| My sweet little shop |
| 「バレンタインデーか……」 早めに仕事を終えての帰り道、通りを歩いていたロイは、あちこちの店先を飾るバレンタインの文字を見て呟く。足を止めて紅いハートやリボンと共に店先にディスプレイされたチョコレートを眺めたロイは、小さくため息を零した。 毎年この時期、ロイは沢山のチョコを貰う。仕事上の儀礼的なチョコも本気のチョコも、ロイはきちんとお返しをするのをモットーとしていた。仕事上の付き合いの相手には今後も仕事がスムーズに進むように、本気のチョコを贈ってくれた相手には感謝の気持ちと丁重なお断りを添えて。一つたりと無碍な扱いをしないロイの元には年を追うごとに贈られるチョコが増えて、最近では膨大な量になっている。正直こんな面倒な風習はなくしてくれまいかと本気で思うほどで、ロイはショーケースに並んだチョコを半ば恨めしげに見つめた。 「今年は少し早めに用意するかなぁ」 バレンタインからホワイトデーまでの一ヶ月。段ボールに詰め込まれたチョコの相手をチェックしてお返しを用意する。正直それはもの凄い手間で、一ヶ月の限られた時間で処理するのは至難の業だ。どうせ貰うのは判っているのだから、それならいっそのこと先に用意してしまうのでもいいのではないかとロイは思った。 「とはいえこのシーズン、店にあるのはチョコレートばかりだしなぁ」 バレンタインデー前なのだから当然のこととはいえ、どの洋菓子店もあるのはチョコレートばかりだ。流石にバレンタイン用のチョコをそのお返しに用意するわけにはいかず、ロイは横目で店先を眺めながらゆっくりと通りを歩いていった。 「いい考えだと思ったんだが」 ロイはそう呟きながら丁度通りかかった角を曲がる。そう言えばこっちの方へはあまり来たことがなかったなと思いながら歩いていたロイは、小さな洋菓子店を見つけて足を止めた。 「こんなところにこんな店があったのか」 店先に出された店名を刻んだ小さなボードには季節の花が飾ってある。入口のポーチの屋根は空色の布張りで、扉のガラス越し中を覗けば、商品を並べてあるショーケースや店の中の飾りも同じ空色を基調に統一してあるようだった。空を思わせる綺麗な空色に惹かれて、ロイは店の扉を押し開ける。カランとドアベルが鳴る音にショーケースの中にケーキを並べていた男が顔を上げた。 「いらっしゃいませ」 そう言って笑みを浮かべる男の瞳が綺麗な空色であるのを見てロイは僅かに目を瞠る。見つめてくる空色に何故だかドキリとして、ロイは慌てて目を逸らすと店の中を見回した。 「バレンタインのチョコは置いてないんだな」 この時期どこの店にも並んでいるチョコレートの包みが見あたらなくてロイは言う。男はトレイの上のケーキを手早く並べてから答えた。 「お客さんのご要望を聞いて、それにあうようなチョコをお出しするようにしてるんス。こんなちっさい店にチョコ買いに来るお客さんはあんまりいないっスしね」 大量に並べてもねぇ、と苦笑するのを見てロイはクスリと笑う。ショーケースに近づくと中に並べられたケーキを眺めた。 「ここのケーキは君が?」 「ええ。作るの売るのもオレが一人でやってるっス」 そう言う男が自分より頭半分高い長身だとロイは気づく。均整のとれた大きな体に見合う大きな手と、ショーケースに並んだ繊細で可愛らしいケーキを見比べてロイは言った。 「ちょっと意外だな。こんな繊細で可愛いケーキを作るのは小さな女性だとばかり思っていたよ」 「よく言われるっス」 ロイの言葉に男が頭を掻いて笑う。人懐こい笑みを浮かべる男にロイは笑みを返して言った。 「私はロイ・マスタングだ」 「ハボック、ジャン・ハボックっス」 ハボックは空色の瞳を細めて答える。ロイはショーケースの中を覗き込んで尋ねた。 「おすすめのケーキはどれかな?」 「マスタングさん、好き嫌いはあるっスか?」 「甘いものに関しては全くないな」 きっぱりと言い切るのを聞いてハボックがクスリと笑う。ショーケースの中を指さして言った。 「そうっスね。うちのケーキで最初に食べて欲しいのはやっぱりシュークリームかな。生クリーム、自信あるんスよ?」 ふふ、と笑ってハボックが言う。 