袖振草
「月がすごく綺麗だな。」
大佐が窓から顔を出して言った。言われて覗いてみれば雲のない夜空に白い月が煌々と照っている。
「見事っスね。」
思わず呟けば大佐が腕を引いた。
「散歩に行こう。お月見だ。」
「お月見ならここからでも十分できますよ?」
そう言えば、大佐が思い切り顔を顰めた。
「どうしてお前はそう、ロマンがないっていうか、恋人と一緒に月明かりの下、歩きたいとか思わないのか?」
「だれが恋人っスか、だれが。」
「お前な、そういうこと言うか?」
大佐はぶつぶつ言いながら、それでもクローゼットから上着を取り出すと部屋を出ていこうとした。
「ほら、早くしろ!おいて行くぞ!」
そう言ってさっさと部屋を出て行く。まったくオレが行かないなんてことは全く念頭にないらしい。仕方ないから部屋を出て
大佐の後を追いかけた。玄関まで行くと大佐がポケットに手を突っ込んで待っていた。近づいていくとにっこり笑って
手を差し出すから。ちょっと躊躇ってからその手に自分の手を重ねた。
大佐に引かれるままに夜の道を歩く。青白い月の光の下では普段見慣れた通りもなんだか違うように見えるから
不思議だ。何もかもが色をなくして白と黒に沈んでいる。1つ曲がり角を間違えたら、どこか違う世界に行ってしまい
そうな、そんな不思議な気持ちになる。そんなことを考えていたら、大佐があまり曲がったことのない角を曲がった。
こっちには何があるんだっけと考えたが、何も思い浮かばない。
「こっちに行くと何がありましたっけ?」
そう聞けば
「私もうろ覚えなんだが…」
と大佐にしてはなんとも頼りない返事が返ってきた。その答えに知らず繋ぐ手に力を込めると、大佐がすぐに握り返して
くる。ふわりとコロンの香りが鼻を掠めて、大佐に抱きしめられているような錯覚に陥った。
「ああ、やっぱり、こっちで正解だったな。」
唐突に大佐がそう呟き、その言葉に反応したかのように微かな水音が聞こえ始める。少し歩いた先に、突然ススキの
野原が広がった。
青白い光が降り注ぐその下で、白い絹糸のような穂を垂れて、微かな風に揺らめくススキの群れ。大佐に手を
引かれて小さな流れを飛び越えると、その群落の中へ分け入っていく。さわさわとまるで意思を持っているかのように
触れてくるそれが、心の内の不安を煽るようだ。
「月がさっきよりデカク見える。」
大佐の言葉に空を振り仰げば、月が回りの闇を侵食するようにその光を投げかけていた。きらきらと降り注ぐその
光に、大佐の黒髪が闇に溶け出していくように見えた。まるで、命の輝きを吸い取ってしまうかのような月の光に、突然
胸の内の不安が膨張して、思わず大佐の腕を掴んだ。
「どうした?」
黒い夜の闇を映した瞳が見つめてくる。
「なんでも…なんでもないっス…。」
そう呟くと大佐が微かに笑った気配がして。大佐の腕を掴んだままそっと口付けた。触れるだけの口付けに大佐の瞳が
柔らかく笑う。その瞳の中に銀色に光る月が揺れた。
「たいさの目の中に月が映ってる…」
そう囁くと大佐が僅かに目を見開いた。
「空にあるのよりずっと綺麗っス…。」
囁きながら大佐の唇に自分のそれを寄せて。銀色に揺れる波のなかで、何度も何度も口付けを交わした。
2006/9/19
袖振草(そでふりぐさ)とはススキのことです。昔の人は愛情を示して袖を振ったんですよね。良いな〜、そういうの。秋企画の月テーマでホントはお月見で
行こうと思っていたのですが、思いがけずハボが月夜に不安になる話になってしまいました。でも、たまにはこんなのも、って、ダメ?