猫語レッスン  第三章


 ロイが手を振り払うと同時に目の前のねこじゃらしはヒョイとロイの手をかわしてしまう。空を切った猫手に、ロイはムッとして少し上で揺れるねこじゃらしに猫パンチを繰り出した。だが、パンチが当たる寸前、ねこじゃらしはスッと右手に身をよける。
「〜〜〜〜ッッ!!」
 キーッとなったロイはソファーから身を乗り出すようにしてあちこちに逃げ回るねこじゃらしをおいかけた。ロイを誘うように空中でフリフリと揺れる塊に思い切り手を伸ばす。次の瞬間、ロイはふわりと身体が宙に浮くのを感じた。
「え?」
「ロイ!」
 あっと思った瞬間、ロイはソファーから落ちてしたたかに肩を打ちつけてしまう。ねこじゃらしでロイを煽っていたハボックは驚いて手を伸ばした。
「大丈夫っスか?もう、ロイってばそんなにこれが気に入るなんて」
 やっぱり猫っスねぇ、などとのんびりと言いながらロイを抱き起こす。ロイはキッとハボックを睨むと言った。
「誰が気に入るもんかッ!もうこんなアホな罰ゲームなんてやってらんッ!終わりだ、終わりッ!!」
 ハボックの腕を振り払ってロイは怒鳴ると猫耳カチューシャを毟り取る。だが、次の瞬間聞こえたハボックの声に投げつけようとした手をピタリと止めた。
「へーっ、約束破るんスか、ロイ。焔の錬金術師って大したことないんスね」
「なん…ッ」
「いや、べつにいいんスけどね。でも、たった一日猫の格好して猫語しゃべってっていうだけなのに、もう音を上げちゃうなんて、ふーん、そうなんだ、ふーん」
「………ッ!!」
 わざとらしく顔をそっぽ向け、視線だけでチラチラと見ながらそう言うハボックにロイはギリと歯を鳴らす。手にしたカチューシャをグイと被ると言った。
「ニャニャにゃんニャにゃんッ!!(これでいいんだろうッ!!)」
 そう叫ぶとソファーの上に上がり込み丸くなる。ハボックはそんなロイにニカリと笑うと丸まるロイの隣に腰を下ろした。
「ローイ」
 そう呼んで手にしたねこじゃらしを鼻先で揺する。ロイはギュッと引き瞑っていた目を薄く開いたが、フンとそっぽを向くと再び目を瞑ってしまった。
「もう、気まぐれなんだから」
「ニャ!(猫は気まぐれなもんだ)」
 一声叫んで無視を決め込むロイに、ハボックは苦笑するとねこじゃらしをおいて立ち上がる。そのままキッチンにいく背を見送ってロイはホッとため息をついた。
(くそう、ついムキになってしまった……)
 あそこでなんと言われようとやめとけばよかったのだ。だが、ああ言われてしまうとどうしても引けなくなってしまう。
(ああ、一日が長い………)
 ロイは壁の時計を見上げて、げんなりとため息をついたのだった。