「それからこれ、結構お買い求めくださるお客さん多くて」 と指さす先のケーキは表面がしましまのストライプになっているのがかわいいケーキだ。添えてある説明書きによればレモンムースとスポンジ生地、チョコレートクリーム、そしてクッキー生地が順番に層になっているということだった。 「あんまり酸っぱすぎないし、適度な酸味が濃厚なチョコクリームと相性よくて旨いと思うっス」 「なるほど」 ハボックの説明にロイは頷く。 「それじゃあそのシュークリームとこっちのレモンムースのケーキを二つずつくれ」 「ありがとうございます。きっと奥さんも気に入ってくれると思うっスよ」 「────私は独身だが」 「えっ?わ、すんませんっ」 ケーキを取り出していたハボックはロイの言葉に驚いたように顔を上げた。 「四つも買ってくれたからご家族がいるもんだとばっかり」 「四つくらいペロリといけるぞ」 「……マスタングさん、もしかして甘いもの好きっスか?」 「悪いか?」 キッと目を吊り上げて言うロイに一瞬目を瞠ったハボックはクスクスと笑う。 「全然!ケーキ屋にとっちゃありがたい事っス。食べてみて気に入ってもらえたら、是非これからもよろしくお願いします」 笑みに顔を輝かせてそう言うハボックにロイはドキリとする。金を払って差し出されたケーキを受け取り店を出たロイは振り向いて空色の店を見遣った。 「いい店を見つけたかもな」 目を細めてそう呟くと、ロイはケーキを手に家へと帰っていった。 カランとドアベルを鳴らしてロイは店の中に入る。先客の女性がケーキを選んで店を出ていくのを待って、ロイはハボックに話しかけた。 「やあ、ハボック」 「マスタングさん!来てくれたんスか、嬉しいっス!」 満面の笑みを浮かべて歓迎されて、ロイはなんだかこそばゆい気持ちになる。 「この間のケーキ、とても美味しかったよ」 「本当っスか?よかった!」 ニコニコと嬉しそうに笑うハボックの笑顔が眩しくてロイは目を細めた。 「じゃあ今日はケーキを買いに来てくれたんスか?」 「それもあるが、実は相談したいことがあってね」 先日偶然見つけたこの店のケーキは、思った以上に美味しかった。バレンタインのお返しを早めに用意したいと思っていたロイは、ハボックならきっとロイが思うようなものを揃えてくれるに違いないと感じたのだ。 「相談?オレでお役に立てるっスか?」 「勿論だ」 小首を傾げるハボックにロイは言う。 「実はバレンタインのお返しを用意したいと思っているんだが、今この時期どこに行ってもチョコしかなくてな」 「バレンタインのお返し、っスか?でもまだバレンタイン前っスよ?」 不思議そうに言われて、ロイは苦笑しながらも事情を説明した。 「はー、なるほど。確かにアンタ、見るからにモテそうっスもんね」 「……それは褒められているととっていいのか?」 何となく素直に受け止められなくて、ロイは眉を寄せて尋ねる。そうすれば、ハボックが慌てて手を振って言った。 「勿論褒めてるっスよ!マスタングさん、男のオレから見てもイイ男っスもん」 ニコッと笑ってハボックが言う。「うーん」と腕を組んでハボックは少し考えて言った。 「早めに用意するなら焼き菓子の方が日持ちするっスね。ああ、でも注文だけ先にして貰って実際用意するのはバレンタイン過ぎてからでもいいのかな。そうすれば数の調整も出来るし」 「なるほど、言われてみればそうだな。でも、全部でなくてもいいから早めに欲しい。メッセージをつけるのが結構な手間なんだ」 眉をしかめて言うロイにハボックはクスリと笑う。 「面倒くさいと思ってるのに、メッセージは手書きなんスか?」 「それが礼儀というものだろう?」 さも当然というようにそう口にするのを聞いて、ハボックは目を瞠る。それからフッと顔を笑みに崩して言った。 「アンタがモテるわけ、判ったっスよ」 「は?どういう意味だ?」 眉を跳ね上げてそう聞いてくるロイにハボックは笑みだけを返して答えなかった。 「判ったっス。じゃあなにがいいか少し考えてみるっスから、二、三日待って貰ってもいいっスか?」 