chapter 26


 一気に階段を駆け上がったロイは勢いよく屋上の扉を開ける。そうすれば屋上の手すりを乗り越えて中に降り立ったハボックの姿が目に飛び込んできた。バンッと扉を叩きつける音にハボックがハッとして顔を上げる。そのまん丸に見開かれた空色の瞳に、ロイは怒りが沸点に達してドカドカと靴音も荒くハボックに近づいた。
「貴様ッ、これはどういう意味だッ?!」
 そう言って手にした辞表でハボックの胸を叩く。そうすればハボックは一瞬泣きそうに顔を歪めたものの、唇を噛むとキッとロイを見て言った。
「どういう、って……それに書いてある通りの意味っスけど」
「逃げる、ということか?」
「は?人聞きの悪い事言わんで下さい。別に逃げるとか、そう言うんじゃないっス!」
 精一杯の虚勢を張ってハボックは言い返す。ロイは見開いた目で必死に睨んでくるハボックをじっと見つめて言った。
「では、どう言うことだ?もう私の部下でいることが嫌になったという事か?もはや私の背中は守るに値しないと?」
「そんなんじゃねぇッ!!」
「だったらなんだ?」
 ロイの言葉を否定すれば畳みかけるように尋ねられてハボックは黙り込む。返す言葉を見つけられずにうろうろと視線をさまよわせるハボックを見てロイは言った。
「中尉に“お幸せに”と言ったそうだな、それはどういう意味だ?」
 そう聞かれてハボックがハッとしてロイを見る。ハボックはじっと見つめてくるロイを黙ったまま見返していたが、やがてポツリと言った。
「結婚するんでしょ?中尉と」
「中尉が結婚するのか?初耳だな」
 聞きたくはなかったが仕方なしに尋ねれば返ってきたロイの言葉にハボックは目を吊り上げる。
「ふざけないでください。大佐、中尉と結婚するんしょ?オレもう辞めるんだし、隠さなくたっていいっス!」
「隠すもなにも、どうして私が中尉と結婚しなきゃならないんだ」
 ハボックが言えば、心底判らないと言うようにロイが眉を寄せた。そんなロイの表情にハボックは苛立ちと哀しみが交錯して声を張り上げる。
「いい加減にして下さいっ!そりゃ、オレ、二人の結婚、素直におめでとうなんて言えないっスけど、だからって隠さなくたって…ッッ!!」
 ギュッと縋るように屋上の手すりを片手で握り締めてハボックは怒鳴った。思いがけず大きくなってしまった声に、ハッとして口を閉ざすハボックをロイはじっと見つめる。黙り込んでしまったハボックを見つめながらロイは言った。
「素直におめでとうと言えないのは何故だ?お前が軍を辞めるのと関係があるというのか?」
 そう聞かれてもハボックは答えられない。なにも言わないハボックを見つめたままロイは続けた。
「中尉が好きか?ハボック」
「違…ッ!オレが好きなのは大───」
 思いもしない事を尋ねられてハボックは反射的に言い返す。言いかけた言葉を咄嗟に飲み込めばロイがハボックの胸倉を掴んだ。
「お前が好きなのは?言え、ハボック」
 そう言う苛烈な瞳にハボックは言うべき言葉を失ってしまう。ギュッと唇を噛んでふるふると首を振るハボックにロイは言った。
「お前が言えないと言うなら私の方から言おう」
「聞きたくないっス!!」
 ロイの言葉にハボックは反射的に叫んでしまう。例え判りきっている事とはいえ、ロイの口から決定的な言葉は聞きたくなかった。その唇からホークアイへの想いなど聞かされたら今度こそ本気でここから飛び降りなくてはならないだろう。そう思って必死に首を振るハボックにロイは苦笑した。
「いいから聞け」
「ヤダっ」
 子供のようなハボックの様子にロイは笑みを浮かべる。
「どうしても聞きたくないと言うなら目を閉じておけ」
 聞きたくないなら普通耳を塞ぐものではないだろうか。ふとそんな疑問が頭を掠めたものの、深く考える余裕もなくハボックは言われるまま目を閉じる。ギュッと力を込めて目を瞑るハボックをロイは胸倉を掴んだ手で引き寄せた。グイと引き寄せられてバランスを崩しかけたハボックは、慌てて手すりを掴んでいた手に力を込める。その手に意識がいった瞬間、唇に押しつけられた柔らかい感触にハボックは身を強張らせた。
(……え?)