「ロイ、昼飯できたっスよ」
 結局またソファーでうつらうつらしていたロイの耳にハボックの声が聞こえる。のそりと身を起こせばチャーハンの皿を持ったハボックの姿が目に入った。
「ニャニャにゃん(まともだ…)」
 もしかしてキャットフードでも出されるのではないかとちょっぴり心配していたのだが、さすがにその辺の常識はハボックにもあったようだ。一瞬とはいえそんな事を思ってしまった事をハボックにすまないとロイが思った時。
「はい、ロイの分はこれね」
 ハボックはそう言ってソファーの前のテーブルの上ではなくその隣の床に持っていた皿を置く。置かれた皿をよくよくみれば、それは猫用の餌入れだった。
「にゃーーーっっ!!(なんだこれはっ!!)」
 思わずそう叫べばハボックが笑う。
「だってロイ、猫だし。あ、でもさすがに顔つっこんで食べるのは可哀想だから」
 と、ハボックはロイの前にスプーンを差し出した。
「まあほら、雰囲気だけ、ね?」
 ハボックはそう言うと自分も皿を手に床に座り込む。ロイはハボックの顔を睨んでいたがグゥと鳴った腹の虫に急かされてスプーンに手を伸ばした。だが。
「にゃっ?」
 掴もうとしたスプーンはもっこりした肉球が邪魔して上手く手を握れないため床へと落ちてしまう。何度か拾おうとしたロイは、伸びてきたハボックの手がスプーンを拾い上げるのを悔しそうに見た。
「意外と猫手って不器用っスね。んじゃオレが食べさせてあげますよ」
 ハボックはそう言って餌入れからチャーハンを掬う。悔しそうに睨んでくるロイを見てハボックはクスクスと笑った。
「ふふ、不器用な子猫ちゃんの飯の世話してるみたいっスね。はい、ロイ、あーん」
 そう言って差し出されるスプーンにロイは真っ赤になる。次の瞬間大きく息を吸うと餌入れに顔を突っ込んだ。
「ええッ?ちょ……ロイっ?!」
 驚きの声を上げるハボックにザマアミロと溜飲を下げてガツガツをチャーハンを食べてしまうと、ロイは顔を上げてプハァと息をついた。びっくり眼でロイを見ていたハボックはどんなもんだと流し目をくれるロイにプッと吹き出す。チャーハンの米粒を顔中にくっつけたロイに手を伸ばして米粒をとってやりながら言った。
「まったく、アンタって人は」
 負けず嫌いなんだから、と言いながらもハボックは酷く楽しそうだ。大人しくハボックが米粒を取るに任せていたロイは次の瞬間ヒョイと抱えあげられて目を丸くした。
「ニャっ?!」
「汚れちゃったから綺麗にしてあげます」
 そう言われてみれば考えなしに顔を突っ込んだので天鵞絨のシャツにまで米粒が飛んでいる。ハボックはロイを抱えたまま立ち上がるとリビングを出ていった。てっきり部屋で着替えるのかと思いきや浴室へ向かうハボックにロイは目を丸くする。さっさと中へ入るとシャツを脱がせにかかるハボックにロイは思い切り暴れた。
「ニャニャニャニャーーーーーッッ!!(何するんだッッ!!)」
「ああもう、暴れないで。自分の猫を綺麗にしてあげるのは飼い主の役目っしょ?」
「にゃんにゃニャニャ、ニャニャニャーーーーっっ!(そんな必要ないッッ!!)」
 ロイは大声で怒鳴ると両方の猫手をハボックのムギュと押しつける。柔らかい肉球でムギュムギュと顔を押されてハボックは思わずロイから手を離した。
「あっ、ロイ!」
「にゃっ!ニャニャッ!!(馬鹿っ!変態ッ!!)」
 ロイはそう叫んで浴室を飛び出していく。
「もう、ロイってば」
 ため息をついて立ち上がったハボックはニンマリと笑った。
「風呂嫌いなんて、ますます猫っぽいなぁ」
 そう言ってとことん猫ロイを楽しむハボックだった。

 浴室から飛び出したロイはそのままの勢いで玄関に突進する。家から飛び出そうとしたロイは、玄関先の姿見に映った己の姿にハタと立ち止まった。
(いかん、この格好で外へ出たら変態と思われてしまうっ)
 自分は罰ゲームで仕方なしにこんな阿呆な格好をしているのだが、外を行き交う人々にはそんな事は判らない。ロイはチッと舌を鳴らすと方向転換して中庭に飛び出した。
(とにかくハボックと距離を置くのが一番だ)
 どうにもハボックはこの状況をとことん楽しむつもりらしい。いくら罰ゲームとはいえこれ以上つき合っていられるかと、ロイは必死に隠れ場所を探すのだった。

「ロイー」
 ハボックはねこじゃらしを手にロイの姿を探す。あの格好で外へ出ていくことは考えられなかったから、ハボックは特に焦ってはいなかった。
「もう、益々やること猫なんだから」
 ハボックは楽しそうにそう言いながら階段に向かう。二階へと上がろうとして中庭に出る扉が透いていることに気づいた。
「ふぅん」
 ハボックはそう呟いて笑みを浮かべると庭へと出ていく。植木の陰や物置の中を覗いて歩いていたハボックは、不意にクシッと聞こえたくしゃみに下へ向けていた視線を上げた。そうすれば木の枝にしがみついているロイと目が合う。暫く黙ったまま互いを見つめあっていたが、次の瞬間ハボックはプッと吹き出した。
「ア、アンタってマジおかし〜〜ッッ」
「にゃっ、ニャーッ!!」
 言って腹を抱えて笑うハボックを、枝の上のロイは真っ赤になって睨みつけていたのだった。


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