「……それは構わないが」 尋ねた事への返事とは違う言葉が返ってきて、ロイは不満そうに見つめたがハボックはそれに気づいたのか気づかないのか、ショーケースの中のケーキを示して言った。 「じゃあお返しの件はそう言うことで、ケーキ、なににするっスか?」 「あ、ああ……そうだな」 言われてロイはショーケースへ視線を向ける。 「今日のおすすめは?」 「好きそうなの選んでくれてもいいんスよ?」 「折角作った本人がいるんだ、聞いてもいいだろう?」 苦笑するハボックにそう言えば、ハボックはロイの顔をじっと見る。見つめてくる空色にドキリとしながらも平静を装っていれば、ハボックが「ふむ」と頷いて言った。 「今日のマスタングさんにはこれをおすすめするっス」 そう言ってハボックが指さした先には、ピンク色のドーム型のケーキ。 「イチゴとミルクチョコレートのムースにレモンクリームを入れてあるんス。甘くてほんのり酸っぱくて、今のマスタングさんの気分にあってるんじゃないかなって」 そんな風に言われてロイは思わず頷いた。 「確かにそんなケーキが食べたいと思っていたよ」 「お、ホントっスか?やった!」 ロイの言葉にハボックが嬉しそうに笑って拳を握る。子供っぽい表情を浮かべるハボックにロイは笑って言った。 「じゃあそれと、この間のシュークリーム。二つずつくれ」 「沢山買ってくれるのは嬉しいっスけど、ケーキばっかり食べてないでちゃんとした食事もとってくださいね」 「──う」 思わず口ごもるロイにハボックは眉を寄せた。 「やだな、マジでケーキが食事代わりっスか?」 「一人分の食事なんて作るの面倒じゃないか。会食の時にその分食っているからいいんだ」 フンと鼻を鳴らして言うのを聞いてハボックはため息をつく。注文のケーキを取り出す手を止めて言った。 「ちょっと待ってて貰えるっスか?」 「え?おい、ハボック?」 「すぐ戻るっスから」 引き留めるロイに構わずハボックは店の奥へと入っていってしまう。手持ちぶさたでロイは、小さな店の中に並べられた菓子を見て回った。 「焼き菓子も旨そうだな……」 さっきもお返しに焼き菓子はどうかと言っていた。今度自分用に買ってみようとロイが思った時、ハボックが奥から戻ってきた。 「お待たせしてすんません。これ、荷物になっちゃうけど」 そう言いながらハボックは手にしたパックを差し出す。 「晩飯用に煮込んどいたんス」 差し出されたパックを受け取り中を見れば旨そうなビーフシチューが入っていた。 「いいのか?」 「いくらうちのケーキを気に入ってくれてても、それだけじゃ栄養素足りないから。よかったら食べてください」 ニコッと笑うハボックにロイの顔にも笑みが浮かぶ。 「悪いな」 「いいえ。ケーキ、用意しますね」 ハボックは言ってケーキを手早く箱に詰めた。 「毎度ありがとうございます。お礼の件は考えておくっスから」 「ああ、よろしく頼むよ」 ロイは金を払ってケーキを受け取ると、ビーフシチューのパックと一緒に家へと持って帰った。 「ああ、もうこんな時間か」 本を読んでいたロイは棚に置かれた時計を見て呟く。うーん、と伸びをして本を置くと立ち上がってキッチンへと入った。カウンターの上に置いておいたパックの中のビーフシチューを鍋にあけて火にかける。少し待てばグツグツといい匂いが漂ってきた。皿に盛りつけパンと一緒にダイニングへと運ぶ。食卓について早速スプーンでシチューを口に運んだロイは、目を見開いて手を止めた。 「旨い」 お世辞でなく今までロイが食べた中でも絶品と言える部類の出来映えだ。 「ケーキだけでなく料理全般得意なのか。大したものだな」 感心して呟いたロイはペロリとシチューを平らげてしまう。物足りなさそうに空になった鍋の中を見つめたロイは、鍋をシンクに入れて冷蔵庫の中からケーキを取り出した。 「ふっふっふ、ケーキもあるしなっ」 嬉しそうに笑って早速イチゴとミルクチョコレートのケーキをスプーンで掬って口にする。口の中に広がる甘さに満足そうに笑みを浮かべた。 「本当に大した腕前だ」 そう言うロイの脳裏にハボックの笑顔が浮かぶ。 「どんなお返しを考えてくれるのか楽しみだ」 早くまたあの店に行きたいと思う。それがケーキを買うのが楽しみなのか、それとももっと他に理由があるのか。