MEMORY 4
〜菫青石の恋〜

亮水瀬


 赤く腫れぼったい目で談話室に入ってきた友人に、グレイルは溜息をついた。この間からカーティスはひどく不安定で、夜もあまりよく眠れていないようだった。
「なあ……お前、大丈夫か?」
「……うん。」
 泣きそうな顔で微笑われて、どう慰めていいかわからなくなる。ここ暫らく、彼は上官の護衛の任務を外され、外回りの現場を中心に回っていた。
「丁度有給溜まってるから、故郷くにに帰ってこようかと思って。妹がさ、顔見せろって煩いんだよ」
「妹いんのか? 幾つだ?!」
 隣りのテーブルで煙草を吸っていた男が、色めき立って覗き込んでくる。
「あー、悪ぃけど守備範囲外だぜ? ホリス」
「何でだよ! お前の妹なら、まんまで十分可愛いだろうが! ブロンド? なあ、お前に似てるか? ジャッキー!」
「…あのな。生憎まだ五歳にもなってねえよ。ついでに髪も目も栗色で、あんまり俺には似てねえし」
「はああああ? 何だそれ! まるっきりガキじゃねえか!」
 ホリスと呼ばれた大柄な男は、がっくりと肩を落とした。あわよくば、紹介してもらってそのまま彼女に…などと夢想したのだろう。
「随分年が離れてるんだな。それだけ離れてると、可愛くてしょうがないだろう?」
 くつくつと笑いながら、グレイルが訊ねる。
「うん……。何かさ、俺が士官学校の寮に入った途端、ラブラブモードに突入しちまったらしくって。休暇で帰ったらお袋の腹がでかくて、呆れちまったよ。まあでも、俺に何かあっても、妹がいれば多少は紛れるかなって思うんで、その点は良かったんだろうな…」
「ジャック…」
「ま、そんなわけで、司令部の野郎どもに紹介するのは勘弁な?」
 ポンポンと肩を叩かれて、グレイルは苦笑した。確かに、紹介されてもどうにもならない。
「どんな子だ?」
「たしかこないだ、写真送られてきたんだが ─── 」
 ごそごそと財布をまさぐって、彼は一枚の写真を取り出した。
「ああ、お袋さんに似てるんだな? 可愛い子じゃないか」
「そう思うか?」
 栗色の巻き毛に明るい茶色の瞳の妹と、その子を愛しそうに抱き締める母親の姿に、カーティスは目を細める。多分、写真を撮ったのは父だろう。彼はぼさぼさの赤毛を短く刈った庭師で、日焼けした肌に抜けるような緑の瞳をしていた。ジャックは家族の誰とも似ていなかったが、それを引け目に思ったことはない。
 ふと、彼は小首を傾げた。
「ジャン……ジャン・ハボック?………」
 初めてその名を聞いた時から、何かが心の中で引っかかっていたのだ。その理由に、ようやく気付く。
「あ!…ハボックって………おふくろの、旧姓…?!」
 愕然とした。
 では自分と彼は、本当に血が繋がっているのかもしれない。家族の誰とも似ていなくても、遡って血縁者と似るというのは、良くあることだ。
 ガタンと椅子を蹴倒して談話室を出て行く後姿を、驚いたようにグレイルとホリスは見送った。


