黒スグリ姫26


「せんぱぁいっ!」
 銀時計で時間を確かめた時呼ぶ声が聞こえて、ロイは視線を上げる。そうすればハボックが手を振って駆け寄ってきた。
「ご、ごめんなさい……っ、おそく、なっちゃって……ッ」
 ハアハアと弾む息の合間にハボックが謝罪の言葉を口にする。膝に手をあて前屈みになったハボックの半ば酸欠のような状態に、ロイは笑みを浮かべて言った。
「まだ間に合うから心配するな。それより大丈夫か?」
「へ、平気っス……」
「あんまり平気そうじゃないな」
 ゼイゼイと必死に空気を取り込もうとする様はとても苦しそうだ。それでもロイが優しく背を撫でていればやがて落ち着いてきて、ハボックはにっこりと笑った。
「すんません、もう大丈夫っス」
「そうか?じゃあ行こうか」
 ロイは言ってあらかじめ買っていた映画のチケットを差し出す。「ありがとうございます」と言って受け取るハボックが着ているTシャツを見て、ロイは首を傾げた。
「珍しいな、お前がそんなシャツを着るなんて」
 ハボックが着ているTシャツはよく似合っているし趣味もいい。だが、普段ハボックが好んで着ているものとは感じが違っていると思えて、ポップコーンを買う列に並びながらロイは尋ねた。
「ああ、これ。ヒューズ先輩が買ってくれたんス」
「────は?ヒューズが?」
「あ、先輩っ、オレ、ちょっとトイレ行ってきてもいいっスか?」
「おい、ヒューズが買ってくれたって、それはどういう────」
「ポップコーン、お願いしますッ!」
「あ、こらっ、ハボックッ!!」
 ロイが止めるのも構わずハボックはトイレに走っていってしまう。慌てて追いかけようとしたものの丁度順番が回ってきて、ロイは気になりながらも仕方なしにポップコーンと二人分の飲み物を買った。
「ヒューズが買ってくれたって?なんでヒューズがハボックにッ?!」
 確かにヒューズはハボックを可愛がっているし、ハボックもヒューズに懐いている。悔しいがそれは事実だしその事をとやかく言うのはやめようと思っている。だが、服を買うとなると話は別だ。ジュースを買ってやる位ならともかく、身につけるものを自分以外の男がハボックに贈るなど、たとえそれが親友だろうと許せる筈がない。
 一体どうしてそんなことになったのか、ハボックに問い質そうとロイが苛々しながら待っていると開幕を知らせる曲が流れた。
「ごめんなさいッ、お待たせしましたッ!先輩はトイレ平気?」
「ああ、大丈夫だが、そんなことよりハボック!ヒューズがTシャツを買ってくれたって、一体どういう────」
「先輩!早くしないともう始まっちゃう!」
 問い質そうと言いかけたロイの言葉を遮って、ハボックが ロイの腕を引く。仕方なしにシアター6と書かれた劇場に入って席についたところで、ロイは改めてハボックに尋ねた。
「ハボック、そのTシャツだが、ヒューズに買ってもらったって一体どうしてそんな事に────」
「よかった!まだこれからだ!よかったっスね、先輩!」
「あ、ああ。そうだな」
 ニコッと笑って言われて、ロイは思わず頷いてしまう。ハボックの手にコーラのコップを渡して自分はアイスコーヒーを啜ったロイは、ハッとして言った。
「いや、だからな、ハボック!そのTシャツ────」
「シーッ、始まった、先輩!」
 だが、今度は上映が始まってしまってロイはウッと口を噤む。いつものように映画が始まれば忽ちその世界に入り込んでしまうハボックにそれ以上尋ねる事が出来ず、ロイは苛々として爪を噛んだ。
(ヒューズがハボックにTシャツをッ?)
(一体いつの間にそんな仲になったんだッ?)
(ヒューズの奴、私に断りもなくハボックに服を贈るなんてッ!)
(幾らヒューズでも赦せんぞッ!いや、ヒューズだからこそ赦せんッ!)
(ハボックもハボックだッ!私というものがありながら他の男からプレゼントを受け取るとはッ!)
(あまつさえその服をデートに着てくるなんて、幾らハボックがニブイとはいえ私をなんだと思ってるんだッ!!)
(ヒューズ〜〜〜ッッ!!あんのクソ髭ッ!!)
 とにかくもう、ハボックがヒューズからもらったTシャツを着ていると言うことが気になって、ロイの頭の中はその事だけでいっぱいだ。苛立ちに任せてコーヒーをゴクゴクと飲みポップコーンをバクバクと食べても映画はなかなか終わらず、思わず席を蹴って立ち上がりそうになる体をロイは最後の理性の欠片で何とかシートに押さえつけた。
 そうこうするうちに漸くスクリーンにエンドロールが流れる。ぞろぞろと出口に向かう人の流れに混じりながら前を行く客の尻をさっさと行けと蹴飛ばしたくなる気持ちを必死に押さえて外に出た途端、ロイはハボックの腕をむんずと掴んだ。
「おいっ、ハボックッ!Tシャツをヒューズに貰ったってどう言うことだッ!?」
「へ?」
 映画の余韻に浸っていたハボックは、突然大声で問い質されて目を丸くする。一体なにをそんなに目くじらたてているのだろうと思いながらも、ハボックは手にした袋からタンクトップを取り出した。
「よく意味が判んないんスけど、オレがこのタンクトップ着てたらヒューズ先輩が“ロイの下半身を刺激するな”とか“他の男の下半身も刺激しまくりだ”とか訳判んない事言って、Tシャツ買って着替えろって」
「は?」
「ねぇ、このタンクトップ、いいっしょ?すげぇ気に入って買って、絶対先輩とのデートで着ていこうって着てきたのに、ヒューズ先輩に着替えさせられたんスよ?酷いと思わないっスか?」
 そう言ってハボックが広げたタンクトップをロイはまじまじと見つめる。襟刳りといい袖口といい開口部が大きいタンクトップを見て、ロイはヒューズの言わんとしていることを察した。
「なるほど……そういうことか」
「えっ?なに?このタンクトップよくないっスか?」
 ボソリとロイが呟いた言葉をよく聞き取れないハボックが手にしたタンクトップを見てがっかりと肩を落とす。「いいと思ったのになぁ……」としょんぼりするハボックに、ロイは慌てて言った。
「そんな事ないよ、ハボック。とてもいい柄だし、きっとお前に似合うだろうな。でも」
 と、ロイはハボックに顔を寄せる。
「他の奴には見せたくないから私と二人きりの時に着てくれないか?」
「えっ?」
「このタンクトップを着た可愛いお前は私だけが見ていたいんだ」
 いいだろう?と優しく囁かれてハボックは真っ赤になる。
「せっ、先輩ってば馬鹿じゃないのッ」
「馬鹿でもなんでもそうしたいんだよ」
「…………先輩がそう言うならそれでもいいけどッ」
「ありがとう、ハボック」
 真っ赤な顔で頷くハボックを引き寄せて頬にキスを落としながら。
(クソ髭なんて言って悪かった!感謝するぞ、ヒューズっ)
 心の中でヒューズに詫びるロイだった。


2015/08/16


黒スグリ姫27