 そのまま動かずにいれば更に強く押しつけられ、息苦しさに唇を開く。そうすれば歯列を割って押し入ってきた濡れたものにハボックは驚いて閉じていた目を開けた。
(え?)
 目を開けた視界に飛び込んでくるのは焦点が合わないほど近づいたロイの顔。口内に押し入ってきたのがロイの舌だと気づいたハボックがロイを突き飛ばすより早く、ロイはハボックの体を手すりに押しつけ更に深く口づけた。
「んっ?!んん───ッッ!!」
 逃れようとすればするほど唇は深く合わさってくる。長く貪るような口づけにハボックの体がガクンとくずおれて、ロイは慌ててその長身を支えた。
「な……ん……」
 まん丸に見開かれる空色の瞳。その瞳を間近で覗き込みながらロイは言った。
「私が好きなのはお前だ、判ったか」
 言ってニヤリと笑えばハボックがポカンとする。そのまま何も言わないハボックにロイが心配になって「聞こえてるか?」と尋ねれば、ハボックが飛び上がった。
「なっ、何でッ?大佐が好きなのは中尉っしょッ?」
「いつ私がそんなことを言った?」
「だって好きな人がいるっていったじゃないっスか!」
「自分のことだとは思わなかったのか?」
 そんな事を言われても、普段から男などお断りだと聞かされ続けてきたのだ。それにあの夜見た光景を思い出せば尚の事ロイが好きなのはホークアイだと思えた。
「でも、大佐、中尉を家に呼んでたじゃないっスか」
「中尉を?」
「オレ、見たんスよ?大佐が中尉と一緒に家に入ってくとこ」
 普段どんな女性であっても決してプライベートな空間に入れようとしなかったロイが家に入れたのだ。それだけでもホークアイが特別だと言っているようなものだとハボックが唇を噛み締めれば、ロイがああと肩を竦めて言った。
「ああ、あの時か。あれは中尉にお前との事をどうしたらいいか相談してたんだ」
「へ?オレとのこと?」
「お前が好きなんだがどうしたらいいだろう、ってな」
 そう言えばハボックがポカンとする。
「さっさと告白しろと言われたよ」
 ロイはそう言ってハボックの瞳を覗き込んだ。
「お前が好きだ、ハボック。お前は?」
 その言葉にハボックの顔が見る見るうちに真っ赤になった。
「や、オレはっ、そのッ!」
「オレは何だ、はっきり言わんか」
「ちっ、近いっス!たいさっ!」
 ズイと近づいてくるロイの顔をハボックは押し返す。押し返した手に巻かれた包帯を見て咄嗟に叫んだ。
「手!手の包帯が取れたら言いますッ!!」
 真っ赤な顔で叫ぶハボックにロイは一瞬目を丸くしたが、フンと鼻を鳴らして笑う。
「包帯が取れたら?……いいだろう、それまで待ってやる。その代わり辞表は破棄するからな」
「……っ、は、い…っ」
「それと、これは約束代わりだ」
「え?」
 ロイは言ってハボックをグイと引き寄せる。唇が触れる寸前、ニヤリと笑って言った。
「嫌なら三秒以内に突き飛ばせ。1…2…」
「えっ、あ…っ」
「3」
 言うと同時にロイはハボックに口づける。思うままハボックの唇を貪ったロイはハボックを離して言った。
「よし。そうと決まったらさっさと詰め所に行ってこい。軍曹が苛々して待ってるぞ。その後中尉たちにも謝っておけ、いいな、少尉」
「ッ、イエッサー!」
 反射的に敬礼を返したものの、情けなく眉を下げるハボックにロイが言う。
「行け、ハボック」
 言って笑うロイの顔がいつもと変わりない事に気づいて、ハボックの顔にも安堵の笑みが浮かんだ。
「はいっ、大佐!」
 そう言って身を翻すハボックの背を、ロイは愛しそうに笑って見送ったのだった。


2010/05/27