黒スグリ姫24


「ほら、さっさと入れ」
 玄関の鍵を開けながらロイはハボックを促す。開いた扉から中に入ろうとしてハボックは足を止めた。
「どうした?」
「床、濡れちゃうっス」
 頭のてっぺんから爪先までずぶ濡れだ。服はぐっしょりと水を含み、靴の中では足が水に浸かっている状態では床を濡らしてしまう事確実だった。
「構わん、フローリングだから拭けば大丈夫だ。気にしなくていいから早く風呂場に行け」
 苛々とした調子で言われて首を竦めたハボックは、爪先立ちで廊下を歩いて洗面所に向かう。ロイが「着替えは出しておくから」と言うのに頷いて、浴室に消えた。
「まったく……」
 ハアとため息をついたロイは背後から聞こえた笑い声に眉を顰めて振り向く。可笑しそうにクスクスと笑う髭面を睨んでロイは言った。
「なんでお前がここにいるんだ?」
「だって今から家に帰ってたら試合始まっちまうだろ?」
「知るか、とっとと帰れ」
「えーっ、ロイくん、冷たいッ」
 俺も一緒に試合みたい〜ッと握り締めた両手を口元に当てて強請る男は捨て置いて、ロイは奥の部屋からハボックが着られそうな服を選んで持ってくると、新しい下着とタオルを一緒にして洗面所の脱衣籠の中におく。ハボックが脱いだものを乾燥機つきの洗濯機に放り込み、洗剤を入れてスイッチを押した。扉の向こうでザーザーとシャワーの音がして人影が動いている方へ向きそうになる視線を何とか引き戻して洗面所から出る。リビングに戻れば、さっさとソファーに陣取ったヒューズが肩越しに振り向いて言った。
「しっかしさっきのアレはヤバかったな。シャツもハーフパンツも濡れて肌にべったり貼り付いててさ」
 そう言うヒューズの言葉にロイの脳裏にさっき見た光景が浮かぶ。降りしきる雨の中、全身に水を纏って走るハボックの姿を見た瞬間、ロイは息が止まるかと思った。
「シャツは透けるしハーフパンツも尻の形がこう……くっきりって言うか割れ目まで見える感じ?素っ裸よりヤラシかったよな」
 そんな事を言いながらヒューズが手で宙にハボックの体の線を描くのを見てロイは思いきり顔を顰める。射殺しそうな視線でニヤニヤと笑う髭面を睨んで言った。
「今すぐお前の腐った脳味噌からその映像を消せ。さもなければ燃やす」
「えー、そんなの無理に決まってんじゃん。くっきりハッキリ残ってるもんッ」
「ヒューズ、貴様」
「それに」
 近づいてきたロイにズイと顔を寄せられ襟首を掴まれてもヒューズは平然として続ける。
「あの時お姫さま見てたの、俺らだけじゃないだろ?」
「ッ」
 そう言われてロイはあの時ハボックを見ていた輩が他にもいたのを思い出した。そんな奴らの視線にほんの一時(いっとき)でも晒していたくなくて上着を着せ家に来いと誘ったのだ。
「お姫さまにも困ったもんだな、自分が他人の目にどう映ってるかなんてこれっぽっちも――」
 肩を竦めてやれやれと言う体(てい)で話していたヒューズの言葉が不自然に途切れる。眼鏡の奥の目を見開き「わお……」と呟くヒューズの視線の先に目をやったロイは、バタバタとリビングに飛び込んできたハボックの姿に息を飲んだ。
「もう試合始まっちゃったっスかッ?」
 髪もろくに拭かずに金色の髪からポタポタと雫を垂らすハボックはロイが用意したシャツだけを羽織っている。シャツの裾からは剥き出しの脚が伸びて、すんなりとした脚を惜しげもなく晒したハボックはソファーの前で口をあんぐりと開けた二人の様子には全く気づかずにぽすんとソファーに腰を落とした。
「よかった!間に合った!」
 まだ試合前の選手の映像を流すテレビを見て、ハボックがホッとしたように言う。固まっていたロイはその声にハッと我に返った。
「おいッ!ズボンはどうしたッ?置いてあったろうッ?」
「先輩の服デカイんスもん。シャツだって、ほら」
 そう言って両腕を広げて見せるハボックの体には確かにロイのシャツは大きい。短いワンピースのようになっているシャツの袖を捲り上げながらハボックは言った。
「ズボンなんて長くて足出ないし転んじゃう」
「裾を捲ればいいだろうッ!」
「えー、メンドクサイっス。試合始まっちゃうし……あっ、ほら!始まった!ヒューズ先輩っ、始まったっスよ!早く、早く!」
「えっ?あ、ああ」
 ポンポンとソファーを叩いて急かすハボックに答えながらヒューズはチラリとロイを見る。ムッと唇を引き結び目を吊り上げているロイからそろそろと目を逸らして、ヒューズはハボックから少し離れてソファーに座った。
「あー……、ハボック、ズボンは穿いた方がいいんじゃねぇか?風邪ひくぜ?」
「平気っス、この部屋寒くないし。あっ、ほらほらッ!いきなりキターッ!」
 ヒューズの言葉などろくに耳を貸さず、ハボックは既に試合に夢中だ。興奮して体を動かすたびシャツが捲れ上がって脚の付け根がチラチラと覗いた。
「ハボックッ!いいからズボンを」
「あーッ、惜しいッ」
 張り上げたロイの言葉を掻き消すように大声を上げたハボックが前のめりになっていた体を勢いよくソファーの背に預ける。その拍子にシャツが大きく捲れた。
「ッッ」
「わあ」
 ロイが目を剥きヒューズが間の抜けた声を上げる。がっかりとため息をついたハボックが二人の顔を見て不思議そうに首を傾げた。
「どうかしたんスか?先輩」
「どうかしたかもなにも」
 全く気づいた様子もなくキョトンとするハボックにヒューズがげんなりとため息をつく。手を伸ばしてシャツを引っ張ってやりながら言った。
「お姫さまはやんちゃでいらっしゃるからズボン穿こうな」
「え?」
「ロイくん、ズボン」
「――――」
 言われてロイは無言で持ってきたズボンを投げつける。片手でそれを受け取ったヒューズはハボックに穿くように手渡して立ち上がった。
「苦労するな、お前も」
「――今日だけで血圧が一気に上がった気がする……」
 気の毒そうに言うヒューズにロイはガックリと肩を落とす。
「ヒューズ先輩ッ!試合見ないんスかぁ?」
 そんなロイの心境などまるで気づかずヒューズを呼ぶハボックの声に、疲れ切った顔を見合せる二人だった。


2015/06/18


黒スグリ姫25