* * *


「……ジャンです。間違いありません…」
 ブレダの持っていた古ぼけた写真に幼い弟の面影を見出し、彼女はぽろぽろと涙を零した。
 正確に言うと、セピア色の写真の中の少年は、弟ではなく息子の幼い頃に瓜二つだった。彼女が弟と暮らしたのはたったの一年で、ようやくジャンが歩き始めた頃にはもう家を出てしまっていたからだ。
 アイリーン・カーティスは旧姓をハボックといった。東部の寒村の出で、十三の年には住み込みで隣町の邸に勤め始めた。翌年、南部に嫁ぐ令嬢に付き従って移住し、十六歳で同じ邸の庭師の男と結婚した。ギルバート・カーティスは朴訥だが誠実な赤毛の男で、彼女は貧しいながらに幸せだった。だが翌年息子が産まれると、アイリーンは自分の犯した罪に気付いて蒼白になった。
『天使みたいだな! ようし、今日からお前はジャクリーンだ!』
 金髪に澄んだ青い瞳の赤ん坊に、夫はひどくはしゃいで女の子のような名前をつけてしまった。最初は慌てて止めた彼女も、
『アイリーンの息子でジャクリーンなら、別に構わんだろう? それに呼ぶ時は、ジャックで十分だし』
そんな夫の陽気な意見に苦笑して同意したのだが。
『ねえ、あなたの家族に、誰か金髪碧眼の人がいた?』
 ギルバートは当時もう、肉親を全て失って一人で邸に住み込んでいた。
『いいや?』
『……不安じゃないの?』
 茶色の髪と瞳の家族の中で、ずっと虐げられ、疎まれていた金髪の弟。天使のような青い瞳を見る度に、アイリーンはどこかで彼を異端として捉えていたように思う。産みの母にすら疎まれ、乳を与えられる事も無く彼女がミルクで育てた赤ん坊は、それでもよく笑い、よく泣く愛らしい子供だった。家族の手前あまり優しくしてやることも出来ず、必要最低限の世話だけを辛うじてする毎日が続き ─── だが結局、家の中の風当たりの強さに負けて彼女はジャンを捨てた。弟を残して、さっさと外に仕事を求めてしまったのだ。
『隔世遺伝だろ。金髪碧眼は劣性遺伝子だからな、濃い色の髪や目に負けちまうんだよ。けど、いつ現れても別におかしくはないぞ?』
 植物を扱う男は、こういう事に対して蒙昧もうまいでは無かった。
『あ、ああ……っ…』
 アイリーンは泣き崩れた。
 ジャンには、ひとかけらの罪も無かったのだ。父は彼の輝く髪と澄んだ瞳の色を妻の不貞の証と忌み嫌ったが、そんなものは元々どこにも存在しなかった。ただただ保身の為に息子に冷たく接した母の仕打ちと両親に同調するかのように弟に辛く当たった兄弟達を思い出して、彼女は自分の罪を痛感した。
 ジャンが二歳になるまでは近くにいたから時々顔を見に帰っていたのだが、南部に移ってからはそういうわけにもいかなかった。幼いジャンは、自分を育てた姉の事を全く覚えていなかったろう ─── 覚えていれば、まだ救われたのかもしれないが。
 住み込みで共働きの夫婦に大して蓄えがある筈も無く、母親になったアイリーンには遠い南部から実家に自由に帰る金も暇も全く無かった。置いてきた弟の事を気に掛けながらも、実家とは疎遠のまま年月は過ぎていった。
 息子が十歳の時ようやく思い立って東部に連絡を取ったが、両親も兄弟もジャンに関しては口が重く、何度も手紙を遣り取りした挙句急な病気で死んだと告げられた。もう葬儀も済み、今更逢いに来てもどうせ墓土の下だと冷たく言われ、彼女は戻るのを諦めた。病の床についていると連絡されたなら、何を置いても駆け付けたろうが。
 ─── 実際には彼が借金の形に身売りされたのだと知ったのは、更に数年が過ぎた後だった。
「私は……あの子に何の罪もないと知っても、何もしませんでした……積極的に虐げはしなかったけれど、救おうとも思わなかった ─── 」
 ジャクリーンが日々健やかに成長するにつれ、彼女の罪の意識は重く心に圧し掛かるようになった。その事が、次の子供を望む夫の気持ちを知りながら妊娠できなかった理由だというのもわかっている。
 息子が軍人になる事を望み、手元から飛び立っていってやっと、彼女は夫にその思いを打ち明けた。ギルバートは泣きながら何度も彼女を抱き締め、『お前のせいじゃない、ちゃんとジャックは幸せだ』と慰め続けた。犯した罪を償う事など出来なかったけれど、新しい命を望んでもいいのだと ─── そう思い直して、彼女は娘を産んだ。自分によく似た、栗色の髪の子供を。
「ジャン、許して……っ」
「母さん…」
 アイリーンは息子の金髪を胸に抱き締めて泣き続けた。もう二度と、消息すらつかめないだろうと諦めていた弟の死と、けれど確かに彼が笑って生きられたのだという事を知って。
「ミズ・アイリーン。ハボックは自分の事を誰からも愛されない、必要とされない子供だったといつも卑下していました。家族の中に一人紛れ込んだ異分子で、常に疎まれ続けて小さく小さくなって生きてきたと ─── けれど貴女は、彼の為に泣いてくれた……彼の死を、惜しんでくれた」
 ロイはそっと彼女の手を取った。日々の生活に荒れ、優美さなど全くないそれを、慈しむように包み込む。
「マスタング大佐…」
「どうか、貴女の手で、彼の墓標に花を手向けては頂けませんか?」
 思いがけない申し出に、アイリーンは涙に濡れた鳶色の瞳を瞠った。
「私に、その資格がありますか?」
「ええ」
 柔らかく微笑して、ロイは傍らの部下の掌に彼女の手をそっと重ねた。
「お前も、一緒に来るか?」
「………は、いっ…」
 ひどい言葉で彼を侮辱してしまった自分を、ロイは許してくれるのだろうか?
「お前はハボックの望む『金の子供』そのものだったよ、カーティス」
 柔らかく髪を混ぜ返されて、彼はようやく自分が泣いている事に気付いた。



