バレンタインをあなたと


 廊下を歩いていたロイはドッとあがった笑い声に足を止める。近くの休憩所を覗けば、部下たちに囲まれたハボックの姿があった。
「馬鹿言ってんじゃねぇよ、まったく」
 ゲラゲラと笑う部下たちの中、ハボックは言って手近の部下の頭をポカリと殴る。イテぇと頭をさする部下は本当に痛がっている様子はなく、むしろそうやってハボックに構って貰えるのを嬉しがっているように見えた。
 ハボックと部下たちは仲がいい。ハボック隊の部下たちは彼らの隊長に心酔していると言ってよく、そのせいもあって非常に統率のとれた優れた部隊だった。勿論上に立つものとしてそのことは素直に喜ぶべきところなのだろう。だが、プライベートでハボックと恋仲である身としては甚だ面白くなかった。
「そういやもうすぐバレンタインですね。隊長は誰か二人きりで過ごす相手がいるんですか?」
 その時、部下の誰かがそんな事を言うのが聞こえる。思わずそばだてたロイの耳にハボックの声が聞こえた。
「そうだなぁ、どうだろうな」
(そこは“いる”とはっきり言うところだろうッ!)
 ニヤリと笑ってハボックが言うのを聞いて、ロイは目を吊り上げる。「教えてくださいよッ」と騒ぐ部下たちに「ヘヘヘ」と笑って頭を掻くハボックを見て、ロイは一歩踏み出した。
「ハボック」
「あ、大佐」
 休憩所の入口に姿を現したロイに、小隊の部下たちが一瞬にして緊張する。その中で一人リラックスした様子のハボックが立ち上がってロイに近づいてきた。
「なんスか?」
「いいから来い」
 質問には答えずロイはハボックを休憩所から連れ出す。少しして足を止めたロイはハボックを振り向いて言った。
「お前なぁ、あの場合はッ」
「あの場合?って、なんの場合?」
 キッと目を吊り上げて言いかければハボックがキョトンとする。まるで気づいた様子のないハボックにロイはムッと唇を突き出すと。
(バレンタインは私と二人で過ごすと言うべきだろうッ!)
 心の中でそう怒鳴って。だが。
「もういい」
 素直に口には言い出せず、ロイはプイッと顔を背けるとハボックをそのままにドカドカと靴音も荒くその場を後にした。


「ハボックのヤツ……」
 執務室に戻ってきたロイは乱暴な仕草で椅子に腰を下ろす。椅子の背に体を預けて頭に浮かんだハボックのポヤッとした顔を睨みつけた。
「まったくなんであそこで二人きりで過ごす相手がいると言わんのだッ!」
 ハボックにしてみればはっきりと言うのは照れくさかったのかもしれない。なんと言っても相手はロイだ。だが、あの小隊にあってははっきり「いる」と言わなければ「いないならば俺と」などと妙な気を起こす輩がいないとは限らなかった。
「ここはやはりはっきりハボックに言っておいた方がいいかもしれない……」
 ハボックにバレンタインは二人きりで過ごしたいと言っておかなければ、小隊の連中と一緒になんて事になりかねない。
「よし、ここはきっぱりとハボックに言うぞッ」
 そう言ってロイはグッと拳を握り締めた。


 だが。
 ハボックに「二人きりでバレンタインを過ごしたい」と言うことを決めたもののここに問題が一つ。それはロイが素直でないということだった。そもそもそう簡単に言えるなら、ハボックを休憩所から呼び出したところで言っている。だが、その時にも素直に言えなかったものを改めて言えるほどにロイは素直ではなかった。
「はい、大佐。コーヒーどうぞ」
「……ああ」
 にっこりと笑ってコーヒーのカップをテーブルに置くハボックをロイは上目遣いに見上げる。そうすればハボックが不思議そうに小首を傾げた。
「なんスか?」
「……別になんでもない」
「そっスか」
 ロイの言葉にハボックは答える。そのまま何も言わずにニコニコと見つめてくるハボックの視線を感じながらロイは内心焦った。
(言え!今がチャンスだろうッ、ハボックに“バレンタインを二人きりで過ごそう”と言うんだッ)
 心の中で己を怒鳴りつけながら表面上は何でもないようにコーヒーを啜る。それでも必死に己を叱咤して、ロイは何とか口を開いた。だが。
「そろそろ演習の時間じゃないのか?遅れるぞ」
「ああ、そうでしたね。じゃあ」
 言いたい事とは全く違う事を言ってしまったどころかハボックを執務室から追い出してしまう。パタンと扉が閉まると、ロイはゴンと机に額を打ちつけて突っ伏した。