はっきりとは判らぬままに、ロイは甘いケーキを口に運んだ。 「バレンタインのお返しかぁ……。やっぱりフィナンシェとかマシュマロとかかな」 夕飯のビーフシチューを食べながらハボックは考える。 「ああそうだ、コンフィチュールなんかもいいかも。あ、でも重たいかな……マスタングさんに聞いてみよう」 数が多いなら瓶詰めのコンフィチュールはちょっと大変かもしれない。あげる人を選べばいいかもと、ロイに提案する事をメモに書き留めたハボックは、スプーンを手にしてシチューを口に運んだ。 「マスタングさん、食べてくれてるかな……」 独り暮らしで自分ではろくに食事の用意をしないらしいロイに、思わず作っておいたビーフシチューを渡してしまった。よくよく考えてみれば、モテるロイのこと、自分がシチューなど持たせなくても作ってくれる女性はごまんといるに違いなかった。 「余計なお世話だったかなぁ……でも」 なんだか放っておけなかったのだ。 「食べてくれたら嬉しいな……」 自分だけの為に作っていたものを他の誰かが食べてくれる。それだけのことになんだか胸が暖かくなって。 「よし、マスタングさんに喜んで貰えるように考えなくっちゃ」 そう考えるのは単純にロイに喜んで貰いたいからなのか、他に意味があるのか。 ハボックは深みに潜り込んでこうとする思考を無理矢理引き戻すと、ロイの為にお返しの菓子を考えるのだった。 「いらっしゃいませ」 ドアベルを鳴らして店の中へ入ればハボックの声が迎えてくれる。入ってきたのがロイだと判ると、ハボックの顔がパッと輝いた。 「やあ、ハボック」 「マスタングさん、お返し、考えといたっスよ」 ハボックは言いながら胸のポケットからメモ紙を取り出す。ショーケースの上にメモを置いて言った。 「日持ちの事を考えたらやっぱり焼き菓子かなって。フィナンシェとかマドレーヌとか。あとうちの店で人気あるのはマシュマロなんスけど」 「マシュマロ?なんだか子供のおやつみたいだな」 「そうっスか?でも、買っていかれるのは大人の女性っスよ」 ハボックは言って店の棚に並べてあるマシュマロを取ってくる。小さなカップに詰めてあるマシュマロは白、ピンク、赤紫という色合いがかわいらしく、確かに女性にウケそうだった。 「食べてみてくださいよ。味見味見」 「開けるなら買うぞ」 「そんなケチくさいこと」 ポケットから財布を取りだそうとするのを視線で制して、ハボックはマシュマロの口を縛ってあるリボンを解く。どうぞ、と差し出されてロイは赤紫のマシュマロを摘んで口に放り込んだ。 「────甘酸っぱい。なんだ、これ?」 「なんでしょう」 ニヤリと笑うハボックにロイは腕を組んで考える。うーん、と考え込んだロイはニヤニヤと笑うハボックを悔しそうに見たが降参と両手を上げた。 「カシスっスよ」 「ああ、そうか!どこかで食べた味だと思ったんだ。生地に果汁が練り込んであるんだな、ジャムじゃなくて」 「そうっス。ちなみにピンクのはイチゴで白いのはパッションフルーツっスよ」 「へぇ」 ロイはピンク、白と次々に口に運ぶ。どれもそれぞれの果物の味がしっかりと練り込まれてとても美味しかった。 「んー、旨い」 ロイは言いながら次から次へとマシュマロを頬張る。あっと言う間にカップ一つ分のマシュマロを食べてしまうと、物欲しげにカップの底を覗き込んだ。 「ア、アンタって……っ」 そんなロイの様子を見ていたハボックがプッと吹き出す。クスクスと笑うハボックに、ロイがムッと眉を寄せた。 「なんだ?」 「いや、ホント旨そうに食ってくれるっスね、マスタングさんって」 「本当に旨いんだから当然だろう?」 なにをバカなことを言っているんだと言いたげに見つめてくる黒曜石にハボックが空色の瞳を見開く。フッと笑みに顔を綻ばせてハボックは言った。 「ありがとうございます」 「なにを……、──本当の事を言ったまでだ」 笑みを浮かべて真っ直ぐに見つめてくる空色を見返す事が出来ずに、ロイは目を逸らしてもごもごと言う。そんなロイをじっと見つめたハボックは空になったカップを捨てた。 「マシュマロ、お返しに使うんだったら用意しますよ。ああ、あとコンフィチュールなんかもいいかなって思ったんスけど。