまだ当分山道を行く事になるだろう?」
「仕方ないっスよ。」
そういいながら運転席に戻ろうとするハボックの背後に続く煙を認めて、ロイは僅かに目を見開いた。
「待て、ハボック。」
「なんスか?」
振り向いたハボックの唇から煙草を抜き取るとロイはにやりと笑った。
「見てろ」
そう言うと濡れた手袋を嵌めた手に煙草を持ってすっと前に差し出した。僅かな火花が散ったと思った瞬間。
ドオオオン―――!!
轟音と共に土砂が吹き飛んだ。ロイは美味そうに煙草を一口吸うと、呆然としているハボックの唇に煙草を戻す。
「行くぞ。」
「煙草を火種に…」
「早くしろ、ハボック!」
ポカンとして立っていたハボックはロイの声に慌てて車へと走る。運転席に乗り込むと急いで車を発進させた。
「手袋、濡れてても平気なんスね。」
「火種があればな。」
スピードを上げた車は漸く崖っぷちの道を抜けて広い道へと入っていった。
「ハボック、お前、好きなときに煙草吸っていいぞ。」
「へ?」
唐突に言われてハボックが目を瞠る。
「というか、いつでも煙草、咥えてろ。」
「…もしかして火種要員?」
ハボックが嫌そうに呟けばロイがくすくすと笑った。
「嬉しいだろ?」
「素直に喜べないっス。」
イイコトを考え付いたと言うように上機嫌なロイと何となく面白くない様子のハボックを乗せて、車は走り続けた。
「そういえばそんなこともあったっスね。」
リビングでコーヒーを飲みながら、昼間思い出したことをロイが話すのを聞いてハボックは頷いた。
「オレの煙草を火種にテロリストのビルをぶっ飛ばしたこともありましたよね。」
「そうだったか?」
「そうっスよ。」
「いいじゃないか、百害あって一利なしのお前の煙草を有効に使ってやってるんだ。」
「…すげぇムカツク。」
ハボックがむすっとするのをロイは楽しげに見つめた。そんなロイを見て、ハボックは何か思いついたようにロイに
近づいてくる。身構えてハボックを見上げるロイの手からカップを取り上げると、ハボックは囁いた。
「オレの火種はアンタ自身ですけどね。」
そう言ってロイの頬に触れる。ロイは僅かに目を見開いて目の前にあるハボックの顔を見つめた。
「オレが生きていく為の火種。」
指先を頬から顎に滑らせる。
「怒りも、喜びも、楽しみも、苦しみも、何もかも全部の火種が。」
顎先から首へ。
「アンタの中にあるんですよ。」
襟元にたどり着いた指がシャツのボタンを外し、ハボックの手が中へ滑り込んだ。
「快楽も…」
滑り込んだ手がロイの乳首を摘んだ。
「んっ」
ぴくんと震えるロイに圧し掛かると、ハボックはロイに口づけていった。
→ 後編