「大佐、この書類にサインください」
 コンコンとノックの音に続いて、ハボックが書類を手に執務室に入ってくる。書いていた書類からパッと顔を上げてハボックを見れば、思いがけない強い視線にハボックが一瞬怯んだ。
「な、なんスか?」
「別にッ。寄越せ!」
 ロイは素っ気なく答えるとハボックの手から書類をひったくる。ぱらぱらと中身をチェックしながら、実は全く内容など頭に入ってこないままロイは内心己に言い聞かせた。
(言え!バレンタインは二人きりで過ごしたい!言うんだッ!)
 何度も内心己に向かって言いながらロイは書類にサインを認める。それから書類をハボックに差し出して言った。
「二ページ目の三行目と五ページ目の二十八行目に誤字があるぞ。提出する前に直しておけよ」
「えっ、そうっスか?すんません」
 ロイの言葉にハボックは頭を掻きながら執務室を出ていく。その背を見送って、ロイはガッと頭を抱えた。
「ちがーうッッ!!どうして言えないんだッ!!」
 そう叫んでロイは抱えた頭をグシャグシャと掻き混ぜた。


「ハボック、少し早いが会議に行くぞッ」
「えっ?あ、はい!」
 バンッと扉を開けてロイが言えば、書類を書いていたハボックが慌てて立ち上がる。急いで車を回すと玄関から出てきたロイを乗せた。
「珍しいっスね。いつもならギリギリにならないと出かけないのに」
 会議、特に外部との会議はロイが嫌いなもののベスト3に入るものだ。普段はよっぽどせっつかれないと出かけないのにと笑うハボックにロイが言った。
「折角だからお前と話でもしようと思ってな」
「は?今更?」
 話ならいつもしているのにとハンドルを握ったハボックがキョトンとする。それでも話をしたいならとロイの言葉を待てば、少ししてロイが徐に言った。
「今日はいい天気だな」
「へ?……ああ、まあ、そうっスね」
「明日もいい天気かな」
「ええと……明日は確か下り坂って天気予報で言ってたっスよ」
「そうか」
 今朝聞いた天気予報を思い出しながら答えればロイが頷く。その後は何も言わないロイに、ハボックは首を傾げた。
「大佐、話って────」
「待て!今準備中だッ!」
 なんの話かと促そうとすれば途端にそんな答えが返ってきてハボックは口を噤む。そのまま車の中を沈黙が満たせば、ロイはだらだらと汗を流した。
(言え!言うんだッ!わざわざ早めに車を出させたんだ、早く言わんかッ、ロイ・マスタング!)
 ロイは心の中で自分を怒鳴りつける。何度も唾を飲み込んでいざ言おうとした瞬間、ガクンと車が停まってハボックが言った。
「着いたっスよ、大佐」
「……あ、ああ。ご、ご苦労だった……」
 気がつけばもう目的地についていて。ロイはがっくりと肩を落として車から降りるとのろのろと会議の会場へと歩いていった。


「どうしてだ、どうして言えないんだ……ッ」
 その後も何度か機会があったものの、いざハボックを前にすると言い出せない。気がつけば今日はもうバレンタインデー当日で、ロイはうろうろと執務室の中を歩き回った。
「このままではハボックと二人きりで過ごせないじゃないかッ」
 ちゃんとハボックのためにチョコレートも用意した。後は二人きりで過ごそうと誘えばいいだけなのに。
「くそーッ!どうすればいいんだッ!誰か教えてくれッ!」
 どうもこうも素直ににっこり笑って“今日は私の家で過ごさないか?”と言えばいいだろうと誰に聞いても同じ答えが返ってくるだろう事には気づかぬフリで。
ロイは一人悶々と思い悩んだ。