ちょっと重いけど、あげる人を選べばいいんじゃないんスか?今ならリンゴとかイチゴになるっスけど」 「そうだな……」 カップを捨てたハボックは布巾を持ってくるとショーケースの上に零れた粉を拭う。その手の動きを見つめていたロイは不意に突き上げた衝動に駆られてハボックの手を掴んだ。 「ッ?!」 ハッと驚いたように顔を上げるハボックの丸く見開いた瞳に、吸い込まれるようにロイはハボックを見つめる。ひどく長く感じられたが実際に見つめあっていたのはほんの数秒だったろう、カタンと風が窓ガラスを揺らす音にハッとしてロイはぎこちなくハボックの手を離した。 「すまん」 「い、いえ……」 二人の間に流れる気まずい空気を振り払うようにロイは言った。 「少し考えてみるよ。頼む数もあるし」 「そうっスね。そうしてください」 ああ、と頷いてロイは店を出ていこうとする。ハボックは慌ててその背に向かって声をかけた。 「あのっ、今日はケーキいいんスかっ?ミルフィーユ、おすすめっス!」 どこか必死さの滲む声に振り向けば縋るように見つめてくる空色と目が合う。その瞳をじっと見つめ返したロイはフッと笑って答えた。 「じゃあ、ミルフィーユを二つ貰うよ。それと」 「シュークリーム二つっスね!」 「────ああ」 頷くロイにハボックがホッとしたように笑う。手早くケーキを箱に入れてロイに差し出した。 「待ってるっスから」 「なるべく早く決めて注文させて貰うよ」 「────はい」 ロイは言って今度こそ店を出ていく。カランとドアベルを鳴らして扉が閉じれば、ハボックはそっとため息を零した。 「マスタングさん……」 ハボックはロイに掴まれた手をじっと見つめる。そうすれば黒曜石の瞳が脳裏に浮かんで胸がキュンと痛くなった。 「なんでだろ……ただのお客さんじゃん」 何度かケーキを買いにきただけ。バレンタインに山ほど貰うらしいチョコレートのお返しの相談にのっただけの相手だ。それなのに気がつけば店に来てくれるのを待っていた気がする。 「こんなこと、すんなよ」 ハボックは顔を歪めて呟くと手をギュッと握り締めた。 鍵を開けて家の中に入ると、ロイは真っ直ぐキッチンに向かう。湯を沸かして紅茶を淹れ、ケーキと一緒にダイニングに運んだ。皿の上にミルフィーユを乗せる。フォークを刺すとサクッとパイ生地のいい音がして、口に運べば間に挟んだカスタードクリームとパイ生地の香ばしさ、イチゴの酸味が絶妙だった。 「旨いな」 甘いものが好きであちこちのケーキを食べ歩いた。名店と呼ばれる店のケーキやコンクールで賞をとったパティシエのケーキも食べた。だが、こんなにも旨いと思ったケーキはなかったし、だからと言って買いに行くのが楽しみでしかたないのはそれだけが理由ではない気がする。そう考えれば空色の瞳が脳裏に浮んだ。ショーケースに並んだ丹誠込めて作られたケーキを見ていたら、不意にそのケーキを作り出す手に触れたくなって、その衝動のままにハボックの手に己のそれを伸ばしてしまった。大きくて繊細な彼の手を指を、欲しいと思ってしまったのだ。 「ハボック、私は」 食べかけのケーキを見つめていたロイは緩く首を振って残りのケーキをあっという間に平らげてしまった。 その後ロイの注文を受けて、ハボックは材料の準備を始めた。粉やバター、卵にフルーツと必要なものを書き出していたハボックは小さくため息をついた。 「作りたくないな……」 無意識に零れた言葉にハボックはショックを受ける。これまで一度だってケーキを作りたくないと思ったことなどなかったのに、何故。 「オレは……」 小さく呟いてハボックは書き出したメモをくしゃくしゃと丸めてしまった。 「やあ────ハボック?」 扉を開けて店の中に入ったロイはハボックの姿を見つけて声をかける。ロイが来たのにも気づいた様子もなくぼんやりと立っているハボックをロイは不思議そうに呼んだ。 「あ……マスタングさん、いらっしゃい」 ロイがいることに今気づいたというように、ハボックが答える。いつもの明るさがまるで見られない様子にロイは眉をひそめた。 「どうした?調子が悪いのか?」 「えっ?」 言って触れてくる手にハボックがビクリと震える。