 丘の上の小さな白い墓標。夕陽が長い影を作る中、三人はその前で静かに佇んでいた。
「…ジャン。私の小さな弟」
 思い出の中の彼は、今も甘いミルクの香りを纏わりつかせた赤ん坊で。天使のような笑顔だけが、瞼の裏に蘇る。彼女の指を懸命に握り締めた小さな小さな掌の感触と共に。
 両手一杯の小さな白い花束を墓標に添えて、彼女はいつまでも肩を振るわせ続けた。傍らの金髪の息子が、そんな彼女を優しく抱き締める。日が落ち、残照の最後のひとかけらが丘の向うに消えるまで、ロイはそれを黙って見守っていた。


* * *


「もう行くのか?」
「はい」
 ジャクリーン・カーティスは、アルエゴと国境を接する紛争地帯への異動を志願した。まだ未熟な部下の決意にホークアイはかなり渋い顔をしたのだが、ロイは黙ってそれを受け入れた。
「カーティス准尉」
「次にお会いする時は、もう准尉じゃありません」
「そうね。期待しているわ」
 背が伸びた。赴任した当初はまだ少年っぽい身体つきだったが、半年たった今では見違えるように骨太になり、彼は着実に大人の男の仲間入りをしようとしていた。どこか子供っぽさの残っていた頬の線も無駄が綺麗に削ぎ落とされ、シャープな印象を与えるようになった ─── そのくせ青い垂れ眼だけが、妙に甘さを残している。もう数年経てば、黙っていても女達が振り返るような男になるだろう。
「生きて戻って来い、カーティス」
 早く一人前になりたかった。この人の為に、思う存分働きたかった。未熟な今のままでは、叶えられない目標を持ってしまったから。だから今は、東方ここを離れる。
「 ─── Yes, Sir!」

 青年は、そうして自分の新しい戦場に旅立っていった。


−FIN−



完結した物語に勝手に続編をつけたことに関しては賛否両論あると思いますが、これは私の、『菫青石の恋』のハボックに対するありったけの想いです。どうしても、彼の為に涙する肉親がいて欲しかったんです。
それから便宜上カーティスと名付けましたが、ジャック(ジャクリーン)のモデルはハボロイのハボックです。オリキャラではなく、ハボックとして書きました。菫のハボックがどんどん儚く華奢になっていったのに対して、彼はこれから急激に成長して、大人の男になっていきます。目標を見つけてしまったから。そうしてロイの元に戻ってきて、彼を支える部下になってほしいと思いながらラストを締めました。
三次創作したいと言う我侭を快く聞き届けてくださったみつきさん、素敵な機会をありがとうございます。

蛇足ながら『家の中にいる許された子供』は、萩尾望都の『訪問者』からイメージを頂きました。や、もうオスカー大好きです。本編よりあの番外編が好きだった。 亮水瀬

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水瀬さんから「Another ending」の続きのお話を頂きました。当初から「菫」のハボックをとても気に入って下さっていて、ですから「続きを書きたい」というお申し出を頂いた時には「おおv」って感じでした。水瀬さんの書くお話は以前からとても好きでしたので水瀬さんならお任せしてもよいかなと続きをお願いしました。彼女にお願いしたのは一つだけ、「どんな形でも例え一瞬でもロイが誰かに心を惹かれるのはナシで」ってことだけでした。勿論ソッコー否定されましたけども(笑)そうして書いてくださったのがこのお話。正直第1章から泣きそうで最後の章ではボロボロ泣いてしまいました。水瀬さんのおかげで「可哀想な子供」だったハボが救われたような気がします。ロイもカーティスもアイリーンもとても魅力的で気持ちの描写が細やかで本当に素敵なお話でした。水瀬さんに書いて頂いて本当によかったと思います。水瀬さん、ありがとうございました。