 そして。
 気がつけば外はもうとっぷりと暮れている。結局ハボックを誘えないまま終業時間を迎えて、ロイはチョコを手におろおろとしていた。
「まずい、まずいぞッ」
 そうブツブツと言う間にも部下たちが帰っていく気配がする。一際大きな声でハボックが「お先に!」と言うのが聞こえて、ロイは執務室の中で飛び上がった。
(わあ、ハボック!帰るなッ!)
 ロイはコートを引っ掴むと袖を通しながら執務室を飛び出す。そもそもどうしてバレンタインデーだと言うのにさっさと帰ってしまうのだと内心思いながら、コートのポケットにチョコの包みを突っ込んで、ロイはハボックの後を追った。
「ひ、引き留めねばッ!」
 ロイは意を決してハボックを誘おうと足早に追いかける。司令部を出たハボックが大きなストライドで歩いていくのに小走りで着いて行けば、ハボックは賑やかな通りへと足を向けた。チラチラと店先に並ぶ商品を見遣りながら歩くハボックの背中を見つめたロイは、ポケットの中のチョコを握り締め駆け足でハボックとの距離を縮めた。
「ハボ────」
「隊長!隊長じゃないですか!」
 漸く声が届くところまで来たとロイが口を開くのとほぼ同時に横合いから声がかかる。どやどやとハボックの周りに小隊の部下たちがやってくるのを見て、ロイは目を瞠った。
「いいところで!俺たちこれからみんなで飲みに行くところなんですよ。隊長も是非一緒に!」
「えっ?いや、オレはちょっと」
「いいからいいから!行きましょう、隊長!」
「そうですよ!!飲んで騒いで日頃の憂さを晴らしましょうッ!」
「いやだから、オレは」
「まあまあ、みんなでパーッと飲みましょうッ!」
 ハボックが何か言おうとするのに構わず部下たちは数に任せてハボックを連れていこうとする。やれやれと頭を掻きながらも仕方ないなという雰囲気になりかけているハボックを見た途端、ロイはハボックたちの前に飛び出した。
「ハボックッッ!!」
「あれっ?大佐?!」
 思いもしないところでロイと出会ってハボックは目を丸くする。ロイはハボックを取り囲む部下たちをジロリと睨むと最後にハボックを見た。
「ハボック」
「はい」
「これを食えッ」
 ロイは言ってポケットの中からチョコの包みを取り出す。オオッと騒ぐ部下たちを後目にそれを突きつければ、目を見開いたハボックがロイを見てにっこりと笑った。
「はいっ」
 ハボックはロイの手からチョコを受け取ると包みを解いてチョコを一粒口に放り込む。もぐもぐと食べてハボックは言った。
「旨いっス!じゃあ、オレからも」
「えっ?」
 そう言ってハボックはチョコをもう一粒口に放り込むとロイをグイと引き寄せる。そのままロイに口づけると口移しにチョコを渡した。
「な……な……」
「えへへ、おかえし」
 真っ赤になって絶句するロイにハボックは笑って頭を掻く。背後でギャーッと喚く部下たちをハボックは不思議そうに振り返った。
「なに騒いでんの、お前ら」
「だ、だって隊長〜〜〜ッッ」
「マスタング大佐と、チュ、チュウして……ッ」
「当然だろ?オレと大佐、つきあってんだもん」
 平気な顔でそんな事を言うハボックにロイと部下たち双方から悲鳴が上がった。
「馬鹿ッ!そんな事大声で言うヤツがいるかッ!」
「へ?なんで?」
 きょとんとするハボックを鈍感にもほどがあるとロイは真っ赤な顔で睨みつける。だが、ハボックはロイの手を取るとにっこりと笑った。
「じゃあ行きましょうか」
「えっ?」
「バレンタインだし、デートしましょう、デート。じゃあな、お前たち。オレはこれから大佐と二人きりでデートだから!」
 邪魔すんなよと歩き出すハボックに手を引かれながら。
(今日まで悩んだ私は一体なんだったんだ)
 と、納得のいかないロイだった。


2014/02/10


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

夢路秋さまからいただきましたv
「二人きりでバレンタインを過ごしたいロイだけど、素直じゃないのでなかなか言い出せない。しかし、そうこうしている内にハボックがバレンタインの日にハボック隊の隊員達に強引に飲みへと誘われているところを目撃してしまう!さあ、ロイよどうする!……って感じのドタバタ劇。甘い感じはおまかせで。ハボック隊にもてもての、だけど鈍感すぎて気付かないハボックと素直じゃないロイの物語vv」……です!
大好きな鈍感ハボックリク!とっても嬉しかったのになんだか今一つ書き切れてない感がありますが……(苦)ドタバタするロイは頑張ったつもりです(笑)
夢路さま、楽しいリクをありがとうございましたvv