互いに言葉もなく見つめあっていれば扉が開いて客が入ってきた。 「あ……いらっしゃいませ!」 ハッとしてハボックはロイの手を振り払うようにして客の方へ近づく。いつもの笑みを浮かべて客と話をするハボックの横顔をロイはじっと見つめた。そんなロイにハボックが振り向いて言った。 「マスタングさん、準備はちゃんと進んでますから。ご心配なく」 ニコッと笑ってそれだけ言うとハボックはロイに背を向けてしまう。その背を見つめていたロイは、なにも言わずに店を出ていった。 バレンタインデーの前日の夜、寝る準備をして寝室に入ろうとしたハボックは、その足を階下の店へと向ける。厨房に入ると冷蔵庫の中からビターチョコレートやフランボワーズのジュレを取り出した。 「作ったって、あげられる訳じゃないのに……」 カウンターに並べた材料を見つめてハボックは苦く呟く。それでもキュッと唇を引き結ぶと想いを込めてケーキを作り始めた。 「マスタングさん、これ貰ってくださいっ」 「……ありがとう」 真っ赤な顔で差し出されたチョコレートをロイは笑みを浮かべて受け取る。ペコッと頭を下げて駆け去る背を見送ったロイは手の中のチョコの包みを見つめてため息をついた。朝から取っ替え引っ替え届けられたチョコは既に段ボールに二箱にもなっている。普段ならこれからお返しにする菓子を探して選んで、一ヶ月うんざりするような時間を過ごさねばならないが、今年はハボックのおかげでずっと楽にすみそうだ。だが。 「私が本当に欲しいチョコレートは」 そう呟いてロイは窓の外の空を見上げる。そこに広がる空色を見たロイは、ギュッと手を握り締めると足早に部屋を出ていった。 「こちらでよろしいですか?」 ハボックは客が選んだケーキを箱に詰め、間違いがないか確認して貰うよう箱の中を見せる。頷いた女性客はショーケースの中を見て言った。 「あの、このチョコレートケーキは?名前も値段もついてないんですけど」 「ああ、それは売り物じゃないんです」 「えーっ、そうなんですか?すっごく美味しそうなのに!」 売り物ではないと聞いて、女性客はもの凄く残念そうな声を上げる。ハボックはすまなそうに笑うとケーキの箱を手渡し客を見送った。 「ありがとうございました」 パタンと閉まる扉の向こうに向かって言ったハボックはショーケースへと視線を向ける。ケースの一番隅っこにそっと置かれたチョコレートケーキを見つめてそっとため息をついた。 ビターチョコレートのムースにフランボワーズのジュレを包み込みチョコレートで綺麗にコーティングされたケーキは目立たぬよう隅っこに置かれているにもかかわらず、朝から何度も客の目に留まっていた。そのたび売り物ではないと答えればとても残念そうにされて、ハボックは苦く笑う。 「貰って欲しい人には売れないしな」 いつものように今日のおすすめだと言って勧めれば彼の口には入るだろう。だがそうするにはこのケーキには打ち明けられない想いが詰まり過ぎている気がする。 「馬鹿みてぇ……」 そう呟いた時、店の扉が開いて客が続けて入ってきた。 「いらっしゃいませ」 想いを振り払うようにギュッと瞑った目を開くと、ハボックは笑みを浮かべて客を迎えた。 「────のチョコレートケーキ、残念だよねぇ」 「ねぇ!すっごく美味しそうだったよ、あれ」 すれ違った女性達が口にした最近通い詰めている店の名前に、ロイは思わず足を止めて振り向く。ロイが見ていることに気づかず、女性達は近くのケーキ屋の中を覗いて言った。 「チョコレートケーキ食べたいなぁ。ねぇ、ここのはどうだろう」 「うーん、あれ見た後だとどれもイマイチに見える。どうして売り物じゃないのかしらね」 そうよね、と頷き合いながら二人は行ってしまう。再び歩きだしたロイの足がだんだんと速まり、いつしかロイは全速力で通りを走っていた。角を曲がり空色を基調にした店の前まで来るとゆっくりと足を止める。その時、丁度でてきた女性が店の中に向かって言った。 「今度来たら是非買わせてくださいね。本当に美味しそうだから」 「はい、ありがとうございます」 中からかかる声に女性は笑って手を振ると、ケーキの箱を手に歩いていってしまう。女性と入れ違うようにして店の中に入れば、顔を上げたハボックが驚いたようにロイを見た。 「……マスタングさん」 ロイの名を呟いたハボックが取り繕ったように笑みを浮かべる。 「今日は来ないと思ってたっス。残りのお返し、明日の引き取りだったっスよね?」 そう言ってもなにも答えないロイにハボックは困ったように視線をさまよわせた。 「えっと……じゃあ今日はケーキを買いに来てくれたんスか?今日のおすすめは────」 「そのチョコレートケーキをくれ」 いつものようにケーキを勧めてくれようとするハボックの言葉を遮ってロイが言う。ハッとして見つめてくる空色にロイは続けて言った。 「そのチョコレートケーキをくれ」 「こ、これは売り物じゃないんで」 「じゃあ売ってくれなくてもいい。そのケーキを食べさせてくれ」 「ケーキ屋に来て、金払わないでケーキ食う気っスか?アンタ」 そんなことを言い出すロイをハボックが睨む。その視線を真っ正面から受け止めて、ロイは言った。 「そのケーキ、私のために作ってくれたんじゃないのか?」 「ッッ!」 考える間もなくそう言ってしまったロイだったが、見開く空色にその言葉が間違いでないことを確信する。ロイはレジカウンターからショーケースの内側に入ると、ケースのガラス戸を開けた。 「ちょ……っ、マスタングさん!」 慌てて止めようとして伸ばしてくるハボックの手をロイは掴む。グイと引き寄せハボックの瞳を間近から見つめた。 「今日私が食べたいのはあのチョコレートケーキだけだ。あのケーキを食べたい────駄目か?」 そう言って真っ直ぐに見つめてくる黒曜石にハボックの瞳が揺らぐ。クシャリと顔を歪めたハボックの瞳からポロリと涙が零れて落ちた。 「……でもアンタ、いっぱいチョコ貰ってんでしょ?」 「欲しいのはこのチョコレートケーキだけだ。他にはいらない」 「────馬鹿なんスか?女の子からのチョコじゃなくてこんなケーキがいいなんて」 「馬鹿でもなんでも、仕方ないだろう?どんなチョコよりこれが欲しいんだから」 ロイは言ってニッと笑う。そんなロイを見つめていたハボックはトレイを手に取るとショーケースの中のチョコレートケーキを乗せた。 「……ありがとう」 ロイは笑うとチョコレートケーキを手で掴んでかじってしまう。もぐもぐと手掴みでケーキを食べるロイを目を見開いて見つめていたハボックは、プッと吹き出した。 「もう……マスタングさんってば」 折角綺麗に作ったのに、と軽く睨んでくるハボックにロイは笑い返す。 「お前が出し惜しみするからだろう?」 フンと鼻で笑ったロイは手についたチョコをぺろりと舐めると、その手をハボックに伸ばした。 「好きだよ、ハボック。お前が好きだ」 「……オレも」 恥ずかしそうに目を伏せたハボックが言うのを聞いたその瞬間、ロイはハボックを引き寄せ乱暴に口づける。合わさる唇からは甘いチョコの香りがして、ハボックはそっと目を閉じるとロイの背にそっと手を回した。 2016/02/14 |
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ はたかぜさまからいただきました「ハボは小さなお菓子屋さんの店主。たくさんの人からバレンタインのチョコレートを貰うロイが、沢山のお礼を買わなければ、と思ってるところにちょうど見つけた菓子店。いろいろ相談するうちに、ハボとロイは仲良くなり……」というネタでございました。お題がケーキ屋さんのハボックで、いかにもバレンタインなスイートなネタでとっても楽しく書かせていただきました!でもちょっと最後時間に追われてしまって、二人の心の動きを丁寧に書けなかったのが残念で(苦)それでも精一杯ケーキ屋さんハボックを書かせていただきました。焼き菓子がそんなに日持ちするのかとか、そういう細かいところは目を瞑ってやってくださいませ〜。ちなみに出てきたマシュマロは近所のケーキ屋さんで実際に売っているもので大好きなんですが、日持ちは二週間です(爆)ともあれ、バレンタインにぴったりのとってもスイートなネタを下さったはたかぜさま、どうもありがとうございましたv楽しんでいただけましたら嬉しいですv |